ソチオリンピック

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選択肢

深夜にフィギア団体の女子シングルとモーグル女子をみてました。昨日、誕生日を祝ってもらって飲んで、お酒を飲むと眠りが浅くなるので、パッと深夜に目が覚めました。



上村愛子選手・・・・ここまでくるとメダルを・・・神様はいないのかな・・・
準決勝では12人から6人に絞られるなかで、最終滑走者までは6位。滑走順が準々決勝の後ろから滑っていくので、最終滑走者はトップのスコアーということは、決勝に残ることは微妙だったのが、ぎりぎり残って、予選から7位という順位で実際にはメダル圏内に入るには予選からトップ争いをするようでないと難しいと思っていたので、期待はどうかな?と見ていました。また滑りも上位選手に比べると硬さというか、衝撃の吸収の柔らかさに欠けるような印象がありました。しかしながら、今朝は準々決勝から立て続けに3本滑ることで、メンタルのコントロール、コースへの適応など一発勝負でない要素が加わることで上村選手には有利に働くようなポジティブに感じていました。
 一般的に準決勝の6位からメダルは難しい滑走順です。最初の滑走者は間違いなく不利です。採点競技においては特にそうです。といってもそれまでの準決勝までのイメージや思い入れも全ては勝負を左右する要素。
 決勝では目を見張るような滑りで、最後のエアも伸びやかさとダイナミズムそして何より固着しない気持ちの抑揚が出ていて、私が見ても素晴らしい滑りでした。タイムも30秒台で最速です。しかしながら点数は準決勝よりも低く、アレ?という感じです。自分の中で修正していく、どちらかというと勝負や情熱というよりも自分と向き合いながら滑るタイプですので、本数を滑ってじっくりと上げていくという合計3本の滑走はいい方向に作用したと思いました。
準備した時間と律した生活、全てを競技に注ぎ込む、それはオリンピック選手にとって当たり前のことであり、そうでなければオリンピックにて戦えないとは思います。しかしながら、人間というのはピーキングというものが必ずしも思い入れの強さがメダルに結びつくとは限りません。運や流れを呼び込めるか?これは本当に難しい。努力しなければ神様は微笑まないことも真理ですが、必然性を高める環境さえもコントロールする力。特にオリンピックでは真っ新な新人のような新しい自分でなければいけません。
 4年に一回というその瞬間に力を出すことは、世界選手権やW杯の覇者であっても並大抵のことではないのです。いつものようにというのはオリンピックでは当てはまらないのかもしれません。
 
選択肢オリンピックではオリンピックイヤーになってから、オリンピック直前に上げてくる上がってくるアスリートが出てきます。まさにオリンピックの申し子のような選手です。モーグルでは女王カーニーがまさかのミスを連続して結果的には3位。そしてワンツーフィニッシュしたのはカナダの姉妹でした。もちろん、世界のトップスキーヤーではあったはずですが、今回のオリンピックの合計4本滑るなかでは、若さと勢いとパッションと、なんでしょう!自分との戦いではなく、オリンピックはもっとそのパッションが身体から溢れ出るような、こもっていては駄目なようです。自分との戦いというのは、自分の力を出せればというのはある意味プレッシャーからの解放のテクニックではあると思いますが、実際にはオリンピック以外の選手権ではそこまでの意味付けはしないはずです。自分のことに集中するというのも、取り方は様々です。その一つの思考が逡巡して煮詰まりすぎるとマイナスになります。どこかで解放が必要です、解放と言っても脱力でもなく、当然オリンピックのことは忘れられるはずがありません。そこが周りやコーチの役割となってくるのでしょう。

「大きなミスなくまとめる」
オリンピックでは大きなミスなくまとめるというスタンスは、どうしても小さくなってしまいがちです。無難にまとめるではなく、オリンピックならではメンタリティー、フィジカルのピークに合ってくる選手がいます。合わしてくるというのが本来は正しいのでしょうが、合わしてくるのは誰もが同じで、その中でもあってくる選手でさえも凌駕しなければ、勝つことはできません。人生をかけていればかけているほど、怖くなるものです。失うものがあまりにも大きいからです。やりすぎる、追い込みすぎるというタイプは、それだからこそ一流になれるということの条件ではありますが、伸び盛りの上昇時期はその上がっていくその変化と挑んでいく姿勢が常に新鮮なパッションのエネルギーを与えてくれます。


「下馬評通りに勝つ」
ところが下馬評通りに勝つ選手もいます。下馬評通り四年に一回の勝負に勝つというのは、日常の延長戦上にオリンピックもあるということです。それは普通はありえませんが、ディフェンディングチャンピオンとしてディフェンスしてしまっては、萎縮してしまうわけです。ということは、下馬評とは時として硬直化させてしまう要因になってしまいます。もーグルの女王カーニーは準々決勝にてまさかの7位にて準決勝に進み、この段階で一気に女王というアドバンテージが無くなりました。表情からも爆発力と勢いが無くなったのです。準決勝は持ち直しましたが、決勝になって一気にギアが上がったなかで、カーニーは上げきる術を既になくしていたのです。上村選手は一気にギアを決勝で爆発させました。このことが全ての選手にプレッシャーを与えました。しかしながらトップ3になってからは優勝した姉妹が安定した滑りでジャッジが一気に上がり、そしてカーニー選手においては、準々決勝における7位という経験したことがない悪夢を準決勝にて立て直すことがいっぱいいっぱいであり、もう一段上げるギアは既にありませんでした。


「痛々しくなるような」
バンクーバーの浅田真央選手は痛々しなるようなシェイプされた身体と、ものすごい節制と気持ちにて臨んだオリンピックであることがわかりましたえ。その痛々しくなるような姿と張りつめた心身、目一杯全てを注ぎ込んだことが誰にもわかりました。だからこそ銀メダリスト浅田真央とは誰もいいません。普通は銀メダルは素晴らしい誇るべき結果です。しかしながら浅田選手に関しては、それでは似つかわしくないのです。このオリンピックにおける痛々しいほどの心理は間違いなく浅田選手に亡霊となって記憶されています。到着した空港から落ちついていいるのかな?とポジティブにとらえれば思えるような、しかしながら勝負師の顔というよりもどことなく、こけしののっぺりした表情に見えました。そこからは覇気のようなものはなく、勝負はまだ先だからリラックスしているんだろうな、と思っていました。しかしながら、実際には団体の女子ショートにて出てきた顔をやはり同じく覇気のない顔つきで、滑り出した浅田選手は全体的に溢れ出るような感情ではなく、丁寧に刻んでいるというイメージでした。どこかにポンと弾けるような見る者を引きつけるようなというよりは、まったりとプログラムを慎重にこなしているという感じです。思い入れが大きいだけに、見る側もひいき目にみてしまいますが、スタンディングオベーションに値するのはコストナーであり、15歳のユリアリプニツカヤでした。地元ということもあったと思いますが、それにしても多くを語れない15歳のその世界はみるものを惹き付けます。そこには直前にぐんぐんのばしてきた評価と点数を全くその意味を理解していないかのような、関係ないかのようなただそこに踊る彼女がいました。伸び盛りのすごさでしょうか?

選択肢という題名にしたのは、実は選択しが多くなるほど人は迷いと気持ちの張りが難しくなるのです。自らがそのような状況と必然性に高めなければいけない選択肢の多さは、新しい自分に毎回なることが必要とされるオリンピックという場においては、後退を意味します。例えばドラフトで一位に指名されることがあたり前の選手は、あえて大学にもどこにでも行ける権利があります。つまり卒業してからも確実にプロになれるからです。そして12球団どこでも行けるほどと実力がある選手はかえって逆指名したくなります。しかしながら下位指名の選手は選択肢はありません。とってくれところがあれば感謝で、その気持ちで新たに取り組めます。入ってからも伸びていける選手は、実は端から見ている選手ほど選択しはないのです。気持ちのなかでは選択肢はなく、まさに開けた前ではなく限りなく五里霧中の心境なのです。だから霧のなかをただ前に進むしかありません。冷静に自らをみつめてということも、余裕ではなく全ては選択肢としてその競技に取り組んでいくという道しかないという境遇なのです。だから松井選手はヤンキースからも巨人からも日本人から愛されるのです。
 
オリンピックと選択肢ということですが、思い詰めたような境遇は、それは自然な道ではなく随意的な要素が入っています。つまり不安や怖さという選択肢、周りが見えてしまう選択肢、失敗したら失うことの選択肢、4年間全てを注ぎ込んだからこそのナイーブになってしまうその選択肢。ではなくてエネルギーには選択肢はいらないのです。時にエゴイストのような生意気な空気など、羽入選手にはそれが感じられます。キムヨナも既に金メダルはとったから夢を叶えている。今回のオリンピックは金メダルが最終目的ではないと公的なインタビューにて言っています。日本選手であれば同じコメントはタブーに近い内容です。バンクーバーのときもいつもの雰囲気を作ってくれたスタッフによって、何も変わらなかった、普通の試合だったと言っています。そのふてぶてしさにおいては、憎らしくなるぐらいです。
 心理的な追い込むとな不安や焦りは、あらゆる選択肢を想定してのものです。15歳のときの真央さんもただノーミスで滑るということに何の迷いも無く、キラキラとしていました。あのエネルギーをどこかで纏わなければいけません。特別な心理にみるオリンピックのジャッジと観衆も、その心のエネルギーを敏感に感じるモードになっています。よって、そのハートが奏でるハーモニーを表現したものが感動を与えることができるのです。技術を超越したその世界こそがオリンピックなのです。エゴイスト!時に必要な要素です!!自分ではなく、ただ表現者としての新しいステージに立って、そこには喜怒哀楽のエネルギーが必要です。淡々としてというよりもオリンピックでは溢れるエナジーの共鳴が必要なのです。時に怒り、その怒りをエネルギーに、そして勝負として勝つという気持ちが奥底に秘めた負けない気持ちが必要です。表に公言して金メダルをという選手も多いですが、そのハードルが時に良い作用をもたらしますが、そこは秘めた思いとして態度から溢れ出ていればいいのです。公言はときに自らの呪縛となってしまうからです。いまそこにいる自分にフォーカスを与えるその一瞬一瞬にこめる思い!そしてふん!!何さ!!という振り切った思いの抑揚をいれながら、でなければ高いテンションをコントロールできないのです。
 しかし浅田選手には本当に出し切った演技を自分のためにをも超越した、エネジーの化身となってください!!
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