筋力と動きは両立するのか?

筋力強化の是非

華奢な身体では戦えない、これは確かです。オリンピックのスノーボードハーフパイプ女子で5位に入った岡田良菜選手は、バンクーバーでは周りからあまりにも身体が華奢にみえたのでしょう。海外のコーチからも、もっと身体を作らなければいけないことを指摘されたとのことです。ショートトラックの女子においても、明らかに線の細さが目立ちます。準決勝にて伊藤亜由子選手が転倒しましたが、明らかにカーブでの立ち上がりが遅く、周りとスピードと流れがあっていませんでした。特にショートトラックはスピードスケートほどごつい身体は必要ないこともありますが、やはり一回り身体ができていないことがうかがえます。ホッケーにおいても女子はなかなか勝てないようですが、パックのスピードが違うとゴールキーパーがコメントしていました。単純に筋力だけの差ではないでしょうが、明らかにそのパワーの違いが出ています。よって相手のペースが早くて、日本の女子が相手のペースに巻き込まれては勝負にならないのです。なでしこのサッカーが不思議と勝ってしまうのは、相手のパワーにつきあわないで、自らの戦い方を貫くからです。スピードがパワーに目を奪われては、全ての反応が遅れてしまったり自分を見失ってしまいます。結果的に国内ではできてことさえも、できなくなって記録もガクンと落ちてしまったり、自己記録を大幅に下回ってしまうのです。誰もがオリンピックにピークを合わせていない訳ではありません。スポーツ科学の進歩により、あらゆる方法が導入されているにも関わらず、やはり力を発揮することの難しさを物語っています。特にパワーやスピード、コンタクトを要するような競技であれば尚更です。相手の圧力にリズムに、自らを失ってしまうのです。特にオリンピックという特別な舞台、相手も一段ギアを上げてきているので、その上がったペースや意識に引きこまれてしまうことによって、力が発揮できなくなるのです。

さてテーマの筋力と動きは両立するのか?ということですが、筋肉をつけることが目的ではないので、この筋肉がかえって重たくさせてしまうこともあります。しかしながら筋力は断面積に比例して力を発揮することを考えれば、量が必要です。しかしながらこの量は重さと動きにくさを引き起こすことが言われています。
柔道の60キロ級でオリンピック三連覇を果たした野村選手は、まさに忍者のような動きと俊敏さで先の読めない技の繰り出しにて勝ち上がっていきました。本人のコメントになかで、怪我をして筋肉にてカバーするために筋トレをして太くしていくと、その筋肉を柔道のために転換するのが難しいということです。柔道筋を鍛えるには、柔道のなかで培うことが一番のようですが、しかしながらパワーのある外国人は、力もあり筋肉があって尚かつスピードがあります。そのパワーで圧倒的に負けていたのでは、まずは日本人独特の動きの巧みさを活かせません。

 結論からいうと筋肉を増やしても、緊張してしまって動きが硬いと感じるときには、重しのよな鎧になってしまうのです。つまり筋肉はスピードがあってこそのパワーですので、スピードがなくてじっと耐えて留まっていることにおいて成立する競技はありませんので、結局動きの欠如が指摘されてしまうのです。衝撃を支えるのは確かに筋力です。モーグルのようにあんなにも衝撃がくる場合は、筋力は絶対的に必要です。しかしながら膝だけで吸収できないのは、映像をみても明らかでその衝撃を緩衝する一つのパーツでしかないのです。結局は筋力とつけるためのトレーニングはウエイトを持っての保持ということになりますでの、それをスキーの動きに転換するためには、また固定した身体でのトレーニングによって得られた筋肉というものを、いかに動きにつなげるか?そしてその筋肉がついたことにより、パワーを発揮させるためには大きなモーメントを身体内に起こさなければいけないのです。モーメントによってこそ、ようやく筋肉がいかせるのです。筋力というと単関節筋での発揮になりますが、それとは競技は違う訳で、全身のコーディネートによる推進性への転換能力が求められるのです。

 部分的な強化とその方法が身体を大きくしますが、全身の運動連鎖を下げてしまうことがあります。そうするとどんなに太い筋肉であっても一瞬のパワーはでても、すぐに無酸素下での発揮時間は限度を迎えます。疲れてしまうのです。結局は筋力に頼ってしまうと、疲労が脚にきてしまって動かなくなるのです。スピードスケートなどでは、そのような現象が多々見られます。太いものすごい腿がなければしゃがんだ姿勢を保持はできない。しかしながら、そのisometricの収縮にて保持するだけでは持たないのです。躍動性をもって身体全体にて推進性を生み出し、そこに筋力がうまくハーモニーとして奏でることが必要なのです。
 緊張はどうしても身体を固くして、そしてただでさえ重たくさせる身体が、筋肉によって鎧としてのしかかってくるのです。全く持って全身を使えないので、単関節にて力むことになり、これでは軸がぶれてしまいます。
 よって、どこかでふっきれたようなメンタル状態にて挑んでいななければいけないのです。筋肉が躍動して動くような心理状態、そして必然性、その本番を迎えるまでの精神状態と長さ、だからこそ先手を打たなければ不利になるのです。
 優勝候補の選手が追いかけることになると、それは優勝を目指しているので妥協できなくなります。負けることの恐怖。しかしながら注目されていない選手であれば、棚からぼた餅のようにすいすいと力を発揮できることがあります。

 注目されていかに勝つことが難しいか?優勝候補がことごとく負けているような状況をみるにつけ、本当に力を発揮するということの難しさを感じます。

 さて話がそれましたが、筋肉をつけることが必ずしも競技力の向上につながることではありませんが、パワーと柔軟性それも動きの中でのスキルが磨かれること、そのバランスが必要なのでしょう。競技だけでは鍛えられる部位と、そうでない部位が自ずとでてきます。しかしながら筋肉とは拮抗筋があってこその主動作筋です。カウンターがスタビリティとなってより発揮力へとつながるのです。伸びやかな発揮、関節運動の背景にある筋肉のコーディネーション、むちのような動きには必ず戻りの力が必要です。慣性を利用することによって、初動のみを筋肉と関節角度、アライメントによって作り、あとは余韻にて動き出す。グラデーションのような筋肉と関節運動の軌跡が流れていかなければいけないのです。

 硬くなっては、力んではいけないというその心は上記のような理由があるのです。
何故力むか?それは結果を出そうとするかに決まっていて、それに勝負ですか。期待や背負っているものが大きければ伸びやかさは失われてしまいます。実は100点を超えた演技をした羽生選手であっても、実はショートでは脚が震えてと一定ましので、必ずしもリラックスできていたわけでなく、既に背骨あたりは柔軟性が失われつつあったのです。そこは緊張と折り合いを付ける必然性があったからでしょう。フリーではそのあふれそうな緊張が少しオーバーしたことによって、ぎりぎりの跳動のバランスが崩れたのかもしれません。
 
 オリンピックで緊張しないのは無理です。マックス緊張度が高まりながら、力を発揮するための必然性もマックスにてバランスをとる。つまり緊張を抜くことや下げることは無理なので、その緊張と折り合いをつける必然性とメンタリティ、それが楽しむとか遊び心とか・・ハーフパイプ気質がそこには参考になるのでしょう。
 普段から世間の普通とは無縁のキャラなので、あらためて背負うこともないのかもしれません。注目されてイエイ!なのかな?
 
 いずれにせよ筋肉が錘とならないようにするためには、呼吸が意識が膠着してはいけません。喜怒哀楽を前面に出して、我に返ることです。その我に返るきっかけや支えは回りのサポーターなのです。そこに緊張感を同調させても仕方ありません。難しいですね。4年間いっさいの妥協をしてこなかった選手ばかりが競う場所ですので。その評価が一瞬にて決まると思えば、怖くもなりますよね。やはり勝つことの星の巡り合わせと必然性を呼び込む何かが必要なのは明らかですね。
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