パーソナルセラピストという新しい考え方①

理学療法士として健康増進と予防に必要な要素とは?

健康増進、ヘルスフィットネス、メディカルフィットネス、地域支援事業、特定高齢者、介護予防、デイサービス、メディカルリハビリテーション、

セラピスト、トレーナー、運動指導員、パーソナルトレーナー、インストラクター

ともすれば玉石混合する時代へと突入してきましたが、何がどのように変遷してどこに向かっていて、何が必要で足りないのかということをまとめていきたいと思います。まとまればの話ですが・・・

 運動療法は、腰痛予防に代表される、疾病に対する、筋肉の使い方といった身体の合理的な使い方を学習するためのツールとして理学療法では主に用いられている。つまり特定検診後のメディカルフィットネスなど、健康増進といった分野においては全くスキルがないのである。
 知識と概念はそれほど難しいものではないが、大半は病院や介護現場において携わる職業としては、対象となるべきは患者であり障がい者になる。何かしら治療が必要であるか、後遺症を有した機能障害が存在しているという前提に立っている。
 疾病からの回復における過程が最も得意とされる理学療法において、これからの予防について新たな価値観を創造することが求められる。つまりは我々が考える予防とは身体の合理的な使い方という観点にて評価と細かい昨日解剖をベースとしての指導になるからである。

 特に心と身体、心身に対するアプローチという視点が不可欠であり、フィジカルな側面だけでは健康増進には片手落ちとなります。つまり診断名がついての理学療法ではなく、何かしらの愁訴があるものの、その愁訴は多面的に影響を受けているからです。診断名がついたものにおいても、元来は全身のあらゆる影響を受けて結果的に外科的な処置が不可欠となって部位であり、その部位は既に取り替えしなければADLそのものが危ぶまれるという、nothing or all な状態なのです。よって局所の治療からの広がりとしてのプログラムの構築になります。
 確かに在宅への復帰から逆算して考えるツールも身に付き、その思考はほぼ回復期にいる理学療法士において身につけたといってもいいでしょう。クリニック勤務の理学療法士は機能偏重の考え方になるのは致し方ありません。立場が違うからです。回復期病棟に入院している患者は時間があります。6〜9単位を平均的に実施しているなかで、明らかにクリニック的な痛みをとるというだけでは、とても有意義に時間を活用することができません。つまり、本来は全ての患者において治療と健康増進がミックスしたプログラムが理想なのだと思いますが、クリニックにおいては治療だけが突出してクローズアップされるのです。
 その結果、クリニックにおいてはテクニックが際立ってきます。一瞬による変化です。しかしながら持続時間が短いばかりか、最終的にはフィットネス、体力を上げるという観点は抜け落ちるため、どうも運動療法やスポーツを並行して取り組んでいるほうが良くなることも情報として分かってきます。
 つまり徒手的な治療アプローチが理学療法のメインではないということです。ロコモティブシンドロームや姿勢症候群などの抗重力下における機能障害であることは疑いようなないわけで、一瞬の変化は鍵を掛け違えたものを掛け替える作業であり、根元や柱が壁が崩れているものを根本的に立て直す作業ではないということです。
 
 従来の運動療法はあくまで補強するという観点になります。その筋力強化という太く強くすることで大方の問題は解決するという整形外科的な視点は、協調性やバランスといった視点でみると、筋力だけでは必要充分条件ではないということが事実として出てくるのです。集合体としての表象において齟齬がでてしまうということです。わかりやすくいうと、脳卒中において筋力強化が急性期においては必ずしも絶対ではなく、身体表象といった脳内イメージに対する構築が前提としてなければならないということです。ただし、廃用や活動の拡大といった視点においては、身体表象からのアプローチだけでは不十分であり、能動的なアプローチとフィットネスを高めることが生活の幅を拡げてくれる礎となります。

昔は情報も少なく、本当に悪くなるまで我慢するという文化があったのかもしれません。本当に痛くて辛くて仕方ないといったときに、病院や整体が選択肢となってのでしょう。今でもそういった傾向はゼロではないと思いますが、情報化によるより健康意識が高まり、ある程度は未然に防ぐということの視点は全国民が持っているといっていいでしょう。

そして実は他動的な施術によって良くなるといったことでなくても、実は自らでコントロールできることもあるということが分かってきました。患者さんでもテレビのある運動を続けていると良くなった、通販の健康器具を使うことで良くなったといった声が珍しくないはずです。

 最近は整体の本をみても、運動療法が必ず入っています。これも時代であり、明らかに自らどのように健康を維持して増進していくかという価値観が根付いているのです。そこには依存的な治療からの脱却があります。陶酔してくれる患者さんも当然いますが、それは本当に治療として治してくれたという場合と、心理的に依存性があるということの両面があると思われます。その全てではない賞賛してくれる患者のネタをこれ見よがしに誇張すれば、さもありなんと見えてきます。ある程度経験のあるセラピストであれば、その一瞬の変化を出すこと、徒手療法など他動的なアプローチのみではリハビリテーションの理念を体現することができないのです。医療と介護の我が国の現状を鑑みて、せまりくる社会保障費の高騰の原因に対する取り組みを担う国家資格としての責務を前提とすると、明らかに行政の一員となって取り組む視点を持ちながらの治療家という新たな人材が求められる時代となっているのです。

マンツーマンにて治療をするセラピストから、介護予防では集団的なアプローチでも適応となるコンセプトになってきます。個別への配慮はありつつも基本的には、集団的なアプローチとなります。しかしながら、理学療法士はどうしても集団的な体操という視点だけでは、どうしても個別への問題点を網羅できないことを知っています。よってパーソナルトレーナーとしての視点がもう少し我々の得意とする分野に近くなります。
 おそらく理学療法士が考える予防とは、よりパーソナルな状況に近いということになるのでしょう。
 
 果たしてそれは身体の使い方という単発の治療的な感覚でいいのだろうか?問題は継続的に段階的にステップアップしていく過程をしっかりと計画をたててすすめていく、トータルコーディネーターとしての素養が必要となってきます。フィジカルな要素においてはボディーワークが医療に違和感なく入ってきていますが、これはあくまで一つのコンセプトであり、そのコンセプトの効果については文献などで証明されているとしても、使う側のセラピストつまりトータルコーディネーターとしてのパーソナルセラピスト!ようやく表題に追いつきましたが、医療でも介護でもない、治療家でもない、ボディーワーカーでもない、新たなセラピスト像としての創造が必要なのです。

 理学療法士は例えばある方法だけとか、あるコンセプトだけを提供するための職業ではありません。つまりは、その人にあった一番必要な要素を組み込んで、治療のためのプログラムを提供するということを旨としています。
 しかしながら予防のためのプログラムというのはあるのだろうか?これは言葉としては一人歩きしていますが、実際には理学療法の業界には何も無いのです。制度や概念が一人歩きして、実際にはその実践する場であるOJTができないのです。これは机上の勉強だけではどうしようもない領域となるのです。

 ボディーワークのインストラクターのライセンスを取得した目的も、インストラクターとしてのスキルでした。本格的に時間とお金を使って本気を出さなければインストラクターとしてのスキルは身に付かないということを思い知っての取り組みでした。それまでも運動連鎖アプローチとして治療には携わっていて、それなりに効果を出してはいたものの、どうしても筋力トレーニングお延長線上だけでは限界を感じたのです。この筋力強化の派生がstabilityであり、体軸になるわけですが、さらに汎用性と実用性を高めるためには、明らかにフィットネストレーナーの領域になってくるのです。

例えば介護予防においても、既に要支援1・2の利用者さんがそのサービスを受けていますが、理学療法士はもっぱら評価要員であり、運動指導や補助は運動指導の専門家や人たちがメインとなっているところも多いと思います。またマシントレーニングをメニューに取り入れています。効果の是非はやってみないとわからないことがあるもので、例えばおパーキンソン病の人では医療のリハビリにおいては間違いなく導入しないであろうことも、プログラムとして決まっているからということでルーチン化させています。ところが、以外や以外できないと思っていたことが結構できたりします。医療従事者からすると怖くてできないなと思えることでも、実際にやってみよーということでトライする機会になります。
 つまりは頭では高齢者にマシンなんて・・・という先入観はあるものの、実際には食わず嫌いというか、我々がリスク管理という名の下に潜在的な能力を引き出せていないだけなのかもしれないと考えさせられたものです。

ちょっと長くなりましたので稿を変えたいと思います。つづく・・

スポンサーサイト

コメント:0

コメントの投稿

トラックバック:0