利益と成果

Category: 人生訓
利益をだす!


利益・・

タブーではないが表立ってお金の話をしないという風潮が世界的にみてある。

びらびらと懐から札束を見せびらかす人を見て、快く思う人はあまりいないだろう。

どういうことかというと、お金は大切であるということは明らかですが、その弊害も歴史が物語っているからだ。

お金にまつわる失敗の繰り返し、その学習をもって人はその麻薬ともいえるお金というものへのつき合い方を考えているのです。

昔の建造物というのは、1人の王様が支配していた時代をみると、おおよそ公共事業とはいいがたい、とんでもない建造物が遺構として残っている。これも一重に大衆の総意ではなく、あくまで個人的な思いつきからが大半だろう。


さて話を戻しますが、現在、国益というキーワードにて国際情勢をみることで、行動指針が明らかになるところがある。

大衆誘導に対するメディアやマスコミへの不信はここ最近一気に高まっており、そのことに対してまだモラルハザード状態なのが当事者であるメディアということになる。全て真実を伝えているとは思えない、そのように大半の人は思っている。
番組のやらせ問題や、作り方などの裏が分かってくると、どんどん大衆が離れていっている。

結局は個人にてどのように考え、行動するか!ということになってくる。

政治家や評論家にたいしてもそう・・

信頼できる、一票いれようと思える候補者が出てこない。

それは自分が立候補したらどうなんだ?という回答においても、おおよそ入れたいと思わないことを考えると人ごとではないですね。


利益の上がらないものへの投資は無い!

資本主義の原則だ!

しかしながら、利益偏重の弊害もあり、時として、人の心を蝕むことになる。

本来、人は共感の生き物であり、それは動物も例外ではない。

利益は報酬ともとれるわけで、ご褒美としてのドーパミンがドバッとでる。

報酬とはお金となるわけですが、この金金という風潮には時としてヘキヘキすることだろう。

何を甘いことを言っているんだ?

いわゆるイケイケどんどんの時は当然そうだろう。

多くの人たちが成功者には群がってきて、それ至福の時を迎えることになる。

元はと言えば、資本主義と社会主義の冷戦時代があったわけですが、それが今では共産主義という名の下に、何でも反対と唱えるイメージがついている。

社会平等がいいに決まっているのに、実際は資本主義の優位性が際立っている。

皆が平等という理念のために、一生懸命働くようにはできていない…というのが人間の脳の本質なのだろう。

ところが能力主義と言う名のもとに、人事考課がはいってきたときには、やっと頑張っている人が、報われる世の中が来たと思いきや、なんだが形骸化している。

つまり、人事考課とは何かの査定基準が必要なわけで、誰かの査定を受けなければならないのだ。何を持って成果とするべきなのか?

結局、この人事考課は自らの貢献度や努力が反映される実感はない。数字で全て評価されるセールスマンであれば、それは割り切れるであろうが、医療においては売り上げといっても全体の組織であって、そして病床数が決まっていればその売り上げへの努力はリハビリだけでなく事務方の仕事でもある。

よってよりダイレクトに自らの責任にてリアルにリターンが帰ってくるもの作りという方向に活路を見いだすことになる。

それが技術や知識や研究ということになる。それぞれの形は違えども、もの作り、つまり実感が伴った中での成果ということなのです。

そして、研修会の開催と講師活動により、そのダイレクトな社会的評価と成果を実感することになります。

私も20歳代のときに、自分がいまどのレベルにあるのか?どこまで伸びているのか?の物差しがまったくありませんでした。あくまで自分はやっているという自己満足でしかないからです。

肩書き

試験やライセンスがあればそのは肩書きとして履歴書にのりますが、それさえも過去の取得履歴となります。

しかしながら肩書きは、その人の歩んできた歴史てもあるわけで、それが勲章のようになって世の中は成り立っているのです。私はその価値はわかりませんが、叙勲を受けるということに対してかなりのこだわりのある方は多いとききますが、その叙勲という名誉が自らを愛でる、自らを讃える、ご褒美としての具現化なのだと思われます。

地位と名誉・・・このことに時に勢力争いと権力争いが繰り広げられてきた歴史があることも事実です。


友達を作る・・・

学校においてはまさにこの友達をつくるということにかなりのウエイトがおかれている。

勉強をするところだ!というのはもちろん大義だが、実際には中高生をみていると友達関係の大切さは譲れない。

社会人になれば友達を作るという意味は薄れてきて、同僚としてパートナーとしていい仕事をする関係になる。

それでも同僚に恵まれなければ、楽しく仕事はできないだろう。

コロニーをつくって家族があって、既に人は1人ではいけないことを考えても、共感を求めるということが前提にあるのは明らかだ。

極端な話子供に親は必要ありませんか?という問いとイコールになってくる。

この地位と名誉として共感ということのバランスが難しいのです。


中庸

俗世間を離れて自然な生活をしようという、ヨガなどにてよく見られる原点回帰がみられます。

俗世間を離れて山ごもり・・・

都会での生活に疲れて、日々の競争社会に疲れて・・・

それは時に資本主義の申し子のような人たちにとっては、まったくもって肯定というかそのような生活をしようとは思えない環境でしょう。

何故ならば、それはドーパミンが出てくる報酬系ではないからです。

刺激・・・

というよりオーガニックな生活はセロトニン的な生活ということになります。

中庸・・・

アドレナリンとドーパミンのバランスをとるための、いわゆる平常心ともいうべきもの。

スポーツにおいては、この中庸を勝つ!とか上手くやろう!と力むことへの戒めとして、「感謝!」というキーワードにてコメントされることが多い。特に最近は模範解答としての「感謝」が横行している。
まさに横行しているのである。
横行しているということは、既にこれは形骸化しているのです。

この感謝と恩返しを、さらにアドレナリンとどのように合わせるか?矛盾しないように落とし所を見つけられるか?
それが今最も必要とされるメンタリティとなるのです。

つまり出始めは何でも賛美されます。

素晴らしい!と・・・
しかしながら直に飽きられます。

効果がないわけではないのですが、脳へのマンネリになると効かないのです。

つまり勝負至上主義のメンタリティの余韻とバックボーンがあるから、感謝と恩返しが活きてくるのであって、感謝と恩返しばかりをおうむ返ししていると、廃用になってしまいます。

主動作筋と拮抗筋の関係になります。

主動作筋ばかりを使っていると、いずれ拮抗筋は弱化していきます。

つまり選手は多くのトレーニングや努力があるからこそ、治療や我々が指摘する身体の使い方が生きていくるのです。

コンディショニングできていない選手の治療をやって効果がでることは少ないでしょう。

つまりはある動作というのは必ず偏っているわけであり、それゆえにコンディショニング方法や練習方法、そしてフォームを定期的に見直しているのはそういうことなのです。

これはメンタリティにおいても例外ではなく、主たるメンタリティも時限があります。いずれは形骸化した刺激のない、ただのマンネリのマイノリティはどこかで別の刺激に転換しなければいけないのです。結局はブームと一緒でぐるぐると回ってるのです。

この輪廻のようなサイクルを個人レベルで団体レベルで世界レベルで察知する能力が、メンタリティのサポート者には求められるのです。よって既に専門家として立っている人たちが、必ずしも効果をだせるわけではないというのは、そのサイクルに入っているかどうかによるのです。

成果と利益
そこでようやく本論である利益を出すということですが、結果を出す・・お金・・稼ぐ・・というキーワードは既に社会ににて使っている人たちが価値を落としてしまっているので、拒絶感も強く支持を得られにくくなっています。

それでもこだわるものが勝ち組だと言える人は、それはそれで素晴らしいですね。ただ周りの人を巻き込んではいけません。飛び離れ値としての統計学的には棄却するべき存在になりますので、正規分布から離れているものに正規分布のメジアンにいる人たちが飛びついてもそれは失敗の元です。

また飛び離れている人も共感をもとめるので、結局は周りが巻き込まれてしまって、その様をみてさらに周りが非難と警鐘を鳴らす。その批判を浴びた輩はさらに頑に結束を高めて、意固地になる。そして敵が多ければ多いほど、自らのマイノリティに対する価値を誇張するというサイクルです。

長々と書きましたが

全てにおいて利益を出す!

個人も患者さんも、病院も団体も、地域も国も、世界も?

まだ世界の利益とうマインドには至りませんね。
唱えても誰も賛同しません。分かる気がするという間違ってはいないと思っても、実感できない発想は結局は実現しません。浮世離れとはまさに地球規模のガイヤ意識なんでしょうね。リトリートはまさに資本主義の利益という考え方とは対局にあるようで、最終的には大きなキーワードとなってウネリとなって立ち返ってくるのかもしれません。

しかしながら現段階では利益を上げる!

例えばスポーツ選手も何かしらの成果をだすことで、あらゆる利益が得られます。

わかりやすいのがメダルになりますが、感動という観点で考えれば結果論として人に訴えかけるものがあります。

しかしながら試合前、競技前に候補に挙がっている人たちはメダルを持ち帰りたいと誰もが思うし、目標にするでしょう。
その時に「感謝と恩返し」ではないはずです。結果的に終わった後に「感謝と恩返し」であって、メンタリティとして試合前は「怒り・悔しさ」が起爆剤なることもあります。そして成果をあげることで、見ている人にも満足感と感動という利益が得られるのです。

~のために・・・それは医療従事者としてとても大切な思いです。私が就職活動をしていた学生の頃に、職場見学をした先の先輩から「科学・・研究」の大切さを説明いただきましたが「最終的には患者さんのために・・という思いが無ければ研究も続かない」ということをおっしゃっていました。当時は「科学・・研究」その心は「俺は日本一のPTになる」というような猛々しい意識をもったセラピストだったのです。そのバランスとして「患者さんのために」があるのです。

現代は表立ってビッグマウスは成果が伴わなければリスクを伴います。ビッグマウスは成果が伴わなければ、どんどん引き返せなくなり、誇張がいつのまにか嘘になってしまうのです。
しかしながら、そのスタンスは自信がなくやっているぐらいなら、態度から変えることが形から入ることが必要です。しかしながらそれは理念と挟持が何かということです。
その理念と挟持のバランスがなく、テクニカルなビジネステクニックのレクチャーのみが際立っているのが、洗脳ビジネスです。バランス感覚とは実は奥ゆかしさというか、謙虚ということにつながります。その謙虚はアピールの欠如にもなってしまいます。そうすると形を特化させたほうが目立つのです。

謙虚とアピールが苦手なセラピストが具体的なキーワードとして必要な意識は「利益を出す」ということです。
それは利用者さんの利益でもあり、ご家族の利益でもあるのです。利益をあらゆる価値観にて広げて、その利益という言葉が持つ具体性とインパクト、そして結果や成果という言葉よりもより公益性のある言葉ということなのです。
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