メンタリティ

Category: トピックス
自信と不安

『自信はありますか?』

よく記者会見や囲み取材にて用いられる、インタビュアーの二言目には出てくるフレーズです。

羽入選手は自信はあると言っても直前に不安になったら、どうしようなくなる。
彼はそのように答えていました。
全てのインタビューに全て足を停めなくていいのです。所詮はメディアの都合ですから。『昨日は答えなくてすみません、プログラムに集中したかったので…あと一問にしてください』羽生選手はある時そう返しています。メディアのタイミングではなく、選手のタイミングであるべきなのです。全てを応える答えようとする高梨紗羅選手と浅田真央選手、この定着はまずいです。
羽生選手にとっても、無視はできない分、最大限の譲歩です。気を使えよと…言葉かけの内容に気を使うではなく、まず言葉をかけていいのかどうか?と考えさせなければならないのです。そのような距離感を作ることです。

どんなに勉強をしても一抹の不安があるのが試験やテストというもの。もちろん、やるだけのことはやったという思いが自分を支えてはくれますが、オリンピックの四年に一度の頂点への道は、相手があること、ある基準をクリアすることではなく、勝つこと!
こればかりは相手も同じく人生をかけて努力してきており、ぶっちぎりの実力差があるわけではありません。
Jリーグのチームが、時として高校生に負けることもある天皇杯!
競技特性にもよりますが、結局は自らの演技にパフォーマンスに集中する。という結論に至るしかないのですが、この集中という言葉が曲者なのです。

パトリックチャンはバンクーバーからの三年間チャンピオンであり続け、そしてベストの演技をしたら負けない!という確固たる自信が、グランプリファイナルにてほぼベストの演技をしたにも関わらず、四回転のサルコーを失敗した羽入選手に負けたのです。
この時に芽生えた不安と怖さ…。
つまりオリンピックの前にすでに多くの伏線が張られた中での勝負に持ち込まなければならないのです。

登りつめる過程の2位と、長らく頂点にいたところから一段下がった2位では、景色は全く違いますし、エネルギーも気持ちも明らかに違うはずです。

絶対が崩れた時の対応を助けてくれるのは、自らが積み上げたエビデンスなのです。
ここでいうエビデンスとは、科学的という文献のことではなく、スポーツの世界での勝負という不確定要素の強い場面における、個人の中での対処戦術になります。あらゆる状況変化なと、考えうる想定の予行演習の中でのメンタルとフィジカルの適応力という意味での確信です。単にパフォーマンスやピーキングを上げるというだけでなく、状況想定と本番を迎えるまでの戦略的な仕込みが必要になります。
支えてくれたひとへの感謝の気持ちは、後で湧くものであって、その競技の最中においては、もっと確固たる信じられる拠り所が必要になります。

不安要素を取り除いておく作業
 本番で、自分を信じて飛ぼうと、演技しようと誰もが思うわけで、そのことの思いの強さだけでは天秤にかけられません。だれよりも思いが強かったからメダルに至ったかと言われると、それは誰も、わかりません、
よく言われる『自分を信じて、感謝の気持ちをもって』それはリンクの中に飛び出した時には、少なくとも絶対ではないでしょう。自分を信じてということの論拠を考えても、一生懸命やったから…ということの努力賞ではないのです。
その呪文は何度も使ううちに、ただのオウム返しになるのです。呪文はべつに意味のあるものでなくてもよく、自らを解き放つキーワードであればいいのです。その時にベストなテンションを引き上げるための、その時だけのベストなフレーズが必要なのです。どんな言葉も、世間が求められる正解を答えているだけではおうむ返しになるだけなのです。

頂きの登る過程に境遇を置く
 直前にコーチを変えたり、曲目を変えて臨むということをフィギアでは珍しくないようです。荒川静香さんや、今回銅メダルをとったカロリーナコストナー選手が同じ過程を踏んでいます。
大きく環境を変える決断は諸刃の刃です。そのことは自らの意思で、自らの責任にて実行しなければ大きなヤマを改めて登りきる力に転換できません。
 毎回、滑り込んで自信をつけることも大切ですが、それが単に不安をかき消すための作業になっていては本末転倒です。
登りきる、克服するエネルギー、登りきる直前ではなく、登りはじめのモチベーションとワクワク感にならなければならないのです。

個人て抱え込まない周りのサポート
多くの人たちのサポートはもちろん必要ですが、それが戦略的でなくてはいけません。
献身的にコーチやトレーナーや関係者の尽力があっての選手ですが、それはスタート地点に立つまでの過程であって、いざ本番となるとそれは相手があることなのです。個人競技でもフィギュアスケートは採点競技ですが、タイムではないので尚更です。
ISUに委員を送る、ルール改正においては有利に下ごしらえをする。そして個人のではなく組織にて点数があがるようにアピールするということです。これでもか!と見せつける!認めてもらえないならそこに加点がつくような世論を形成する。ということです。金妍児はほとんど今シーズンでてこなくて、いきなりオリンピックでしたので、見れなかった分、バンクーバーの記憶が鮮明になっており、滑る前からすごいという認識になっていたはずです。これがグランプリシリーズにずっとでていたら、その演技そのものの見方も変わった可能性があるのです。
 あえてでてこなくて、そしてオリンピックにて引退というそのストーリーがまさに彼女を女王というイメージの定着に寄与したといえるのです。
 自分の納得いく演技を!もちろんその通りですが、そこには戦略として何を認めさせるか、そこに採点者へのアピールが必要です。真央さんの気持ちや姿勢が前面にでているからこそ、我々は感銘を受けたのですが、その前にISUに対して抗議したり、有利な環境を作るのは連盟の仕事なのです。政治的な活動なくしては今や勝てない競技です。自分たちのなかで一生面名努力しているということだけではなく、戦略的に物事を考えるべきです。
 感動物語だけでなく勝つためのドライな選択!そこには感動よりも何か冷めたものがあるかもしれません。しかし、勝つ!ということの目標のための具体的な取り組み、自分のプログラムに集中するということでは、その集中という具体性がないのです。選手自身がスポークスマンになってそして広報もやって、そして国の顔になって、それは無理でしょう。全てを背負わせていることに気がつかなければいけません。背負わせているという前提にて支えるのではなく、自らが背負うというスタンスでサポートするべきなのです。
 気持ちや思いの強さなどは、もっと具体的でなければならないのです。

虎視眈々と狙う
 虎視眈々と狙う!これはダークホース的な選手に言えることです。あまり注目度も高くなく、他にも絶対的な優勝候補がいるということです。オリンピックではこのダークホースが突如として金メダルをとっていることがあります。そういった意味においても絶対王者も一回負ける経験をして、そして克服して返りざく経験を早いうちにしておく必要があるのかもしれません。負けることで他の選手が注目を受けて、優勝候補に名乗りを上げます。そうするとその新たな選手は初めての境遇となることでプレッシャーがかかるのです。その間はメディアの注目は分散されます。直前に負ける経験をしてしまったパトリックチャンは、気持ちの整理ができないままオリンピックにのぞんだことになります。オリンピック当日に突如としてその逆転劇を演じれば、それは勢いとなって結果に結びつくのです。
 虎視眈々と狙うということは、自信はありますか?金メダルをとります?などとメディアに言われないことです。つまり下馬評にも上がらなければそんな言葉も取り上げられないし期待されないからです。積極的にメディアの前に立たせることは、今後は御法度です。金妍児は韓国の妹と言われてメディアもコメントを求めたがりましたが、公式には答えないということで一貫していました。答えなければ高飛車だと叩きそうな日本のメデイアや風潮ですが、口に出したら既にそれは実態のない論拠のない架空の虚言になってしまうのです。言うことで重みが無くなる、本当の思いを表しているわけではないことも、いつのまにか自分の言葉として勘違いしてしまう。メダルを狙う、金メダルをという言葉に偽りは無いとしても、その具体的な誰々に勝ちたい!というような本当の思いがあってのメダルであることを言えなければ、自分に対して嘘になるということです。

 結果論ですが浅田真央選手がトリプルアクセルを封印して基礎に徹しての時期から、今シーズンに封印を解いたばかりのときは、新しいパフォーマンスと勢いを感じました。しかし、二度目のチャレンジからは決まらなくなってしまい、そして滑り全体の精彩が低下していきました。つまりピークが解禁したその時にきてしまい、オリンピックでは微妙に合わなかったのです。今回の反省を踏まえれば、アクセルの位置づけを変えていくことです。アクセルなしにて点数をのばし、直前にアクセルを入れてさらに点数をのばすことになるということを示し、他の選手にプレッシャーをかけるのです。自分との戦いですが、心理戦は既に始まっているのです。またはルール改正を連盟が強烈にアピールして、男子のように四回転を飛ばないと点数が伸びないようにしてしまうのです。これは連盟の仕事です。良かった良かったとなっていますが、それは真央さんがフリーにてノーミスにて滑って感動物語になったからです。もしここでも点数が伸びていなければ、もっと真剣に問題視されていたはずです。連盟は彼女によって救われたことをよく理解するべきです。

国内にライバルがいなくてはいけません。金メダルをとったソトニコワは、団体戦にて立役者となったリプニツカヤに一気に話題をさらわれていました。
ソトニコワの気持ちを掻き立てるには充分な材料です。それは団体戦に出れなかったという、直前のイベントによる燃え上がる感情なのです。身近の存在に実は一番メラメラと気持ちが奮い立たせられるのです。その瞬間は感謝の気持ちは常にあったとしても、色が赤だったり黄色だったりに、脚色されていくべきものであり、序列は常に変わるものなのです。とのような感情が崇高であるかではなく、どのような感情のエネルギーが強いかによるのです。それかジェラシーやネガティブなエネルギーであること事実なのです。世間は応援してくれる人達に、お世話になった人たちのために…とコメントされると喜びます。立派だと…。誰がオリンピックにて演技をするのか?公費を使っているから、応援してくれている人がいるからという感情にて、勝負モードになるでしょうか?顔が善人の極みのような表情では、もはや対峙するべき相手が誰かも分からなくなっているのです。高梨選手や浅田真央選手はあまりにも穏やかな表情といか、更にはこわばったような表情へと見えました。
最後は自分に腹が立った!という感情にてフリーは挑んだと言います。

 しかしながら、選手によってその使命があるのでしょう。勝つことよりも素晴らしい何かを教えてくれたからです。
しかし、また4年後ということになれば、感動物語の再現では話にならないでしょう。彼女の思いや気持ちなどがクローズアップされるだけではない、しっかりとした絵が描ける世界戦略が必要なのです。

スポンサーサイト

コメント:0

コメントの投稿

トラックバック:0