市民ランナーと競技者のメンタリティのギャップ

男子マラソンの停滞の原因に対する考察

昨今のランニングブームはものすごいものがあります。100キロや、いや半日走り続けるとか、なんだかとんでもない企画ものが当たり前になっています。それが意外にもできてしまうのです。おそらく本格的な競技経験者はこのような領域には足を踏み入れないでしょう。
 何故なら走ることの苦しさと大変さを良くわかっているということと、勝負の世界の過酷さと厳しさもわかるからです。そしてランナーは少し違和感があっても直に休むということを習慣化しています。つまり完璧なコンディションをあってこその秒単位での記録になることがわかっているからです。ところがです。川内選手のように昔競技をやっていたとはいっても、無名で、そして市民ランナーが、颯爽と日本のトップランナーになっているではないですか。現在では実業団も含めて川内選手が実質上のエースであることは認めざるをえないでしょう。
 実は実業団のなかでは、この人はすごいとか速いという評判があったとしても、国民のなかで知名度としては誰を知っているでしょうか?サッカーや野球やテニスや卓球や水泳やレスリング、スポーツにはプロもアマチュアもありますが、職業選手であることは間違いありません。このあげたスポーツ競技の選手は幾人も顔が浮かぶでしょう。マラソンランナーは一昔前は誰もが知っている最も国民の期待を背負った競技でした。過去形ですが、まさに今は昔です。女子ランナーがメダルをとることが当たり前の基準であるにも関わらず、男子は入賞すれば認められてしまう風潮があります。どの競技でもメダルが全てではないにしても、メダルをとるととらないでは、メダリストという肩書がつくとつかないの大きな差があることは間違いない事実です。男子マラソンに関しては、日本の代表というのは常にメダルを期待される種目でした。ところが現代は、陸上競技のマラソン関係者のなかでは、入賞すると特別な存在として認められるようになってしまいました。しかしながら世間はメダルをとる種目に対して注目するわけで、当事者の意識と国民の意識とのギャップがでています。このギャップを認識しなければ、男子マラソンは浮上することはないでしょう。むしろ女子マラソンでは8位入賞では、話題にもならないはずです。
 
 よって、Olympicよりも箱根駅伝のほうが話題性と認知度が高くなっているのです。実業団の選手よりも箱根の学生ランナーのほうが知名度が高いのではないでしょうか。そして実業団駅伝などで走っていても出身大学と箱根のどの区間を走っていたかということによって、我々はその選手が誰かを判別するしかないのです。
 ところが現在は学生ランナーがどんどん強くなって、そのまま世界選手権やオリンピックを狙うようになっています。実業団の選手が強くないと言っているわけではなく、少なくとも学生ランナーも遜色ない戦いができるということです。ところが、大学を卒業してから全く名前を聞かなくなってしまう選手のほうが多いかもしれません。
 しばらくすると大学の監督になって帰ってきている選手も沢山います。箱根駅伝の監督も学生時代箱根でならした選手が多々見られます。箱根駅伝に関わることがよりステイタスが高くなっていることも確かでしょう。高校駅伝から箱根につがり、箱根に終わるということですね。正月の二日間、6時間×2日間電波ジャックするのですから、そして単に学生の走るイベントという以上に巨大な存在になっています。いわゆる箱根ファンという人たちは全国にいるはずです。ある特定の選手ということではなく、あくまで箱根駅伝そのものが好きという人です。今では一人一人の選手のドキュメントや昨年からの雪辱といった視点からも、それこそ普段の練習や合宿から取材が入り、話題作りにこと余念がありません。
 
 日本のマラソンが強かったときは、SB食品と旭化成がしのぎを削り、そこにカネボウが絡んでくるといった感じでした。ニューイヤー駅伝もこれらの絶対的なチームがでてくることで、注目度も高かったと思います。しかしながら、昨今はニューイヤー駅伝は放送はされているものの、それほど注目度が高くないように思われます。
 スターの存在ということになるでしょうか。それであれば女子の駅伝のほうが、高橋尚子さん・野口みずきさん・渋井陽子さんなどおなじみのメダリストが名を連ね話題性がありました。

 日本男子の長距離は学生ランナーがどんどん強くなってきていおり、トラックでもそのうちマラソンでも学生が勝つ時代になるのではないでしょうか。つまり実業団が圧倒的に強かった時代は終わりを告げ、どっちがどっちか分からないぐらいの関係性になっています。
 ロンドンOlympicの男子マラソン代表は誰か?と言われてもほとんど答えられないでしょう。女子もわかりませんけどね。川内選手は代表ではないものの、誰でも頭に浮かびます。非常に繊細で選んでマラソンも1年に一回もでない、場合によっては記録を出しても2~3年は故障で走れていないというようなことが珍しくありません。厳選して試合に出場して失敗する。それが年単位の間があく。これでは強くならないということでしょう。川内選手は実業団からみると面白くない存在だと思いますが、それが今や押しも押されぬエースではないでしょうか。
川内選手も連勝し続けることは流石に無理で、何度も走っていれば負けることになります。それが実業団選手全員が打倒川内選手で、その試合にピンポイントで合わせてくるのですから既にどっちが格上かわからない状況です。
それも川内選手に負けたくないからというモチベーションにて取り組んでいるとするならば、達成しても次に世界と戦うメンタリティにはほど遠いということになります。

 s話がそれましたが、一般のランニング愛好家の話を聞いてみると、始めたのは30、40歳からという人も珍しくありません。つまり学生時代本格的に競技をやっていないということです。猫ひろしさんなんか典型ですよね。それがサブスリーを楽々と?クリアしていたりと、半端ない感じです。そして共通しているのは川内選手同様、既成概念にとらわれていないということです。練習しないでフルマラソンを走るなんてのは当たり前。
毎週のようにフルマラソンを走ったり、100キロやさらにもっと過酷なレースにそこそこの練習量にて参加してたりと、競技をしていたものからすると尋常ではありません。
精神的は壁が無いのです。競技者は非常にナイーブです。逞しさがないといった方が分かりやすいですね。それでいてプライドは高いです(^^)
レースはタイムであり、そしてフォームであり、しかし市民ランナーは挑むことへの喜びだったり、自分への挑戦だったり、走ることが好き!という気持ちが全面に出ています。楽しむことが必要なことは百も承知ですが、苦しさと辛さが染み付いてしまったランナーは既に楽しむ気持ちにはなれません。悲壮感ですね。そこにあるのは。競技者はであれば、勝ちも負けもするわけで、そこには苦い経験も沢山ふくまれます。
距離感に対する壁がない。マラソンに対する壁が無いのです。もちろん走るのはいやだという人も多いでしょうが、この中毒のような人達が全国にものすごい数でいるのです。
川内選手のような調整の仕方は実業団選手からすると怖くてできないでしょう。しかしながら自負だけは強くて、おそらく気持ちの中では川内選手を認めていない選手は多いでしょう。
食べる量など全く気にせず、大盛りのラーメンをガツガツ食う!とか、節制をするのは当たり前てして、全てを全力にて取り組むスタンス!チャレンジし続ける姿勢!陸連やいわゆる、お偉いさんたちに諂わないスタンス。これは業界の人達からすると、威光が効かないわけですから面白くないでしょう。所属している選手は古い体質の縦割り社会に属し、従属的になります。もしくは基本実業団の選手は自らに練習や方法も任させられおり
、女子ランナーのように管理させれていないと思われます。女子はしっかり管理しないとダメだ!というような風潮かどの競技にもあって、男性の独りよがりの、思い込みに近い感じですね。女子プレミアリーグにおいては、久光製薬が2連覇、監督はかの名セッターだった田中久実さんです。おそらく実業団の女子長距離においても女性監督のほうが結果を残しててきていると思います。なでしこジャパンは佐々木則夫監督、通称則さんが見事に率いています。経験と思い込みによる男性目線の監督も、そろそろ時代遅れだということを知らなければなりません。

 いずれにせよ、競技者であった自分も含めて長距離走のノウハウが一般ランナーにとって有益ではないとは言いませんが、別の種目だと考えてほうがいいですね、価値観もメンタリティも全く違います。ウルトラマラソンについてはスポーツ医学は手つかずではないでしょうか?常識では考えられない世界だからです。私も競技者としてのメンタリティを払拭するのに3年かかった経験があります。本格的には高校までなのですが、その思考をいい意味で拭い去るのに数年かかったということです。何故にそう思ったかというと、理学療法士としてコンタクトスポーツや球技の選手と接するようになり、そのコンディショニングの適当さに驚いたということです。ウエイトも100グラム単位にて管理して、食事についても神経質になって摂取していた我々にとって、ありえないメンタリティだったのです。豪快かつポジティブに挑むことの必要さを学んだということですね。高橋尚子さんをはじめ、小出監督の指導方針はとにかく食べるということだったそうですね。千葉真子さんが小出監督のもとに移籍してまず驚いたのは食べる量だったということです。ただ試合前になると7キロ落として臨んでいたということですので、試合機と練習期でのメリハリをつけていたということでしょうか。若いときの食事制限は辛いものです。この年になると勝手に食べれなくなりますので、何ら問題ないのですが。つまり「・・・してはならない」という思考が身に付いてしまうのです。やってはならないこと、身体に悪いこと、マイナスになるこは省いていくということは、極当たり前のようで、しかしながらだんだんと内に籠ってしまう気質になります。不安と恐れなのでしょうか?川内選手からは、制約的な修行僧のような雰囲気はありません。しかし、他の実業団選手で表情や感情表現が豊かな選手はほとんど見ないですよね。別にチャラチャラしろと言っているわけではなく、自分のことをしっかりと表現できるということが、特に世間では必要とされるわけです。増田明美さん、有森裕子さん、そして高橋尚子さんなど、解説がとても上手いですよね。下調べもしっかりして、増田明美さんにいたっては下調べも抜群です。
うちうちの中での狭い世界の住人になってしまうと、暗黙の了解というのがまかり通ってしまい、わかるように説明する必要がなくなってしまうのです。そうするとグローバルリズムからはほど遠い遅れた団体になってしまいます。サッカーの解説者がもと名選手が多いはずなのですが、まったくもって不評なことが多々あります。テレビ向けかどうかはわかりませんが、「おー」とか「いけー」とかなんだかどこに専門性があるのか全く分かりません。これは野球の解説者においても言えることで、もと選手ということだけではあっという間に劣化してしまうのです。当時者であるということと、解説者であるということとは別なのです。

競技者は練習でも駄目だと思ったらどんどん脱落したり、自分の意思でやめるのが常習となっています。また、意外にも個人が尊重されていて、かなりの部分は自己に任されているところが多いのが不思議です。自らで判断できなくてはいけないのは分かりますが、指導者を頼らないスプリンターやランナーも多いです。確かに自分で試行錯誤することは必要ですが、ゴルフにおいてもティーチングプロやあらゆる専門家を帯同させているように、自己完結では解決が難しい可能性があるのです。時には客観的なアドバイスが必要でしょう。しかしながら、このアドバイスも偉い先生が多すぎて、やたら素質のある見込みのある選手には周りがやんやと手を加えてきます。その選手を通じて自分の何かを表したい!というもと競技者として指導者としての血が騒ぐのかもしれませんが、これは余計なお世話です。ダルビッシュや田中将太選手が、悲壮感や日本人好みの血と汗と涙の努力というイメージはありません。もちろん何でも素直に聞くというイメージもありませんし、耳を傾けないイメージもありません。対外的な評価や世間からの声に常に晒されながらのスタンスと、そうでない競技との差が出ているのです。自画自賛や自己満足に陥りがちな男子マラソン界、線が細くて、国際大会では力を発揮できません。入賞レベルが他の競技ではメダルレベルと同等の評価になるのですから、これは甘過ぎますよね。入賞狙いの走りと金メダル狙いの走りは全く違います。入賞であれば落ちてくる選手を後半拾っていく走りで、あわよくば銅メダルに手が届くかという他力になります。金メダルをとろうと思えば、先頭から脱落することは即アウトを意味します。

 ということで、長くなりましたが一般ランナーが期待する何か!について理解することが今後の競技者出身のセラピストにとっても不可欠なことだと思われます。そのためには、一般ランナーと同じ目線にてレースに出てみなければいけませんね。真似したくありませんが、根性と気持ちにて走りきる、悲壮感を漂わせないで、どんな悪条件でも体調が悪くても走りきるというメンタリティです。さてフルマラソンといずれは100キロも走りきらないと説得力がありませんね。これからは自分のマラソンに対する、メンタリティの壁を破る試みをしていきたいと思います。
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