これからの理学療法士に求められるスキル

地域包括ケアシステム研修会


3月9日神奈川士会の主催する、地域包括ケアシステム研修会に協会の理事として参加しました。ご存知の方も多いと思いますが2025年問題としても時として語られる、いわゆる団塊の世代が75歳後期高齢者に一斉に突入することにおける社会保障費および医療と地域の在り方の問題です。

今回は定員が50名となっていましたが、明らかに100名以上の士会員の参加者がいたとのではないかというほどの盛況ぶりでした。
プログラムとしては神奈川県保健福祉局福祉部の高齢社会課長である小島誉寿氏と、日本理学療法士協会地域包括ケアシステム推進対策部長の森本榮氏の両名による研修会です。
現在、理学療法士協会では47都道府県に地域包括ケアシステムの理学療法士としての取り組みを推進するべく、会長および理事が全国行脚している最中です。まさに現在平成26年度に一気にスタートダッシュを47都道府県足並み揃えてスタートすることが求められているのです。これは努力目標ではありません。あくまで達成義務といってもいい課題なのです。

具体的に何をしなければ行けないのか?ピンとこないところがあると思いますが、我々の命運を握っているといってもいい岐路に立っている、その一大事業なのです。

理学療法士の歴史は学術とともに発展してきました。まもなく50年を迎えようとする理学療法士協会。コスト面や運営面、そして地域とのつながりやコーディネートなど、過去にはないスキルが求められてきている時代です。
もちろん若いときにはしっかりと治療技術と知識そして学会発表を通じての学術スキルを身につけることが求められます。まずは専門家としてその領域は必須となります。この学術部門として治療技術や知識は一括してもいいでしょう。そのならびに研究発表があります。

しかし現代はもう一つ違うスキルが必要とされています。
それが、先にも述べた
    ①コーディネーター能力
    ②他職種協働における協調能力・リーダーシップ
    ③サービス開発能力
になります


これは今後、地域ケア会議などに積極的に参加して行政の窓口としての、受け皿として役割をにらんでのものです。つまり、どんなに素晴らしい治療をするといっても在宅や生活に戻るという前提にたっているわけで、それは特に高齢者や機能障害を有した利用者さんのことを考えると急務といえます。

病院に来てもらわなければサービスを受けてもらえない、それではいつまでたっても我々の能力を社会に発展的に活かすことができません。いまでも十分に貢献して国民の義務を果たしているわけですが、さらにもっと活かし方があるのではないでしょうか?ということです。
 
 特に社会保障費の高騰という問題に臨むにあたって、理学療法士としてどのような活かし方があるのかという視点にて考えるのです。
 その結論が治療技術だけにとどまらないということです。もっと高めれば・・・ということもあるでしょうが、既に先人の先輩達も含め素晴らしい治療家は沢山います。また研修会や各種治療方法の団体も沢山あり、このままの努力を邁進していくことは必須です。しかしながら、果たしてこのような治療技術という観点だけの考え方で未来は開けるでしょう?必要条件ではあるが必要十分条件ではないといえます。若い人にいきなり社会的な視点やコーディネート能力、よって勉強ばかりしても駄目だというわけではありません。10年間はしっかりと基礎を身につけ、その次の10年で社会との関わりを覚え、そして次の10年で業界の社会のためのリーダーシップをとれるようにするというぐらいのスパンが必要です。

 若くて治療技術のあるセラピストも沢山いますが、少なくともそれがあくまで噂でしかないわけで、それは私も含めてです。すごいですよ!ということを吹聴したり、自分で言わなければ周りには分からないのです。
今はFBなどがありますので、自称でいくらでもブランディングできます。しかしながら臨床経験、社会経験というどうしようもない壁もあるわけで、明らかにその若くて秀でたものが歪なバランスを形成していることが多々あります。ジャッジをうけないその自称は非常に偏っているのです。そのことは認めなければいけません。

あくまで一分野、一教科において得意ということであって、センター試験のマルチな点数の取り方ができることが地域包括ケアシステムでは求められているのです。しかしながら、最初から私立を狙って教科を絞ることもできれば、国立を狙ってセンター試験対策をすることもできます。どちらがいいということではなく、これからはセンター試験タイプの人材が多く求められるということです。専門家としての私大型も大切であることは間違いありませんので誤解なく。

 ということは私大型の人が、あながち国公立タイプの人を非難するのもナンセンスですし、逆もしかりです。そしてある教科が得意な人が、それができて当然だという指摘も的を得ていないことがわかります。
つまりは治療技術としての秀でたことが特別感をもって見られたり、そのように誇張することもおかしなことですよということです。しかしながら技術というのは特別な技術を、力を持っているというふうに誤解したくなります。特別な人間だというふうに思ってしまうということです。
 自己顕示欲が高く、尖ったタイプの人に多いのですが、確かに一生懸命勉強しているという自負もあるでしょう。しかしながら、東大生があまり東大生であることを吹聴しないのは、その東大というネーミングからでる神通力を知っているが故に、それは他者から自然に指摘されるということのスタンスをとるのです。

ところが過去にそのように賞賛されたことがないコンプレックスは、その後のある特化した知識と技術の習得によって、人よりも秀でたことの快感に酔いしれることになります。未経験だからこそ、その反動ですね。

このようなカルマに陥った技術偏重の世界観からは、リハビリ業界を変えようというアドバルーンは上げても、実現は不可能に近いのです。

あくまで自己の中の満足と基準であって、そして同業界の中での評価である井の中の蛙だからです。よって経験年が10年といわないまでも、その立場にある人は次のステージ、公益としての次元に進まなければいけません。これは自戒の念もこめて言っていますので、誰かを指していっているわけではありません。

 例えば病院のなかの常識は社会では通用しない・・・とよく言われますが、外に出なければ必要ないことです。そのままの位に中の蛙で終わることもできるわけで、井の中から出ないのであれば外の世界に合わせる必要もありません。しかしながら、指導的立場に立つ人は井の中の蛙では困るわけです。きっかけは治療技術であったとしても、その後に立場が新たなステージに向かうためのきっかけにしなければならないのです。

 相変わらずの脱線ですが、PDCAサイクルを普段から自然に仕事の中で実践している理学療法士は、このPDCAサイクルという言葉が出てきたときに、当たり前の概念が目の前に出てきたと、そしてこれが社会の仕組みとして必要であることが唱えられたときに、既にその実践を通してスキルを有している理学療法士は、地域のなかにある医療と介護というフレームにて考える新しい医療概念において、率先的に医療従事者のなかでもリーダーシップをとれる実践者となりうるのです。能力を持っているからこそ、あとはOJTあるのみです。On the job training。 現在、臨床実習にて行われているクリニカルクラークシップ(clinical clerkship)そのものです。

 介護現場や在宅において、理学療法士は、何が問題かの根本原因をしっかりと見極めて対処しようとするトレーニングがされています。そのことそのものが、理念と考え方そのものが専門性であり、社会にとっても貴重な人材となりうるのです。もちろん経験と知識と技術の積み重ねも必要ですが、すでに自分の元々持っている教育と、そして学んだことに誇りを持つことです。自信は誇りがなければもてなければ、醸成されないのです。

 自信を持てるものを既に持っているという認識がないからこそ、自信がないのです。そのアイデンティティクライストは、不安と焦燥を駆り立て、そして結果の出る・・・何たらという威勢のいい文言を拠り所にしてしまうのです。
つまりは、その自信が今までは学術になってきたわけですが、残念ながらカリスマ的なセラピストに依存する歴史をも生んできたわけです。その温床があっての講習会事業の隆盛ということになります。カリスマ的な先生は目標であり憧れです、そのようになりたいと夢を見させてくれます。しかしながら、その先は、結局は並び立つことは不可能に近いという現実です。日本はもともとは弟子と師匠の関係という伝統を持っています。つまり師匠から暖簾分けや引き継がれるのは一子相伝のような文化があります。フランチャイズとは違って暖簾分けは職人的な遺伝子があります。しかしながら、時代はかわり医療のなかにおける理学療法士は、暖簾分けの要素も引き継ぎながら、制度のなかに組み込んでいくためのシステムが平行しなければなりません。

引き継ぐのは技術のような目の前の患者を良くするという大義名分は否定しないまでも、50年間積み上げたことによる恩恵は既にあるのです。しかしながら、それだけでは当然満足しない会員の人たちが新たな試みをしていくことは当然です。結果的に、ある技術に特化した考え方を強要しても広まらないということです。言われてみればそれは大切ですが、では他の全ての考え方も全て習得していますか?と言われれば全ての人はNoです。
 治せるようになれば腕があれば社会に認められるという、そのロジックで理学療法士の地位や職能までにも拡大解釈するのはどうやら間違いです。
間違いというのは言い過ぎだとしても、これ以上の成果は上がらないということです。
 PDCAサイクルという思考と、リハビリテーションという理念、そしてあらゆる職種や患者の間に立ってバランサーとしての役割を果たせるスキル!このことを自覚して自信をもつことです。一つのスキルを持っていい悪い、痛みがとれるから凄いというロジカルから転換しましょう。

その蓄積されたスキルは引き継ぎながら、社会へのステップを踏むのです。
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コメント:2

やま
筆者はわかっているけど読者にはわかりにくい表現を避け、
読者に「全部読むのが面倒だな~」と思われない程度に簡潔に、
しかし、伝えるべきことは明快に伝わる

そういう文章を書くのも必要なスキルだと思います。

こうじ
今自分が取り組んでいることなので、とてもよくわかりました!
ありがとうございました!

まだまだ、イメージも含めて理解できる方は少ないと思いますが、この分野でも活躍される方が増えることを願います!

ただいまOJTの、修業の真っ只中です!

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