運動連鎖道場in米子スタート

運動連鎖の原理原則を習得する



平成26年度、新年度となり新しい運動連鎖道場が開始となりました。鳥取県の米子にあります、米子東病院をお借りしての4ヶ月コースです。鳥取だけでなく、四国や広島、岡山など近隣からの参加もあり、山陰地方での初めての試みがスタートしました。鳥取県は理学療法士の数が47都道府県のなかでも,
決して多くなく、リハビリの学校も一つしかないとのことです。

鳥取は私の実家のある兵庫県から智頭線という線路にて一本なのですが、乗り換えもありますので約3時間かかります。
米子には大山という風光明媚な山があり、国立公園にも指定されています。
土曜日の午後からのスタートで、20名の参加者での開始です。

テーマは足と膝の運動連鎖ですが、オープニングということもあり、テクニカルセミナーではなく、考え方と臨床思考過程、臨床推論、そして自らが身体の新たな法則を見つけ出せる、スキルを身につけることを目的とします。

自らが毎回、患者を通して身体法則や恒常性を保つためのシステムを発見できるようになれば、それはオリジナルであり、サイエンスと科学をリードすることができるのです。臨床は常にアイデアと発見の連続であり、それは学術的な場面をリードすることが理想なのです。学術が臨床をリードするという側面もありますが、グブアンドテイクの関係になってこそ、より業界の発展につながってくるのです。

自らが身体法則を見つけ出せる力を養うことで、あらゆる治療方法やテクニカルはあくまで一つの手段となります。つまり、何とか~法が目的にはならないのです。よってあらゆる治療方法は並列にカテゴライズされ、理念によって統括されるのです。目的は理念に沿ってであり、手段は各種治療方法を取捨選択するということです。このリハビリ業界の大きな問題は、手段が際立つことで、それぞれに山がとんがってしまい、尾根と峰にてつながっていないということです。最近はコラボということで交流も盛んになりつつありますが、伝統や文化というものは払拭することはできません。
つまり、本来はリハビリテーションであり、身体機能の改善、動きやすい身体作り、というような理念のもとに、各種治療コンセプトが理念の基に並ばなければいけないのですが、それはこだわりと積み上げてきた実績や功績などプライドがあるため、そう簡単に他の方法論と並び立つことを良しとできません。
 俺の方が・・・この方法こそが真理だ・・・というような考え方をいい加減改めなければ、歴史を繰り返しているだけです。名人はいても構いませんが、その名人が、特別な存在として崇拝されるようであれば、それはもはや医学ではないのです。

 結果としてでてくるテクニカルは、明確な臨床思考過程をもって表現し、そして身体の機能的なシステムを解明するための礎になるべきものでなくてはならないのです。よって、その結果が出せるように変化を出せるようになるというその過程を示し、その考え方とロジッックを説明することで、その臨床思考過程の塾度によって臨床力は高まるのだということを強調していくことが道場の最大の目的となります。

テクニカルセミナーは理念なきところには、1人のセラピストが臨床かとして自己確立していくことを考えると、かえって迷走を招く根源となってしまうのです。つまり、あるテクニカルをレクチャーする人は、そのテーマを話すことが目的であり、そして参加者もそれを聞きにきています。当然、翌日からは習った技術を試すことになります。

しかしやがて、いくつものセミナーの参加するようになると、毎回習ったことを試すということの繰り返しは、各種ある方法論の使い分けと統合と解釈というところで大きな壁にぶち当たります。

私も昔は毎週のように違う研修会に参加することで、アイデンティティクライストに陥ることがありました。あれもこれもいいと行っている。真逆のコンセプトさえも効果的であると説明している。例えば、素直な陸上選手が、会う人会う人に、いろいろアドバイスをもらううちに、どうやって走ったらいいのか分からなくなったという選手がいました。アドバイスする人は善かれと思って、自分がいいと思うランニング理論を話すのですが、どれも間違いではないのでしょう。しかしながら、自分というフィルターを通して取捨選択していかなければ結局はものにならないのです。教える側は比較的偏った思考の持ち主だったり、これをやっとけばいいんだ~という、だ~!短絡的な割り切り方ができる、思い込みの気質を持っていることが多いのです。しかしながら真の臨床家は、あらゆる可能性を排除せず、まだまだ自分は学ぶべきことがあるという謙虚さを持ち合わせています。不思議なことに、思い込みの強さとは能力なのです。言い切るということの難しさは、相当の確信と自信か、それとも思い込めるかというどれかになるのです。

つまりあらゆる治療方法や理論は、一つの手段として取り込めばいいのです。そのためには一つ一つの方法が、いきつく頂が見ていなければ、どこに向かっていけばいいのか分からなくなります。明確な道筋があるからこそ、勇気をもって鼓舞して歩んでいけるのであって、ゴールが見えないなかで歩むことほど辛いものは無いのです。そのゴールとは頂とは理念になるのです。

抗重力下における姿勢制御能力
この概念にノーを突きつけることはできないでしょう。つまり抗重力下において動きやすい身体づくり、コントロールできるための制御能力を獲得するために、理学療法士はリハビリテーションの理念を基に、治療を提供する。そのための手段としてA・B・Cという方法があるということなのです。そうすると、一つ一つの方法を大層にもったいぶって、価値あるものだと誇大に吹聴する必要がなくなるのです。

そうすると驚くように、技術や方法が身に付くようになります。理解できるようになるのです。現に私は理学療法士として理学療法だけを勉強していれば、きっとそのようなスタンスや考え方、そして技術の習得には至らなかったでしょう。私自身は理学療法のなかで技術セミナーはほとんど受けたことがありませんが、ほぼどの方法でも上手く扱える自信はあります。それは自慢でも何でも無くて、普遍的な身体法則の原理原則を理解しておくことで、あとは応用なのです。何ごとも基本が大事なのであって、その基本を抜きにして方法だけを教えようとするセミナーが増えていることは、後退の何ものでもありません。

まずは米子での20名の道場生の皆さん、ともに4ヶ月間研鑽をしていきましょう!
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