地域包括ケアシステム

リハビリ専門職に求められる地域包括ケアにおける視点

 1月11日土曜日 本日、田町のカンファレンスセンターにて協会理事として今年初めての会合がありました。
地域包括ケアシステムにおけるリハビリ専門職としての理学療法士に求められる施策が、まさに急務となっており、そのための勉強会が理事を集めて開催されました。いわばそれだけ今年は協会を挙げての、いや協会始まって以来の勝負と年といえるだろう。

 協会は何をやってくれのだろう?そう思っている人たちは山ほどいます、外から見ている立場においては、皆そう考えるでしょう。具体的に自分に直接跳ね返ってこなければ、誰でも実感も恩恵も感じるはずがないからです。例えば株価が上がったとしても、それによって一般庶民の給料に跳ね返ってくれなければ景気の浮揚は当然実感できないといことと同じです。バブルも不景気も当然私の時代の過去にあったわけですが、それを紙面やテレビでは聞いてはいても、実感したことは全くありません。まさに同じ空間にておこっていることであっても、立場が違えば全くわからないのです。ある意味、恩恵もそのおこっている実感も、自らが渦中にいなければ、また自らが渦中の中に情報をとりにいかなければわからないということです。そういった意味においても、今こそ協会に期待して注目してもらうことの意義が高まっている時期はありません。

 自らの力で何かしよう、何かしたい、何かを変えようとする若者は、当然動きます。もしかしたら、本当にやる気があって打てば響いて、行動力のある輩は、時として諸先輩方からすると、疎ましく思われる立場にいるのかもしれません。
従順で任務をしっかりとこなしてくれる後輩が可愛がられるのだと思いますが、それは自らの理解の範疇を超えないということでもあり、想定の範囲内ということでもあります。おそらく次の世代を担うのは、明らかに最初はアレルギー反応のあるものであり、それでいてそこには愚直なまでに愛がなければいけないのです。批判と非難の先に、自らの正当性を主張するための序文にしているだけでは、本当の意味での業界のために力になりたいと思っている根源は一緒であることを忘れてはいけません。少なくとも、どんな状況においてもこの業界に寄り添い、諦めずについてくる、そしてついてくるだけではなく、業界を思うからこそ直接に行動する、そしてそれを直談判するぐらいの気持ちがなければ結局は何も変えられません。影で文句をいって、アンチテーゼを唱えているだけでは何も変わらないことを、私は理事になって学びました。

地域包括ケアシステムの説明会において、人口動態などの背景の説明は、地位包括ケアの前提条件となるため、必要不可欠であり当然押さえておかなければならないポイントです。特に強調されていたのが、85歳以上の増加率です。65歳未満の社会保障を支える主な人口が減少することは、既に少子高齢化が叫ばれているので耳に馴染んでいることでしょう。
例えば2025年問題と言われている、団塊の世代が75歳となるこの年に、既に85歳の伸び率は急さな右肩上がりになっています。つまり本当に社会保障費が問題になってくるのは、75歳の後期高齢者だけでなく85歳以上の人口増加なのです。

国の当事者となれば、この人口動態を背景に、あらゆる政策を打って出なければいけないことは当たり前です。しかしなごら、いつも思うのはその立場にたって、当事者意識になるかどうかは、責任を持たされているかによります。
理事となれば、その前提条件は押さえた上での、地域包括ケアへの取り組みを説明することになりますが、果たしてその国の人口動態からの視点にて、自らの職業意識として高めることはできるでしょうか?
このままでは日本の社会保障関係費は、破綻することは明らかであり、そして国の借金は膨らみつづけています。この、借金はとても返せる額ではなく、今だに国債と言うなのもとに発行され、借金にて国の財政は回っています。
この事実を持ってしても、先代からの政府、政治に関わる関係者そのものが、税金という勝手に集まってくるお金に群がる意識そのものの権化と言えます。
どれほどの人達が社会保障関係費を削減するための意識を有して行動しようとしているのか?私もまだこれからその意識の必然性を高めて行くことの過程にいます。一度聴いただけで、何かが分かるほど単純ではありません。必然性が高まるとは、実感と経験とそして常にアクセスしていく意識がなければなしえないのです。自然にどっからか降ってくるわけではなく、真剣に向き合うことで初めて理解できるのです。そこには賛同だけでなく、反発と葛藤と、それでも諦めないで支えてきた継続あってこその境地なのです。もちろん、そこから新たに行動を起こして外から盛り上げようとすることも、最初の思いはなんらかわりません。しかしながら、結果的に残ることの葛藤は、新たな道を選ぶこと以上に大変かもしれません。もちろん、そこに美味しい水があるから居直って居座るということとの残るもあります。ではなくて、苦しいときに、逆境時にどれだけ支えられるか?ということこそが、何か歴史を残す鍵になっているように思います。頑なに続ける…ある意味自分に欠けている要素ではあります。そのことが、今更ながら突きつけられるとは、いやはやまだまだ成長できる余地が多いに残っているという意味において喜ばしいことでもあり、しかしながら、既に人生折り返し地点にいながらにして、この地点にいることの絶望感にも似た気持ちにもなります。

ただ人口動態などの大局観は、何故にその施策を、国がしようとしているのかという理解には納得材料となります。
私も何かを理解する時には、その根源になるもの、理念や前提条件を必ず理解しなければ頭に入らない思考です。

介護保険は支える被保険者が減少し、それでいて受給者が増えることを考えると、既に医療と介護にて国民の健康を支えるには限界があるということです。
 
病院の病床数は決まっているなかで、入院患者はどんどん増えることになります。特に85歳以上の人口増加による、介護と入院の増加は必須であり、在院日数を減らしていくことと、在宅への円滑化な引き継ぎが不可欠となってきます。やみくもに退院を迫っても仕方ありませんので、それは十分な引き継ぎや申し送りがなくてはいけません。
その一般病棟、回復期病棟からの在宅への退院時に、どれだけ生活の中での課題を共有して、対策を講じられるかが大切です。つまりは、どのタイミングでどの職種が関わっているか⁈ということが実はその後の機能的な予後に関係してくるのです。
また退院時指導や、在宅での指導もしっかりと継続できるように書面などにて、原因や方法について残して説明することの重要性も示されました。
つまりは一人一人のセラピストのスキルだけでは今や自立という目標には向き得ないということです。この自立という言葉の使い方が、各々の立場によっても違うらしく、共通言語としては使わない方がいいといったレクチャーも新鮮でした。
リハビリテーションは生活身体機能の自立を促すことを目的とします。他職種の自立とは?作業療法士は身体に限定しない、何をやりたいか?やりがいや希望になるのかもしれません。
看護はもう少し疾病のケアーにおいての自立?介護は能動的というより、介護保険を使っての介護者も交えての自立でしょうか?

この辺りは他者への理解がいかに難しいか!世界や歴史が証明していることへの本源的な解決策につながってきます。これは、究極の平和や幸せとはという問いに対しての一つのあり方になります。
おそらくある程度成熟した社会や大衆と意識や立場がなければ行き着かない、もしかしたら日本であるからこそ、日本人が世界に発信できる文化かもしれません。物や形ではなく、その考え方や物事への取り組み方。そこにリハビリテーションという理念が、理学療法士が関与できることでしょう。
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