躍動する体幹

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躍動(吸収)する体幹と推進する軸

 男子500mスピードスケートをみています。メダル候補の長嶋圭一郎選手と加藤条治選手がでています。
予選が終わって決勝目前です。スケートはよくわかりませんが、何がタイムの良しあしにかかってくるのかじっと見ていました。
 どのキーワードが冒頭のタイトルです。躍動する体幹!固まった体幹との対比としてはぴったりの表現です。

ハイスピードによる衝動をさらにまとめるためには、さらに上半身にて躍動を高め動きを大きくする必要があります。まとめるために小さく固定するのではなく、さらにはニュアンスとしてはスタビライズとは違うのです。結果的に軸がぶれないという現象はスタビライズの意識とは真逆なのです。
 
スタビライズは体幹というイメージです。これはエクササイズ主体の考え方です。エクササイズやセラピーに関わる専門家は、その分野を極めようとすることによっておきる思考のスポットです。

スポーツの世界で軸と言われるのは、躍動する身体、身体運動における外力、躍動することによる破裂をまとめること、それが軸です。軸は作るものではなく、できるものなのです。何故ならば身体にかかる多くのG。

躍動する体幹をまとめるための骨盤帯と上部体幹の役割の明確化が必要です。特に第三コーナーあたりでは、おそらく疲労感もでてくるなかでスピードと弾き出されそうになるGに流れることなく、制御するためにはリズムカルな微調整のための骨盤と体幹の細分化された躍動が不可欠です。その細分化されたパーツをまとめるための軸、まとまることでできる軸といったほうが正しい表現でしょう。



スケートのスタートの早い選手は肩甲骨が推進させます。つまり肩甲骨からつっこむことでダッシュにつながっているようです。しかしながら中間疾走においてはそのままではマイナスになります。伸びてこないのです。
モテボムはスタートは横に使うタイプです。長嶋選手はスタートで体幹を背部が伸びてしまっています。直線に前傾してしまっては重心のコントローラーである上半身と下肢が連動しません。後半がばててしまい、最後まで加速できていないようでした。ただスタートは上半身を大きく振ることで推進力を得られるますが、骨盤と上半身のコントローラーというもう一つのシステムへのギアチェンジが必要なのです。特に最終コーナーは最後の直線の伸びにつながります。そのためのコントローラーなのです。流れようとする脚をまとめて前を運ぶのは重心です。足ではないのです。足はポジショニングであって動力は骨盤と上部体幹なのです。
 加藤選手は肩甲骨が挙がっています。大きく上半身を振るためには末端を重くして大きなモーメントを得ることも方法です。しかしながら、そのことによって気持ちの高まりが知らず知らずのうちに、肩甲骨をつかったスタートダッシュの気合がそのまま後の滑りにも反映することによって、気持ちとは裏腹にすっと肩甲骨がおちついて次のモードになることを妨げてしまうのです。もちろんこれほどまに44秒台が連発される大会はそうはありません。力が入るのも致し方ありませんが、このような場であればあるほど躍動する必要があるのです。



二本目の長嶋選手、流れてしまう軸、その瞬間には、吸収するための躍動する骨盤帯そして連動する体幹が止まってしまっています。

吸収するために動き続けなければ躍動し続けなければいけません。骨盤と上半身が相対的に連動しなければいけません。上半身が体幹の上下にて吸収動作になってしまうと、完全にロスになります。体幹全体が上下しないで固定されたほうがいいという意味ではありません。骨盤と上部体幹は分離した連動性が必要なのです。結果的に相対的に上部体幹と下部体幹が連動するからこそ軸ができるのです。固定されているのは軸ではなく壁なのです。柱ではなく壁で固めてしまうのは体幹の意図するところではないのです。

スタートダッシュにて肩甲骨から上肢を横に使うタイプは、さらに上半身を大きく振ることでスタートの推進力にはなります。しかしその滑りは直線であり、カーブは骨盤と上部体幹のリズムカルな連続性と軸をまとめるひきつけの力が作用しなければいけません。スタートダッシュの爆発力は発散です。大きく上半身を振ることによって、そのふり幅のモーメントを推進に変えるやり方、それはスタートではいいですが500mはもちません。途中でばてると上肢は振っているものの、上半身はとまってしまいます。そうすると下肢のみて氷をけり出すしかなくなります。前額面の重心移動による重心のコントローラーを失うことは、上下動によるストラテジーを使わざるをえません。膝の引き込みは不十分となり、結果的にサイドへけり出すことができず氷に伝わらなくなります。

オリンピックになると軸のない選手は残れません。軸とは意識することでできるものではなく、パフォーマンスのなかでできるものなのです。
トレーニングにおける軸というメニューはあっても、パフォーマンスのなかでは競技ありきの軸だということです。特に気持ちもピークもエネルギーも格段に次元が違うオリンピックは、そこそこではだめで、そこで自己新を最新するような別次元の自分になれなければ勝負になりません。その特別な空気を自らの力にまとうことができることが、魔物に飲まれない、力と空気と同化することが条件なのです。

オリンピックで想定外の展開、オランダの強さとのすごいタイムをたたき出してきた展開は当然、これ新たなりであり、いつも通りでは既になく、即座に適応しなければなりません。同門でたたき出すタイムは、負けん気をかきたてる衝動となるでしょう。しかしながら、それが海外の選手となると、焦りや曇りにつながることもあるかもしれません。

集大成という立場でメダルにトップに至っているケースが少ないように思います。集大成というのは終着点であり上昇ではないからです。新たな自分を見つけ出す次元と、もっているものを全てだそうというスタンスでは、結果的に新しい自分をみつける力の差となるのです。

また勝負は相手があるものです。自らの集大成というはあくまで自分ということになってしまい、相手をみて勝負をかける戦略をたてるという本来やらなければいけない勝つための視点が抜けてくるのかもしれません。プレッシャーを与える滑りや、それを跳ね返すためのさらなる自分との闘い。その勢いや流れは、百戦錬磨のベテランや世界チャンピオンであってもコントロールすることは難しいのです。

流れをつくること、それはあらゆる要素が絡み合って刻々と変わる空気の流れです。すべての人が主人争いをしているオリンピックのなかで、ステージのトップにたつための空気をものにすること、自分の力をだそうとするあまり意識が自分にだけ向いてしまっては勝負になりません。それはプレシャーを軽減させるための力を出すための一つの方法として教えられていはいますが、今回のオリンピックでは、それだけでは通用しないような流れになっています。オランダやカナダが席巻しているように、そのオリンピックだけれどもライバルとの闘いの場になっている、それもオリンピックという場を借りて。そこがチーム力というか闘いのモードに引き戻しくれるトリガーとなっているのでしょう。
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