W杯 代表の4年間からみる流れ

Category: 人生訓
モビリティを引き出す力

W杯は16強がそろい、いよいよこれからが架橋というか本当の意味でのW杯が始まるのかもしれない。しかしながら自国の代表が敗退すると、一気にテンションというか興味が下がるものです。もちろん、これからもスーパープレーを見たいという気持ちはありますが、日本代表が勝ち残っていれば、もしここと当たったら、どうやって戦うんだろう!こんなやばいチームに勝てんのかな〜とか妄想しながら見れるので、観戦するのにも思い入れが違ってきます。

 しかしながら、負けたからこそ、それも惨敗だったからこそ考えること、実は見ようとしなかった、隠れてしまっていることが露になります。勝っているときには、ネガティブな情報はかき消され、負けた瞬間に犯人探しと原因の追求が始まります。ネット上や新聞などをみても、そんなにネガティブな情報がこんなにも沢山埋もれていたんかいな〜と思うほどに出てきます。勝てばその余韻で振り返ることはしないでしょう。

がむしゃらとは?
特別なシチュエーションにおける心理状態になります。つまり無心ということです。ただがむしゃらに勝利のために戦っていることが画面からもわかるチームがあります。コロンビアやオランダ、チリやメキシコなど好調なチームは概してそうです。
 捨て身でいける心理状況、シチュエーション、チャレンジしかない無心の状況では意外にも力を発揮できます。善戦すればいいからです。しかしながら、勝つこと、勝たなければいけない状況では本当に力がなくては力を発揮できません。日本はこの勝たなければいけないというシチュエーションには弱いのです。未知なるるものへ挑む、チャレンジする、力試しをする、どこまで通用するかをみる、というようなメンタリティのときには力を発揮します。しかしながら、技術やフィジカルというエビデンス的な確証をベースとしていないので、そのメンタリティを拠り所とした再現は難しいのです。

自分たちの⚽サッカーという呪縛
 パスサッカーとポゼッション!これこそ日本が追い求めてきた形である。自分たちのサッカーということで、横パスやバックパスの習慣が本番でも出てしまいました。パスをまわしてだけでは何も変わらない。効果的なパス回しとは縦のスピード推進力の延長線上にあるのです。その縦の推進力をオランダに完全に使われてしまいリズムを崩されウォッチャーになってしまったのがスペインだったのかもしれません。

イタリア戦の亡霊
 コンフェデ杯は三戦全敗という結果に終わっています。この大会はW杯の前哨戦のような大会です。そこでも確か優勝を掲げて臨んだはずです。しかしながら、ブラジル戦で圧倒的な攻撃力に翻弄され、イタリア戦ではチャレンジャーとして、打ち合いを挑み一時は二点差をつけて勝っていたはずです。しかしながら、結果的に逆転されてしまいますが、大善戦ということで、その後も度々惨敗してもイタリア戦のようにできるんだ!ということで、あのときのように・・・とことあるごとに、我々はあのように出来るんだと言う例えとして使われ続けました。しかしながら、あの大会では木っ端微塵にやられても失うものもないわけで、結果的に三連敗した功罪の功についてのみ、あのイタリア戦が讃えられ続けました。優勝といって出かけていって三連敗ですから、チャレンジできる子供のようなワクワク感でやれたイタリア戦は別物です。勝たなければいけない試合というプレッシャーがない状況です。メキシコ戦はピルロに挑むというようなワクワク感のある試合ではなかったこともあり、結局はイタリア戦での善戦が活きていませんでした。
 W杯ではなくて良かった・・いい経験になった。教訓になった・・ということを問題点が吹き出したときには全てその言葉で片付け、次に直せばいいということで口だけで先送りにしてきましたが、本番までに改善されることはありませんでした。つまり固定メンバーの中で気をつければいいというその繰り返しで、急激に固定メンバーのスキルが上がるはずも無かったのです。念頭においていても、その場面は二度と訪れません。つまり相手があることであり、その度に危ないDFは危なっかしい場面の連続でした。固定したメンバーで慣れ親しんだ戦術に習熟したメンバーで・・・当然約束事は積み上げてきたメンバーが最も慣れているわけですが、それが効いていればいいですが、一瞬のミスやで失点を繰り返す。その現象を集中力が欠如していた・・という言葉で片付けていましたが、少なくともDFも手を抜いていたりしたわけでもないはずです。そのように見えるほどにスキルが低いということと、相手のパフォーマンスが高いと対応できないということの限界だったのです。相手が良かった・・というコメントも良く聞かれました。それならば、相手が良かったということが本番でもあるだろうと・・・そこでも、もっと自分たちのサッカーを・・という呪文が繰り返されたのです。個人がもっと注意をしてと言っても、毎回違う相手でそれが世界レベルとなると、それは既に個人のレベルの問題となります。つまり内部の競争ではなくて成熟をもって対応しようとしたのでしょう。積み上げてきたものを大切にしたと・・・そのようにザックは選考時に言っていました。

選手交代を活かせるチームとは
 選手交代においても、どちらかというと新しく入った選手が劇的に流れを変えること、そのようなメンバー、そのような流れ、そのような雰囲気を作り出すことができませんでした。残り1分というようなタイミングでの交代が多く、それは何を期待したのか?というようなことが多かったです。信頼、ザックは固定メンバーの信頼ということで作り上げてきました。全身全霊をもって捧げてきたザック・・だからこそ選手のことを大切に想い、全て中途半端な対応は一切取ってきませんでした。気分で変えたりではなく、必ず塾考して選手への信頼を貫いたのです。結果的に途中交代の選手が流れを変えるジョーカーは見つかりませんでした。メンバーが控えにいたとしても、レギュラーメンバーのポジションをローテーションする、本田をトップに上げたりしてフレッシュな選手を入れることをしませんでした。既に後半で疲れている選手をローテーションしても、成功したことはありませんでした。しかしながら、その展開をW杯の第二戦であるギリシャ相手にも前線に岡崎をポジション変更でローテーションさせて交代枠を残してしまったのです。交代枠を使わない、呼んだ選手を使わないという傾向は最初からあり、その理由は「流れが良かったから・・」という理由でした。流れが良かったらでは無く流れを変えなければいけなかった。

采配のモビリティ
 しかしながら、ザックはW杯ではそれまではみられないモビリティを見せています。しかし、本番の3試合で試していたのでは、次はありません。いい勉強になった、教訓になったということが許されないのがW杯。
 ザックもかなりのトライをしてドラスティックに変えてきた例をあげていくと、遠藤の起用が上げられます。コートジボワールとギリシャ戦では途中交代で遠藤を入れました。しかしながら、はっきりいって全く効果がなかったというよりも、J2の選手がいきなり交代で入ってきたような、レベルがW杯にはそぐわない選手であることが見ていてもわかります。遅い、パスが減速する、フリーキックも一本蹴りましたが、とにかくワールドクラスでは見られないほどに遅い。それでも入ることもあるのでしょうが、ブレーキがかかかっているような判断力とパススピード。コロンビア戦ではさすがに使いませんでした。しかしながら既にコロンビア戦で使えない以前に劣化は進んできたことに気がつかなければいけないはずです。コンビネーションや積み上げてきたものを大事にする場ではなく、能力に見合う選手を選考してどんどん使っていく見切りの力が必要だったと思われます。控えの選手が一度でもマッチしないと、すぐに使われなくなることが多く、また固定メンバーのなかにポッと1人入ったとしてもフィットしないことが多々ありました。もちろん控え選手の力量ということかもしれませんが、どんどん呼んだ選手を試して、そして呼ばれれば使われるチャンスが与えられる環境であれば、必然的に選手のモチベーションも違い、そしてレギュラーメンバーそのものが、新しい選手の力を引き出すモビリティのスキルを得られたはずです。その不動のメンバーが海外組やビッグクラブという括りにてはめこまれていたことも、入りにくい雰囲気となったものと思われます。しかし今回は結果的に大久保選手がレギュラーを奪った形に成りました。初戦は途中出場、次戦は右へ、そしてCFヘと三戦目にようやく現段階では一番理想の形が実現しました。それは大久保という個性が為せる技であり、それがサプライズで実現した奇跡に近い状況です。その超サプライズがレギュラーになるということは、もっと試してもいい選手はそれまでもいたということではないでしょうか?自分たちのサッカーという呪縛は、相手があるにも関わらず形にこだわることになり戦術の柔軟性を生まなくなります。このW杯にて新たに教訓や変わることがあるわけで、そのW杯バージョンにて試合ごとに成長し続けるチームである必要があるのです。そして時としてガラッと戦術を変えられること。自分たちはいつものサッカーということで変わらないなかで、相手にどんどん変えてこられたらボールを支配し続けることなどはできるはずがありません。その典型が途中出場のドログバやロドリゲスが入ることであっという間に流れを持っていかれるという現実です。日本の選手が途中入っても、まったくもって空気であることが大半ですが、海外の場合にはその入った選手が活躍するケースが多く見られます。もう一つ代表チームをもっているぐらいの層の厚さこそが、選手にモビリティを与えるのです。そうすれば固定メンバーだけでなんとなしよう、成長しようという進歩なき反省を繰り返さなくてもすんだかもしれません。替えの選手がいないという理由になるのでしょうが、主力を固定してきたということ、このあたりはドイツでのW杯の中盤のカルテットと似ています。小野と俊介と中田をカルテットとして特別な選手として固定する。しかし世界的なレベルではないわけで、むしろ今回は3年間ほぼ固定して成熟したどころがJ2に落ちたり、所属チームで出場機会が激減したり、ケガがあったりと替えが効かない状態であるからこそ回復を待つしか無かったという状況になってしまったのです。よく考えたら今回のW杯にてJ2レベルや二部リーグに所属しているチーム、所属でレギュラーを張っていないというのは、論外です。強国は、そうそうたるメンバーが控えに揃っているチームが山ほどあります。しかしながら、柿谷がメインのCFかと思ったら大迫を使い、そして最終的には岡崎なり大久保に変えたり、普段しないことをぶっつけでもってくる当たりは、ザックもこのW杯ならではのダイナミズムを見せています。相当、分析してチャレンジしてきたことが伺えます。しかしながら、その采配が当たれば賞賛と求心力になってきますが、ギリシャ戦のように交代によるポジションの混乱や初めてのパワープレイなど、叩かれることになってしまいます。パスで突破できないからパワープレイというのは、当たり前の理由として通用するのですが、そこが選手が慣れていないということがあったろうと思われます。
香川の先発落ちというのも、チームにとってみれば?であったかもしれません。しかしながら途中出場にて流れを変える役回りとして出場するものの、結局は何もできませんでした。レギュラーを控えにまわして途中で出すということであれば、結局控えの選手は使われずじまいとなります。2戦が終わって23人中15人しか使われていないということでした。何のために呼ばれたのか?という議論がわき上がりました。しかしコロンビア戦の香川は目を覆わんばかりの全く動けていない状態でした。パスがつながっていた前半、香川はほとんど絡んでいません。持ってもドリブルもパスもキレがなく、メンタルの問題なのかチームで使われていなかったからなのか?本田も香川も代表で再生させるべくザックも尽力しましたが、低下は否めませんでした。幸い選考時期になるとJの選手も選ばれるために調子を上げてきた選手が多々いたわけで、それでも調子の良い選手を選考するそして使うという習慣がないので、つみ上げてきたものを優先する貢献人事となったのです。清武選手も最後にでき来ましたが、特に何もなかったですよね。途中から入っても活躍しないという流れ、その土壌作りこそが、力を引き出すことができるチーム、それは監督のチーム作りであり固定メンバーの力を引き出すモビリティでもあるのです。

言葉の一人歩き
 世界一を目指すという言葉がある限定された選手のみから聞かれたことも、どこかで現実とそぐわなくなっていたと言えます。発起人である本田自身がACミランで不動の10番で活躍していたならば、それは現実味があったのですが、さすがにボールも回ってこない、フリーキックも蹴らしてもらえない状況でも、お得意の本田流のポジティブシンキングにて「・・あえて」という流行語にもエントリーされそうな表現で語っていました。このころから「それでも自分は持っている・・南アフリアでは得点を決めて、代表から遠ざかっていても自分はいないとチームが機能せず、帰ってくると勝つ・・」そんな過去を引き合いに出す言葉が本田から聞かれるようになっていたのです。
 過去の功績を引き合いに出しだしたら注意です。トルシエやジーコが自分が監督時代に登用したり発掘した選手についての功績を引っ張りだしてコメントすることがありますが、その後の監督人生なりが順風満帆であれば、懐古が目立つことはないはずです。このあたりは私も教訓として過去の功績を自慢し続けるということについては、自戒として留意するようにしています。
 本田選手が懐古して自分は持っているんだと言い聞かせていることそのものが、既にぶれてきている、自分を信じられなくなっていることの証なのです。過去の実績をふりかえって大丈夫だ!と慰めているのです。これから、何が足りないのかを根本から考える・・・と本田は言っています。もちろんそれは一人一人がとても大事なことですが、自分が選ばれ続けるという前提に立っての話になっています。まるで自分が監督で自分が気がついたり、思ったことそのものをチームに選手達に求めていくというスタンスは、果たしてこれからも必要なのだろうか?チームの状況が良くないときに、決起集会を開いて時に精神論として述べることは構いませんが、日常化してしまっているとすると戦術や個人のスキルまでにも言及することになります。本田の戦術や選手に対する評価や考えが、いつの間にかチームに大きく影響を与え始めてはいなかっただろうか?ドイツのように、選手の中で大きな溝ができてしまうといようなことはなかったようです。南アフリカでの中村俊介選手や楢崎選手の献身的な裏からに徹する姿勢なども記憶に新しいこともあり、教訓が活かされた形でした。しかし、おそらく次は脱本田でなれれば、個人の成長と思考の変化によって振り回されたのではチームの変革はありません。
 考えることは必要ですが、単純にレギュラーのパフォーマンスそのものが落ちているということ、レベルそのものが圧倒的に世界レベルではないということ、そしてスキルとしてはすぐに追いつくことは難しいであろうこと・・・その現実に立ち返ることです。そして自らの、日本の強みとは何か?ということを「個の力」というキーワードとは別に、言葉にしなくても感じるレベルで浸透させることです。そのヒントはなでしこジャパンでしょう。男子が女子サッカーに学ぶという考えは、プライドもありなかなかないでしょうが、現に結果を残していて、その結果が継続されているのですから見習うべきです。

 今回のW杯は、初戦の1得点と3戦目のアシストは本田選手が記録したものです。しかしながら、それは自分を理解してくれるシステムであり、チームの協力があってのものです。チェスカモスクワでは個性集団のなかでの中心選手としての地位の獲得であったはずで、それは時に自らの適応と変化もあったはずです。ところが日本では王様になってしまうので、軋轢のなかでの模索ではなく自分が思うが故に思う・・ということになります。よって、本田が駄目ならチームも駄目となるのです。海外からの混成集団なら、そもそも上にいくための手段であり、個人個人バラバラの集まりのなかでのユニットです。よって、1人いなくても本田がいなくてもチェスカは今期優勝しているはずです。つまり本田いたらいたで活躍していましたが、いなくても優勝できる土台があるということなのです。それが日本でもできなければならないのですが、そこは監督がコントロールするしかありません。日本人ですから従順で協調を旨とするからです。また海外組は特別扱いになりますので、尚更です。凱旋帰国扱いだからです。日本代表に至ってはベースをJリーグにて、できるようにしなければいけません。
 
泥臭さこそが日本の特徴
 自分たちのサッカーはポゼッションであり、取られたら取り返すサッカーであると選考時にもメッセージとして伝わってきました。弱点を補ったり、調子の良い選手を活かすということではなく、あくまでストロングポイントを強調する選考です。大久保選手はさすがに世論に押された感はあります。選考したのはサプライズでもなんでもなく、当たり前だ・・とうようなコメントがザックからも聞かれましたが、それまではどうだったんだ?ということも言いたくなります。
 しかしながらその切り札であろう斉藤選手は一切使われずじまいです。もちろん練習から見ている中で使えないとしたからこそ、柿谷選手も使われなかったのでしょう。
 取ったら取り返すサッカーをコンフェデ杯にてイタリア戦での過去の経験が自信になることはなく、ザックだけがその良かった頃の幻影として引きずった状態でした。先取点を奪われてしまう、テストマッチではそこから逆転にて全て勝ったことで、自信になるはずが先取点をとられる失点への恐怖となってしまいました。なでしこジャパンもそうですが、日本の得点シーンは二度とないような神風ゴールなのです。パワーやテクニックは劣りますので、泥臭くそれでいて諦めないことで流し込むような。押されまくっているのに、下手なはずなのに点数は入っているということなのです。それは練習として繰り返してきたパターンではなく、二度と見られないようなその時だからこその決まり方です。
 おそらく、その泥臭さに自信の拠り所を見いだせなかったのではないでしょうか?フィジカル的には画面からだけを見てもアジアの中でもそれほど勝ってはいません。しかしながらアジアでは実際に対戦すると勝っています。それでも神風ゴールの連続によってが多く、個の能力によって得点するというシーンはほとんどありません。
 それがW杯にて急にアイデンティティが無くなり、相手の凄さだけが際立って見えました。具体的には、
・身体を投げ出すプレー
・振り抜く技術
・振り抜けるプレーをつなげるカウンター
このあたりの差は歴然でした。シュート力も個人の力では秀でていても、得点のにおいがしなければロナルドであったとしても入りません。うってもうっても入らないことがある。クロスバーに嫌われたり、そこにキーパーのスーパーセーブを引き出してしまう。やはり個人頼みになるとメッシやロナルドやルーニーを要していても勝てない。名だたるストライカーがW杯でなかなか得点できないことも、珍しくありません。日本でも決めるべきときに決められないと言われていますが、好機に必ず入れているチームはエースばかりが目立っていないことが大切です。アルゼンチンやブラジルは、メッシとネイマールが好調ですが、この2人の場合には周りとのフィットがかなりあるものと思われます。それでも完全に得点の匂いがないところで入れますので、特別ですね。しかしながら、この得点の匂いが無い状況でも入れているという現状が、果たして決勝トーナメントでも出せるのかどうか?チリとの戦いも含めて、南米ゾーンに入ったブラジルは吉と出るか凶とでるか?
 そこに日本のストライカーですので、さらに個で決定的な場面を演出することができないので、ゴールの匂いや流れが無ければ入らないのです。外していることを盛んに指摘されますが、そもそも決定的なチャンスが少なすぎます。その流れを呼び込む嗅覚は本田選手や岡崎選手は秀でています。本田選手は、トータルでみれば低調なパフォーマンスであることも否めませんので、問題点が隠れてしまうことにもつながっています。
 決定的なチャンスとは必然的なプロセスが必要なのです。野球の侍ジャパンが、国際試合ではなかなか点数が入れずジレジレする展開が多いように、日本選手はそもそも4番打者であっても国際試合ではつなぎのバッティングに終始します。つなぎの野球、スモールベースボールと言われている、気持ちをつないで人のために頑張ろうと思えることによって力が発揮できるのです。国際試合のメンタリティは、プロ野球とは全く違うのです。プロ野球などは活躍してなくても実績のある選手は延々と使われることもあり、そのうち活躍することもあり1シーズン終わったらそこそこの数字を出していることもあります。大リーグならあっというまにマイナーです。つまり温情や配慮によって、活躍できていることが多いのです。だから国際試合では国内の格が通用しないので、当たり前の前提が崩れるので、じれじれとした息苦しくなるような試合展開が多くなるのです。
 ではピッチャーは何故に活躍できるのか?誰でも活躍しているわけではなく、野茂、長谷川、松坂?、佐々木、ダルビッシュ、岩隈、田中、などです。高橋や岡島など一時的に活躍できた選手もいますが、定着できている選手はそれぐらいでしょう。このあたりのメンタリティは、まだまだ後進国のサッカーにおいても参考になるでしょう。このピッチャーというのはFWでもないし、守りの要はキャッチャーですので、そうするとピッチャーはMFか?MFに良い選手がでているのはそういうことなのかもしれません。3番4番はスラッガーですので、FWですが日本にはいません。クリーンナップは、チームそのものを背負って立つようなメンタリティも求められます。特に野球の四番目の選手の意味合いが強いリーグ戦とは違い、国際試合の国代表の4番は重圧の質が違います。時にはホームランをここぞというときに打ってくれる選手もいなくては、苦しい試合になってしまいます。
 野球のほうがまだ素質のある選手が、プロでもまだ伸びる環境にあるように思われます。サッカーは現代表においても這い上がってきたタイプが多く、高校時代は全然注目されなかったというような選手が多いのも事実です。海外では小さいときから素質があって、順調に伸びてくる選手も多いように思います。おそらく、本当に力がある選手がそのまま代表に成長していってくれるような育成システムや土壌が必要なのでしょう。その辺りは直に天才扱いをして持て囃したり、周りがちやほやしてしまうのは社会全体の問題と言えます。テレビでもよくわからない芸能人が、応援団長とかで出てくるのはやめてほしいものです。

ワンダーボーイの作り方
リズムとテンポが悪いと、いくら選手が途中で入っても乗っていけません。またリズムとテンポを生み出せるぐらいの選手が日本にはいないというより、作ってこなかったです。ワンダーボーイ、スピードがある選手もいたはずです。チームにモビリティの土壌があれば間違いなく、どの選手でもある程度は活きてくるのです。そのモビリティとはチーム内の競争であり、監督の登用によるものが大きいと思われます。チーム戦術の浸透とともに、選手の良さを活かした臨機応変さを選手も監督も醸成しなければいけません。内田選手がドイツではもっといいプレーができるのに代表では今ひとつ出せないというようなことを言っていましが、それは本田という指揮者次第というチームだからこそなのかもしれません。幾層にも重ねあわせる作業を繰り返し、バームクーヘンかクロワッサンのように選手によって食感が変わってくるようなモビリティ、つまりは格差がチーム内にあっては話に成らない。優勝などと吹聴するのは、高い意識を持ってもらうためにも一時期は有効かと思いますが、言い続けることは個人の目標であり個人課題であるということです。監督が言うならまだしも、本田のコメントが対外的にもメディアを通して選手が知ることになると食傷気味になります。ミランの10番をつけたというタイミングなら効力抜群ですが、落ちてしまっては、それは既に個人の鼓舞するための言葉に過ぎず、その個人の不調によって境遇が変わればコメントもニュアンス変わってしまうのです。本田は一切ぶれていないと言いますが、間違いなく立場が違えば聞こえ方が違うということで同じことです。

成長し続けられるチーム 
 スペインを倒すために5バックのシステムにて勝ち進んだオランダ。同じポゼッションにてスペインに勝てるわけが無く、チーム内のダイナミズムにて精神的なバックアップを作る必要があるのです。層が薄いそのことが最後迄、自らのスタイルに自信を持ちつづけられなかったのであり、あの魔の2分間で2失点も偶然でもなんでもなく、ドイツのときの10分で3失点と同じ精神的に完全に壊されてしまった結果です。もう手の打ちようが無い。完全に呑まれている状況。なんだかサンドバックのように打ち込まれている状況は我々素人から見てもわかります。ジャブがボディブローになって効いてきて、やがて決壊するのです。このような状況になるのは日本特有かもしれません。大漁失点するチームは他にもありますが、ここまで完全に崩されて立て続けに入れられるのはあまりないです。途中で集中力が切れてとか、本当に選手があきらめてしまってというのは海外のチームでありますが、日本の場合には手を抜くという文化はありませんし、全力でやっていての決壊なのです。だから海外のチームでは大量失点してからでも得点の匂いはします。そして1、2点を返します。ちょっと流れが変われば逆にもなりそうな空気があります。しかし日本の場合には、相手が10人になろうと、先発が8人変わって1.5軍になってもやはり自分のペースに持ち込むことはありません。押し込むのではなく押されて俵に足がかかってからの力の発揮となるのです。俵にかかっても重心が落ちていないと押し出されてしまいます。
 バンクーバーOlympicの浅田選手のように、完全に自分自身を見失ってしまった状態では、ありえないミスのオンパレードになります。一度失った自信はみずからのサッカーを・・と、頑張りますが、頑張ると余裕がなくなるのがサッカーです。頑張ってそして疲れて、動きが落ちたときに相手が代わりの交代選手が大物だと、もう不安になって崩されてしまう。これは子供のサッカーに大人の選手が入ってきたかのような状況だと思います。根本的に実力が違うからこそ起きてしまう現象をコートジボワールでもコロンビアでも繰り返しました。
そもそも一対一で勝てない自信がなければ話に成りません。
野球において4番打者がほとんど助っ人のように、振り抜く力が足りません。一番責任のあるストライカーを助っ人に任せていたのでは話に成りません。Jでも和製ストライカーを登用しなければいけません。振り抜ける選手です。裏に抜け出すタイミングがいいと言われている選手で、柿谷しかり古くは柳沢しかり、通用していません。また天才とよばれている宇佐美や柿谷しかり、全く海外では通用しません。振り抜くスピード、合わせて入れるだけではなく、ロングレンジにて打つ技術。楔になって後ろに戻して裏に抜けるという動きを繰り返すFWは全く決まりません。ボールを収めて、さらに前を向けて、個人で抜けられなければ決まらないのです。だから日本のFWは得点が少ないのです。バロテッリもそんな感じですね。能力は高いでしょうが、もっと走って献身的な姿勢でなくては、ボールを貰うのを待っていたのではなかなかボールが回ってきません。
  
未来へ
ザックのダイナミズムはW杯においては多いに発揮されていました。相当のパラダイムシフトがあったはずです。しかしながらそれが本番であったこと、失敗が教訓として直に活かすにはグループリーグのなかで修正するのは難しいこと。そして周りからは、ぶれていると見られてしまったこと。ギリシャ戦の本当に勝たなければいけない土壇場で、わずかに焦りと混乱、そして変革が中途半端でありまた固定メンバーのローテーションに頼ってしまったこと。しかしながら、何よりザックは誠実で全身全霊にて取り組んだこと。それがせめてもの救いだと思われます。結果は勝てませんでしたが、だからこそ次につながる財産になってくると思われます。信じたメンバーがいつもの力を出せなかった・・・いつもの力が低ければそれは当然ということになる。その劣化のメカニズムを脱するためのダイナミズムを、そして本番にはカンフル剤となるヒーローを生み出す土壌を数年にかけて作っておくことだろう。確かに1人の監督が長年勤めると、固着してしまうのは仕方が無い。だからこそ監督を交代するという手も視野に入れなければ行けません。
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