オリンピック再考

Category: トピックス
当事者意識

このところオリンピックネタが多いですが、この盛り上がりというか高揚感をもって気がつくこと、そして学ぶことをのばしてはいけません。人によって程度はあるので、私の場合はかなり入れ込んでいる方かもしれません。

私はシドニーオリンピックの時に、ある体操選手をみていてその関係もあってオリンピックに観戦にいきました。その時に経験したことは今でも記憶に残っており、その経験を是非してもらいたいと思います。
そのチャンスがなんと7年後に東京にてあるのです。
冷めていても仕方ありません。乗れるときはとことんのって見ることです。そうすると何かが見えてきます。よくあんなに盛り上がっているな~そんなクールがむしろカッコいいような考えもありますが、いやいやその気になってみることの素晴らしさは入ったものだけの特権なのです。
ディズニーランドは絶賛する人と、そうでない人に二分されます。夢の国ということで半端ないディズニーフリークがいる反面、人が多くて並ぶだけで嫌だという人もいます。またミッキーやキャラクターに本気で手を振っているその様に同意が出来ない人もいるでしょう。しかーし、手を振ってみると何かが解けていくのがわかります。人生一度なら思いっきりなりきってみるのもありでしょう。それがディズニーでなくてもいいのですが、その様をみてわざわざ否定しても誰の特にもなりません。晩年、そのことの否定や非難がいったいどれだけ自らのプラスになったか?幸せにしてくれたかということを考えると、何も関係ないことが容易にわかります。

話がそれましたが、私も少し気持ちの整理がついてきましたが、沙羅ショックと真央ショックに襲われました。特に真央ちゃんにおいては、誰がメダルをとってもそれほど話題にしない関心がない家族も、この真央ちゃんの16位においてはかなりの衝撃だったようです。あーこんなにも皆の心に真央ちゃんを心配しているといってもいいのかもしれませんが、日本人の心を揺さぶる存在なのだと感じました。また駅のホームの階段を昇っているときにも、カップルが浅田真央が・・・とぼそっと話しているのが聞こえました。その落胆ぶりは日韓ワールドカップにおいて、日本が決勝トーナメントにてトルコだったかに負けたときに似ているかもしれません。試合中は人通りがパタッと止まっていて、負けた途端にダッと車が道路に溢れ出たことを覚えています。その誰もが重だるい空気を漂わせながら、無言で走らせているように感じたものです。

人は絶対と思っているもの、崩れないと思っているものが崩れるとどうしていいかわからなくなります。別段、慌てふためくわけではないのですが、心の整理の時間が必要なのです。ある人は、ダイレクトに悲しみ、戸惑い、ある人は所詮は・・・何をそんなことで・・とその様をみて上目線にて語ろうとします。

イベントやアクシデントは人の気持ちを一方向に誘います。

その一方向は経験的にカルトや戦争等の過去の苦い記憶をもとに、出来るだけ陥ることに警戒をかけるような思考に現代人はなっています。経験が成せる技であって、時代が時代であれば誰もが疑いももたない状況になるのです。

絶対というものは実は無意識のうちに自らの人格の一部として形成しています。

絶対というものが崩れた経験として、マイクタイソンが負けたときと、スペースシャトルが爆発したときがあります。
マイクタイソンは当時は負けることが想像できないくらい、絶対的な存在でした。それが日本でバスターダグラスに負けたのです。ちょっと信じられないとはこのことです。スペースシャトルが爆発したときもそうです。出発して間もなく空中爆発してしまいました。笑顔で乗り込んだシャトルの船員達、そして見送った家族達が一瞬何が起きたか分からない表情で固まっている映像が目に焼き付いています。やがで状況が理解でてくると、その現実に呆然自失となってしまいます。
 人は絶対と思えるものが、実は自分の人格に無意識に取り込まれ形成されているのです。常に揺らいで変化するものが現実であることは事実なのですが、頭で分かっていることと実際に実感することには乖離があるのです。

つまり脳には自分を客観的には見れないという特性があるからです。冷静にというフレーズがやたら飛び交うのは、冷静になれない人間の脳の特性があるということを踏まえているからです。この冷静にというのは、既にやや興奮状態にある様をみてのコメントであり、当事者になったときに冷静にと自分に言える人はいません。人に対して言えても自分で自分を冷静にとは言いません。
 東日本大震災においても同じことでしょう。現実とは思えない光景が眼前に広がっている。私が三月に被災地の避難所に行ったときには、その場は高揚感に包まれていたのです。これは不思議なことなのですが沈痛な面持ちというよりは、むしろ元気をもらって帰るということが多々合ったのです。この感想は当時の記事を拾うとわかりますが、「かえって元気をもらった」というコメントが多く見られたのです。これは実は事実なのです。もちろん一人一人のお話をお聞きすると、とても立ち直れないのではないかと思える実話もあるのです。
これもある種の平時ではない心理状態なのです。

それは東京にいる我々も例外ではなく、誰もこのことで何も影響を受けていない人はいないのです。

目に見えない何かが選手におよぼすオリンピック!!このようなコメントも選手からいくつも聞かれました。

他人を評すことはできても、当事者になったときに果たして同じように見れるか?それは無理なのです。無理だということを自覚していても実感はできないのが当事者なのです。

冷静にとか何を騒いでいるのか?とあたかも悟ったかのように我先に表明して自らの特別感に浸る人がいますが、何も起こらないという前提にて冷静に・・と言って結果的に何も動かず何も起こらなかったから、その是非はわからないだけなのです。実は震災のあの時、正常かバイアスが働き、まさか自分が映画やドラマにしか起こりえないような事件に巻き込まれるわけが無いという、論拠のない確信を信じたいという心理があるのです。

あのときにいい意味でのパニックになった人が実は冷静だったのです。何がおこったか理解できない人は、じっと留まり、何も起こらないと決め込んでいることそのものが冷静ではないのです。大声で逃げろと叫んでいた人が冷静だったのです。閖上にてあるカメラマンの手記を読んだときに、海を見たときにハッと我に帰り危ない!!!とスイッチが入ったそうです。私が知り合った閖上の若者も地面から吹き出す水をみて、これは尋常じゃないと直感したそうです。そしてふと頭をあげると2~300m先に吉野家の看板と同じぐらいの津波が迫っていたそうです。「死んだな」と思ったそうです。しかしながら、どこか冷静な自分がいて「その辺りを普段マラソンをしていて裏の道を知っていた」そのことが頭によぎり、近くにいた人たちを車に詰め込んでUターンして爆走したそうです。声をかけても乗らなかった人は、すぐにあきらめたそうです。普通ならなんとか乗せようと発進を躊躇するでしょう。途中、交差点を塞ぐ車を突き破り、車のバリケードを突破したそうです。日常の冷静なら、車をぶつけて押しのけることはしないでしょう。冷静だからこそ突破したのです。
この場にいたら私は間違いなく、今生きてはいないでしょう。

よく災害時に総理は何をやっているのか?など責任者の判断の遅さを叩きます。あなたは何をしたの?というオウム返しされると、ツイッターにて知らせた拡散したとか、おいおいそんなことで何かをやっているつもりでいるんじゃ、何もやっていないのと同じだよということです。ツイートしたらもう役割は終わっているからです。

さて、話を戻しますと、
選手が力を発揮できなかったことを、あれこれ論じることはできても、自分がその場にいて選手の力を発揮できるようにできたかどうか?と考えたときに、絶対はないでしょう。そして一番重要なことは、そのステージにさえ立っていないものが何を言っても何も変わらないということです。

まずは、その現場に立つためにどうするかを、そのための行動をおこさなければいけない。オリンピックの魔物に飲まれないようにするための処方箋はあるのか?その処方箋が出来たとしても、新型のウイルスのようにオリンピックごとに新種がでてくる状況に、すぐにワクチンができるのか?感染はある日突然、試技前にかかることもある。

「人は嫌なものは後回しにする」
嫌な感情や嫌なことは極力後回しにする傾向があります。宿題や課題、試験なども最たるもので、やらなければいけない期限があるものをついつい後回しにしてしまう経験は多くの人があるでしょう。
私も大半のオリンピックの夜間放送、特に日本人の活躍しそうなものは見ているのですが、沙羅ちゃんのノーマルヒルと真央ちゃんのショートは、ライブでは見ませんでした、眠かったのもありますが、なんとなく現実を見たくないという思いもありました。よく家族が、息子や娘が飛んでいる時は目をつぶってしまい、みれないということを聞きます。どのような結果も受け入れなければいけないことは、そして見届けることが家族の使命だとわかってはいても、受け入れがたい現実もあるわけです。私も極力がっかりしたり、嫌な思いはしたくないものです。

 しかしながら、それを避けていたのでは話になりません。現実を直視して受け止めた上で歩んでいかなければ、時代を味方につけ時代とともに歩んで、時代を進めることも変えることもできないからです。
苦手なことを全てやる必要はりませんが、実は無意識にうちに避けているものがあるはずです。それは色濃く自らの言動に影響を与えており、知らず知らずのうちに行動を規定しているのです。



これからは、現実を直視していくことから避けないようにしなければならない。小さなことですが浅田真央選手のフリーの演技をしっかりとみました。既にショートにてメダルの可能性がほぼ無くなった中で、また失敗するかもしれないその姿を見るのはつらいものです。自分のなかで失ってはならないもの、失いたくないもの、それは自然に決まるものであり勝手に決めているだけのことであるかもしれませんが、現実にそのような位置づけに序列に存在になっているものがあるのです。それが女子ジャンプの高梨沙羅選手であり浅田真央選手だったことに試合の直前の自分の心理状態が教えてくれたのです。寝て起きたらメダル、もしくは素晴らしい演技!であってほしいと・・・録画はしていましたが朝起きるとドキドキしながらネットにて結果を見ました。4位・・16位・・に愕然とします。一体?何が合ったのだろうと・・・それほど関心が無い人でもこの順位を聞いて我が耳を疑ったことでしょう。エッ1?と・・・少なくとも少しでもそのように感じたということは、我々のなかで彼女たちは絶対無二の存在たる一つの証拠なのです。フリーの演技の最終滑走グループの滑りは素晴らしかったです。あの雰囲気のなかで浅田選手が滑っていたら、いや見たかった・・・あんな空気の中で滑れるのは一つの特権みたいなものです。自らの力が違う次元に引き上げられる・・・ぞくぞくするような・・・そんな経験ができるのはトップ6に入っているからこそです。アデリナ・ソトニコワ、金妍児、カロリーナ・コストナー、この三人は特に別の世界にいました。真央ちゃんの声を借りれば、思いが伝わってくる滑り・・・頑張れ!と思ったそうです。本当にそう思えたとすれば、それは周りがしっかりと見えていたということ。気持ちと動きが一致していなかったその瞬間から、一つ殻を破ったのでしょう。世界選手権ではノーミスで滑りたいという、いつものフレーズが口をついてでました。ショートは悔しかったとも・・ノーミスで滑る・・この原点が浅田真央選手の真骨頂なのです。

しかしながらオリンピックの魔物とは何なのでしょう?ショートのときに、どのようにしたらその魔物を食うことができたのでしょう?プレッシャーだ、練習のしすぎだ、マスコミが、国民が期待をかけすぎた・・などなど後から口をついてでてきますが、そんなことは分かっていたことであり織り込み済みで何かを考えなければいけない。当事者として近くにいたら、フリーのあの演技をショートでもできるように、力になれたのか?何か方法や方策を提示できたのか?その状態を察知してクリアできたのか?フリーでは素晴らしい演技であったこと、さらに伝説となる神話ともいうべき存在に彼女を高めたことは確かですが、ショートの時に何があったのか?どうしたらこのようなことを繰り返さないように対策が練れるのか?これほどまでにオリンピックは大きいものかと・・・町田選手が言っていたその言葉からは当事者でなければわからない感覚があることは間違いないのです。見ている我々がドキドキするぐらいなのですから、その思いの深さも重圧となるのでしょうが、それは全ての選手に言えることであり、それでもほぼノーミスで演技をしてくる、その魔物を乗り越えてくる選手がいるのです。その条件はたまたまに任せるしかないのか、それとも人為的に意図的に作り出すことができるのか?
 昔は私も陸上長距離のアスリートでしたが、よくトップ選手が怪我から復帰後に好記録をだすことをよく目にしていました。そこで感じたのは、怪我というイベントがなければ記録がでなかったのか?本来は怪我なく順調に練習が積めることが良い結果をもたらす最大の要因ではないか?
 実際には怪我を乗り越えて復帰したときに、記録や結果がでたりするそのタイミングは意図的にできるわけではありません。怪我をこの時期にしてなんてできるわけがないからです。
 美談として怪我や苦難を乗り越えてというのがでますが、確かに感動ストーリーとして国民受けがいいのは確かです。それはそれで別にいいと思います。それで頑張ろう!と勇気をもらって前向きになれる人が多くいるのですから。悲劇のヒロインに仕立てようとする、演出が多すぎるメディアとしては考えものであることは確かで、やはらインタビューにて涙目をアップしたり、誘導したり視聴率を上げることにやっきになっているその姿勢を視聴者はげんなりしているのです。
 しかしながら、その乗り越えて頑張っているその姿は本当に勇気をもらえます。少なからずスポーツがあることで、いろんな場面で力になっているはずです。選手が復帰してたり、活躍するのも力になるものです。
 今回のオリンピックでは、脳が無意識のうちに避けようとしているものを、真っすぐに逃げないで向き合う、直視するということ、そのことを自らの課題として学ぶことの必要性を教えられました。

私も東京オリンピックに向けて心を専心させていきます。

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