自立・独立における功罪

地道に根を張って歩んでいくことの難しさ

 昨今、自立して何かをやろうとするセラピストが多くなってきました。それは個人個人が問題ということではなく、あらゆる環境や条件によって起こりうる必然と言えます。この必然が時代の要請であるとするならば、仕方が無いところなのですが、法律やルールといったところに抵触してしまえば大義名分は損なわれます。理学療法士は国家資格であり、そして医療従事者であり、治しているという自負を持っています。治すのではなくお手伝いする、完治させられるわけではないのでその人の最大限の潜在能力を引き出すということをスタンスとする、などなど、その都度、振り子が振れるように論議が行ったり来たりします。このスタンスはどのように議論してみても、それはその人の心の持ちようによる利用者や患者さんに対する対応や考え方が全く違ってくるとも言えますが、そのどちらであったとしても患者側からすると、その差はよくわからないか、どちらの対象者もいるのです。よって立場や患者さんのニーズによって、どちらが正しいかは言えません。医師が家庭医もいれば大学病院の先生もいるわけで、その役割と立場が違いますので、必ずしも一つのスタンスで統一できるわけではありません。

いずれにせよ、大学が80余、そして専門学校が200余もあるなかで、どのような教育課程を経ても、コストをとるマンパワーとしての役割から脱せれないことの矛盾は若かろうと誰もが感じることでしょう。そして、役割は主体的な判断や方針をたてるということではなく、どちらかというと業務を遂行するというスタンスです。そのことがネガティブな要因ととらえることもないのかもしれませんが、自分のやりたいことや自分を表現するということからズレてくるのかもしれません。私のように既に自営をしているものでは、実感できない感覚であろうと思われます。

頑張った人が報われる業界の実現という、世間一般的にも言える同じことが理学療法にものしかかっているのです。既に立場や地位を確立しているベテランや施設長の方々は、我々の将来と未来のために職能活動を先頭に立って取り組んでいただいています。つまり臨床叩き上げにて施設長になった理学療法士は既に50〜60歳になるわけです。学術重視の業界が偏重となっていたことは否めません。その学術の先頭に立っている人が中心であった業界も、職能をどのように拡げていくかという新たな課題の前には、また別の役割の人材が必要とされます。それがおそらく各県士会にてあらゆる役割を果たしている人であり、そして臨床の現場にて長く勤め上げている人たちなのです。やる気とエネルギーがあるから飛び出して新たな道を開いていることも間違いないと思いますし、その若さのエネルギーとして押し込めておくことは不可能です。

医師が医師を辞めるということを聞いたことがありません。
看護師は辞めてしまう人が多いと聞きます。
理学療法士は理学療法士を辞めることはできないというスタンスですが、作業療法士は必ずしもそうではないということを耳にすることがあります。
つまり医師や社会的役割や立場上辞めるに値しない職業、つまり続けることにより多くの何かが得られるということです。看護師は夜勤などにより給与は比較的な高い職業ですが、その激務が故に辞めてしまうのでしょう。柔道整復師や鍼灸師は、他の職業からのトラバーユや既に医療資格を有しながらのセカンドライセンスとして取得することがあります。しかしながら、柔道整復師や鍼灸師が病院勤務できる比率は低く、また独立開業するための権利はあるものの、当然全員が開業して成り立つわけではありません。よって、資格を有していても活用していない人も多く、それは健康運動指導士においても同じことでしょう。資格取得によるキャリアアップとしての位置づけであり、その職業を何としてでも全うしていこうとするには、余程のメリットか選択肢として限定されているということが条件となります。つまり続けるということの条件としては、自分にとってもメリットが高いということが必要不可欠であり、尚且つ、それで何が何でも食っていくしかないという覚悟と境遇もあるということです。

選択の余地があるのではなく、選択の余地がないという状況が人を伸ばして行く条件になります。つまり能力があるということは選択肢が多いということであり、一見それは素晴らしいことにも思えます。しかしながら選択肢が多いということは、何もこの仕事を、この分野を、我慢して続ける筋合いはないということになります。

何故にこれほどまでに若くして、独立して何かをやろうとする流れが傾いているのかはわかりません。先駆者がそそのかしているのか、それとも理学療法士として勤務することの魅力が薄れているのか?もしかしたら、他の分野でも能力を存分に発揮できる、活躍できる能力のある人が、独立という選択をするのかもしれません。独立心があり自立心があるということは、ある意味素晴らしいことであり、もしかしたら誰もがどのような立場であれ、目指すは自立した自分であるかもしれません。

ちょっとばかし目立ちたがりやで、カッコをつけたいとする気持ち、派手に活躍したい、注目されたいと思ってしまう、そのちょっとした若者であれば、誰もがある気持ちが、この時代に上手くハマるかどうかはわかりません。タイミングだけの問題なのですが、時に決められたルールから外れていれば、忘れていたでは済まされないということになります。今の時代はドーピング一つとっても、風邪薬一つ飲むにしても最新の注意が必要とされているようです。誰もが悪気があるはずはなくても、実際に意図的に服用している人がいる限りはルールのハードルを下げるわけにはいきません。

ただ自分のやりたいように、誰の迷惑もかけずに、新たなビジネスとして確立したい。病院のあらゆるルールブックから、自らが社会に対してアクションを起こしていくというこの取り組みは今に始まったことではありませんが、起業が新しい価値観を創造するというよりも、セミナービジネスが乱立することになりました。セミナーはとても大切であり、教育ということの必要性はいくまでもありません。勉強したいという想いがある業界であるからこそ、伸びしろがあるのであり、将来性もあります。そこに着目してビジネスを起こしていくことは自然の流れなのでしょう。しかしながら、このビジネスモデルはあらゆる欲求を満たしてくれるかのような陶酔があり、そしてその大義名分はやがて医療という枠を越えて、実は重大な法律違反を起こしていることに気がつかないという落とし穴があるのです。名目は誰もが一度は考える「儲けたい」というその方法が、理学療法士でありながら達成できるというモデル、しかしながらそのモデルは本来培ってきた学術力と技術の研鑽、そして患者さんのためにという一番の心を置き去りにしていくことになるのです。
 理学療法や治療が単なる儲けるための手段となり、そして患者は結果を出すための対象となってしまうのです。そこにコメントや書き込みをしている文体には、自らを賞賛する言葉しか見当たりません。

対して注目に値しない、社会的にも目立っていない、影響力が少ないからこそ、自由にてきて、何にも抵触しないと思ってしまう独立開業。独立開業を旗印に叫ぶ起業に、実はその法律に背いているという文言はいっさい口にしません。
患者サービスとして医療の法制度の狭間にあるクライアントがおり、そしてニーズもあるので極々自然に独立開業して治療院を開けばいいという発想に至ります。知人や近所の人から、身体を見てくれと言われたことは誰もがあるでしょう。被災地支援において医師の指示がないからといって、一切のリハビリ行為をしないということは人道的な観点からも逆に非難されるでしょう。というより、その状況においては致し方ないということで、そこまで追求することは暗黙のうちにタブーとなるということです。その延長線上に開業という気持ちに傾くことは、本当に自己実現として自然なことなので、誰も疑いをもつことはありません。理念として崇高であり、そして尚且つコンプライアンスにおいても十分に遵守し、それでも尚且つ法律上完全に白ではないということを認識しなければいけないのです。
 白ではないのであれば避けるべきですが、あらゆる社会的ニーズがあることにおいて、それは既成事実となって来るべき権利獲得のための邪魔をしない、追い風となる、力になれるような気持ちが必要なのです。
 それが、あくまで自分本意に、ビジネスモデルの一つの手段として、「結果をだす、出せる」と自ら自画自賛するための道具とするならば、そして理学療法を利用!!するならば、いずれ規制がかかり法的な取り締まりが行われることになるでしょう。その時に崇高な理念を持って独立している人たちにも、大きなダメージと影響を与えます。外からは崇高な理念と手続きを踏んだとしても、結局はシステムそのものは同じであるため差別化ができないのです。
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