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オリンピックの魔物とは

調子はどう?『まーまーかな。』『緊張しなかったっす。』『わかんないっす』本日、男子ハーフパイプにて平野選手と平岡選手が銀・銅メダルをとりました。
本音でなくても、期待通りのインタビューに答えなくてはいけないプレッシャーが普通はあるはず。模範解答は決まっており、また期待通りに答えないと周囲も頷かない。考えたことがないことは無理に答えない。『わからないっす』もしくはそのことについては無理に合わせない。本音しか喋らないこと、とつとつとゆっくりと声に出すことが脚色のない真実を表しているのかもしれない。目線も変わらず冷静そのもの。感動物語には乗ってこない。

ショーンさえもメダルに届かないオリンピックという舞台。平野選手は一本目はグタグタで、ても90点で、抜かれるな~っと…ショーンも試合前に新技やってて、あれ決まったら金メダルだな…っと、上手くいってないんだ・・・と淡々と冷静に周りが見えていて、それでいて特別に感情をのせないで事実だけを眺める。

内村航平選手みたいな。内村選手はロンドンでは団体では調子が上がらず、一度はあん馬で微妙な演技で団体4位に落ちました。しかしながら銀メダルになったのですが、それでさえも感情の部分はおいといて事実のみを受け止める感じでした。治療においても問題は評価とアプローチと経過と結果であって、考察はいもう少しいえば研究などでも最も重要というわけではないということです。その人の考えや修飾は事実を歪曲したり、過小評価したり過剰に誇張したりというところがあるからです。

オリンピックは普段の試合前より100倍も注目も雑音も入ってくる舞台!インタビューや取材やら、情報も思考もフル稼働で、脳はいっぱいいっぱいとなる。
自分のことに集中しようとしても、何度も何度もコメントにて言葉に出すたびにいつの間にか周りを見て状況を冷静に咀嚼できなくなり、知らず知らずのうちに地に足がつかなくなる。体性感覚からの情報処理も鈍ることで、自分のパフォーマンスはできても、その時々のベストなフィッティングはできなくなる。いつものようにというのは、治療でいうと前と同じような効果を出そうと焦ることに近い。積み重ねることによる連続性と、これ新たなりで真っ白な中での本番モード!

瞬間瞬間の閃きと積み重ねによる経験。少なくとも経験があるから上手くいくこともあれば、そうでないときもある。若くても実力が発揮できることもあれば、もちろん経験不足ということもある。すべては結果論ということになりますが、風に恵まれなかったというもとも高梨選手にはあったようです。一本目にまさかの3位発進。それが普段は絶対に負けない選手が前にいるという風景。固くならないほうがおかしいですし、模範解答を続けてきた高梨選手にとって「次はあるさ」という4年後にかってに期待することはどうなのかな?と思ってしまいます。
 ハーフパイプの二人は次については、考えていないわけではないようですが、言われたからそうっすね、今初めて言われてあまり考えていないというスタンスにて無難に返答する。インタビューや記者会見はマニュアルみたいなもので模範回答集がある。本音ではみんな一緒のはずはないのですが、答えはいつも大体一緒。それは本人のためというより、聴衆のためのリップサービスのようなものです。しかしながら、そのことがあたかも自分の本音かのように思い込まされているのも事実。考えてなければ「わかんないっす」と答えていいはずが、世間はそれでは許さない風潮がある。社会人として、公人として、日本を代表しているのだから、と必要以上に皆がそれについて発信する。それを聞いていろいろコメントすること、模範解答をきくことで我々は満足しているのだろうか?その一瞬は素晴らしいと思っても、即座に興味は移る。しかし選手は年がら年中そのスタンスを続けなければいけない。
 
 たとえそれが本音だったとしても、延々と演じ続けなければいけないその境遇は大変の一言です。時にはいつもそんなことを考えているわけじゃないよ!と言いたくもなりますよね。ハーフパイプの選手の抑揚のない、とつとつとした喋りは、本音そのものではたたかれることは分かっているので、それでいて深く考えてもいないことや、気持ちをきかれても返答に困るようなことは多々あります。それを模範解答していくことは、まさに自分でない自分を演じ続けることになり、それが習慣化することで自分ではない自分になってしまう。それがオリンピックという国をいきなり背負うという重圧による、注目度の高さがあいまって、さらに模範解答を繰り返すことの自動的な圧がかかってくる。それが普段の5感にプラスアルファされることで、いつもとは違う場の空気となって感じるのでしょう。実際には一つの大会であるはずが、特別と感じる情報量によって脳がいつもの違う処理をしなければいけなくなることによる魔物なのです。
 ハーフパイプの二人は、思ったほどプレッシャーもなく、緊張しなかったっす、というコメント。たとえオリンピックでも観客が少なくメディアやプレスも来ないで、単一の会場で単一の競技のみが行われたら、オリンピック気分にも空気にも緊張感もないでしょう。ハーフパイプにおいては、そのあたりの特別感を醸し出そうとするメディアに、乗ってこない噛み合わなさが見えます。
 一言に四年後といっても真央ちゃんもそうですが、すべてをそこにかけて努力し続ける、注目され続ける4年間は相当無理が来ます。そう考えると、どこかで優等生としての振る舞いが染みついてしまっていて、すでに変わりゆく自分の心身そのものを表に出せなくなってきます。特にメンタルです。情動は精神状態が動くということであり、その情動の移ろいや時に自堕落になるような状況は一切許されなくなります。技術や体力そのものが全くレベルに届いていなければ、変に緊張してもしなくてもあまり結果に変わりはないでしょうか、実際にメダル候補となると延々と注目され続けます。

これはどうみても平常心で居続けろというのが無理かも知れません。真央ちゃんは果たして。周りが心配することではないかも知れませんが、責任感の強い彼女ですからいつも周りに感謝してそして、自分のためにも4年間本当にスケート一筋で取り組んできたことを知っています。15歳のロシア選手のように直前に出てきて、その4年間の重みを知らない立場であったり、有名になりたくない・・といってもいるようでCMなどにも出ないそうで、何か自分が自分でなくなってしまう恐怖がわかっているのかもしれません。無表情を指摘する声もありますが、媚をうる気がない、本当に心からそう思わなければ笑顔も意味がないのでしょう。金妍児のように縦横無尽にコメントしたり、しかしながらその本音を表に出すと一人歩きしてたたかれるのでメディアの前には出てこないそうです。

本音や本心が皆同じなわけがなく、FBなどで一般人であればいくらでも批判や本音を吐けますが、公人になったとたんに規範が求められ制限されることそのものが、仕方がないのかそうあるべきなのか、もちろん世間に影響を与える存在であるからこそ行動や口動は気を付けなければいけないですが、いつのまにか優等生の返事をすることが当たり前になってはいないだろうか?人は最初は建て前や表向きとして敢えてしゃべることがあります、やがてそれが自分の人格として覆ってきて、本当の自分が誰だかわからなくなることがあります。今回は金メダルを声にだす選手が多かったように思います。本田圭介選手のビッグマウスと有言実行が少なからず影響は与えているでしょう。エゴイストと呼ばれるその姿勢が他の選手にも影響を与えていることは確かです。しかし彼は髪型や服装など、その面でもビッグです。オリンピック前だけでなく、その行動や考え方を延々と続けることが必要で、オリンピック選手とはいえアマチュア競技においては、また勝手が違うのかも知れません。

フィギアの選手がみなそろってオリンピック独特の雰囲気があるという中で、羽生選手からはそのような声は聞こえてきません。本音を通す、本当に心の奥底の欲求と気持ちに向き合い表現する。生意気なぐらいでいいというのは、自分そのものを人間そのものが本来はそうであるからなのかもしれません。
 美談やオリンピックの感動の物語に仕立てようとするメディアや取り巻きもそろそろやめたほうがいいようです。それそのものが無理があり、シビアに指摘する風潮がなければ選手も、メディア向けのいい子を演じ続け、そして国民もそのいい子を期待して、そぐわなければたたき続け!それは誰のためになんだ?ということですよね。
 
オリンピックで結果が出なかった選手が直後に緊張から解き放たれ、その後の試合にて良い成績を残すことはままあります。力を出さなければ意味がない、雑音がなくなり自分と環境を取り戻すと、のびのびやることの境地に行き着くからです。
オリンピックが終わった後に、力を出せなかったとしたらどう思うか?を自問自答してみて、それだったら今こに舞台でのびのびとしなければ意味がない!!と思ってのぞんでほしいと思います。本当に結果がでなくても後悔はないでしょう。何故なら精一杯、その雰囲気にも対峙して気を向く瞬間はないはずだからですい。しかしながらその全力を尽くす努力賞をもらえるのではなく、過程ではなく結果だということなので、そのドライに割り切った結果が出ること、それが全てという表現は適さないですが、終わった後にもっと力が出せたという思い、十分に力はあったはずというその思いは、4年間をあまりにも長いものにして心理的に重くしてしまいます。上がってくるもの、その時だけ力を発揮するような選手がメダルをとっていることも多々あります。自分への具体的なインセンティブを明確にし、実はメダルという実は漠然とした目的でないほうがいいでしょう。メダルは周りの人のためという意味合いが強く、負けたくない勝ちたい、そこに表彰台がありその証がメダルであるという序列です。メダルがあってという間をすっ飛ばしたら、もはやそれは勝負という最大の意味あいが薄れてしまいます。
 勝負や相手を意識しないで自分を信じて、それも一つの心理的なプレッシャーを解き放つテクニックですが、使われすぎて形骸化してしまっているので、もはや効果がないのです。新鮮なものでなければ脳には響かないのです。マンネリのテクニックはだめです。直前に難易度を落として安全策をとるということにおいて、それは全体の安心感となって演技に心理的に入るやすくするという効果がありますが、それは直前のほうが効果があるわけで事前に公表してしまうと、心理的な効果が薄れます。気分転換とは例え10秒でも他のことに気持ちが奪われればいいのです。そのことがたまたば難易度であったりするのです。銅メダルでいいやとか、入賞できれば十分だというぐらいの心理的なところにもってきて、それは表現をできるということの感謝につながります。感謝のためにと表で言ってもそれは金メダルという条件が付いて回っては、まったくもって力になりえません。感謝は後からすればいいのであって、その時は勝負師に徹することです。いつの間にかいろんなことを考えすぎて、どのような心理になるべきかがわからなくなり、結果表情や動きの伸びやかさを欠いてそこそこの点数や演技になってしまいます。ここぞとばかり思いもよらない選手が高得点を出してくるオリンピック、その段階ですでに自分の感謝をもってというお守り効果はなくなります。挑む気持ちで対応できなければ、プレッシャーとなるわけです。それでも自分に集中するという強い意志でもいいです。そこには強い意志があるからこそ、荒川静香さんはいろんな意味での軸があったのです。
 彼女の映像を改めてみて、そこから学ぶことはたくさんあるのです。一度フィギアの選手には演技だけでなくその過程も含めたダイジェストを見てほしいですね。きっとそこからヒントが得られるはずです。何故なら金メダリストなのですから。
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