情動社会

気持ち、情動が世の中を動かしている時代

 不快でない、聞こえのいい表現、一言一句に気をつけながら発しなければいけないかのような、そんな強迫観念にも似た心情になってしまう今日この頃です。
 また、メディア向けの模範解答は、ある意味大衆が納得する、支持を受ける、気分を不快にさせないという類いのものです。

それは模範回答としての面接テクニックのようなもので、一発勝負の印象であればそれでいいですが、毎回、毎回、誰もが同じようなプロトタイプの応え方にうんざりするときもあります。つまり機械的におうむ返しであり、そこには条件反射のように出てくるわけで、本当の気持ちや心情が反映されている確立が下がってくるのです。

オリンピックがいい例で、もちろんオリンピックは国民の期待!が何百倍にも跳ね上がります。しかしながら、感謝の気持ちをもめて、支えてくださった方に恩返しを、オリンピックならではの強調されるフレーズ。通常の大会であれば勝つことに徹することもできると思いますが、オリンピックになると途端に全く違うものを求められることで魔物となるのです。つまり魔物とは、いつもと違う自分になってしまうこと、自分の本心を曝け出せないこと、注目を浴びすぎてペースが崩れることなのです。

 本来は力を出すためには、本当に1人で考えて行き着いた結論や心境であることが、生きた言葉となって人に伝わるのであり、自分自身を保つことができる最良の手段なのです。

 歴史的にみると、時代は人の情動にて左右されてきたことは間違いありません。それが1人の独裁者ではなく、大衆の意をもって決めようと多くの歴史の変遷と尽力により、ここまできたのです。しかしながら、何事もどのような素晴らしい理念であったとしても、それは規則でありうる一つの価値観でしかないと言えます。よって、時代が違えば輝けた人たちが埋没してしまうこともあります。大衆の原理が各国によって各々違うように、何かが一つ掛け違えばいかようにも変じた可能性があるのです。

SNS全盛の時代において、この気持ちと情動の渦がかつて無いほどに巻き起こっています。権力や力によって、また社会的に抑圧されている人たちの、自己主張としての役割も担っています。時代はいつでもコンプレックスや怨恨や嫉妬などから、ファシストやイデオロギーに至ることが多々あります。

平和や安定、裕福なときに、湧き出るエネルギーは往々にして低調に推移します。何故なら、達成される人生の目的そのものが、平和であり安定であるからです。しかしながら物金にて作られた安定や達成は、その背景が無くなれば一気に崩れ去ります。そしてその砂上の城を一生懸命守るために人は、どんどん不安になっていくという特徴を持っています。疑心暗鬼になって、周りを信用できなくなる。自分のものを全て狙っているんではないかという気持ち、この心境ははっきり言ってあまり分かりませんが、自分の予想を越えたレベルにて想定の範囲を越えてしまうと、人は危機感をもってしまうのです。下から這い上がる時や追い上げるときは上昇気流ですので怖いものがありませんが、登ってしまうと上昇気流ではなく滞空しなければいけなくなります。そこからさらに上昇するためには、さらに大きな噴射が必要とされ、そのためにはさらに登っていくためのエネルギーと力が必要となってくるのです。

今は生活がある一定程度保証されると、「気分」がクローズアップされてきます。別に周りの何が変わったわけではないのですが、気分を害されることが最も不快となるのです。もっと貧しい時代もあったとは思いますが、肉体的、精神的な困窮ではなく、気分というものが基準となります。

メディアをみていると、本当に言葉狩りという表現があるように、言葉の端々の揚げ足をとるかのように一字一句を狩っていきます。

そして、そのうち過激な表現や単語が抑制され、どんどん表現として無難なものに落ち着いていきます。個が際だつと必ず、面白くないと思う人たちがいます。つまり個性とは異質であり、相容れない人たちを触発してしまうのです。その感情のレベルが高い一部の人たちの層が強烈に発信するだけで、世論は大きく誘導されていきます。その他、別にそれほど思わない人たちにとって、強く言いきられると反論する理由もないということもあった、黙るしかありません。つまり、そこには、あたかも大衆の総意であるかのように錯覚しますが、どうでもいい、どっちでもいいと思っている人が大半なのです。しかしながら言われるとそれは確かにそうだよな・・と思われることがあります。そのような主張が五万と蔓延している現代において、一体どれだけのことに頭を意識を向けていなければいけないのか?覚えておいてほしい、忘れないでほしい、それは日常の多くの出来事に、ニュースにトピックスに中和されていくのです。
しかしながら、常に話題にすることのみが形として表すことのみが忘れないということではありません。いざというときに、間違いなくその記憶はリアルタイムにトリガーとして起動することでしょう。
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