ジャイロトニック

Category: bodywork
ボディーワークインストラクターと予防


1/3~1/6 ジャイロトニックプレトレーニングコースの前半三日間を終了しました。明日から残りの3日間が始まります。プレトレーニングとはジャイロトニックのインストラクターになるための第一段階にあたるコースになり、合計6日間の行程になります。
学習とはインプットとアウトプットそして身体で覚える。この行程が必要です。アウトプットはインストラクターになってから、クライアントに対してセッションすることですが、また生徒に教えるという行程はまた違ったものがあります。

理学療法の分野にて講師をさせていただくようになって10年あまりになりますが、また新たな分野にてスタートするのはまた最初からの行程を踏むわけで。それはそれなりにパワーがいります。ある程度の位置に来てしまえば、あとはスムーズに流れ出すのですが、最初に筏を押し出すのが億劫になってしまうのです。

現在、理学療法協会は予防を最前線にて取り組んでいこうとしています。
この予防という当たり前の価値観を具現化して国の施策として動かすことができるタイミングに来ているということです。これはとても大きなことであり、個人個人誰に聞いても大事だ、その必要性を感じている予防を、いよいよ具体的な形となって世の中に示すことができるのです。

前にも書きましたが、治療の名人は予防の達人にはなれません。自らが際立ち、そしてその個のみがとがってもチームとして成り立たないからです。セリアAのACミランに入団が決まった本田選手は、日本人には規律を重んじるdiscipline;という強みがあることを英語にて語っていました。どんなにバロテッリのように際立ったFWがいても、ミランは低迷してしまうように、やはりチームとしての規律なくしてはサッカーは成り立ちません。また、ザックがよく言っているように、あらゆる役割を果たすことができる柔軟性(ボリバレンと)が必要です。サッカーというのは、結果が全てであり、スターがいくら揃っていも、エースが一人いても勝てないことを如実に物語っています。そしてあらゆる場面が評価と非難の対象になってしまうシビアな世界です。つまり自己中では通用しないということです。これだけ厳しい評価にさらされながら、世界中で研究と切磋琢磨しているということは、人生のあらゆる要素が凝縮されているということなのです。

話がずれましたが、予防を理学療法士が本格的に社会に対して取り組んでいくということは、成果を挙げなければ話にならないということです。国でもスポーツでも公約通りにいかないことがいかに多いかということを考えると、それだけいい加減なのか、責任を最後まで持つという責任感の欠如なのか、誰かがやってくれるともたれかかっているのか、データを揃えてロジカルにはうまく行くはずなのが、実際は人が対象であるがゆえに、その本当に大切な人対人という基本をおざなりにしてしまったのか。本当に一生懸命にやったけど時代やタイミングにて、成功しなかったのかもしれません。いずれにせよ、どこかで巨大な組織と枠組みと、あらゆる利権と力が入り組みすぎて、たとえ国のトップでさえも思ったようには自由がきかないのかもしれません。

さて予防についてですがジャイロトニックと何が関係があるかと言いますと、運動療法になるわけです、結局は予防というのは。つまりエビデンスをかき集めて予防のコンセプトを集めたとしても、そては腹筋やストレッチ、ボディメカニクスなどになってくるわけです。実際に忙しい仕事の中で、どのように予防するかというと腹筋などやっている場合ではないわけで、それこそ時間に反比例して効果が出なければいけなくなります。

1番は教育と啓蒙ということになります。テクニックや方法論はその次になります。このようなことを理学療法士が率先してやっていますよと、広報の方法を考えることです。

その上で介護予防や転倒予防とは違うモードを出さなければいけません。転倒予防は高齢者が多くなります。明らかに同世代の人たちを巻き込むためには、違ったモードを持ち込まなければなりません。私がボディワークのインストラクターを身につけようと思ったのは、インストラクターの持っているスキルを身につけたいと思ったからです。明らかに理学療法士が便器と臨書のみでは身につけられないスキルが、そこにはあるのです。
盛り上げ方、意欲の引き出し方、与えられた時間内に、起承転結を入れて満足感を持って帰ってもらう。その顧客優先の精神は医療だけでは足りないのです。理学療法士は医師側か運動指導などのトレーナー側か?
日本ではどのようなスタンスにいるのか?アメリカなら完全にDr.と並ぶような感覚なのかもしれませんね。
さしもの医者ほどではないのでは?と思いますが、教育課程を考えると日本よりは医療従事者のなかで決定権と責任をもたされており待遇面も含めてその地位は高いように思えます。

 日本では理学療法士は明らかに医師ではない。しかしながら昔から医師を目指して、医師に負けるなと、もう少し言うと医師を目標にそのコンプレックスをプライドとして上昇していった業界なのです。少なからずそのような自負をもった先輩方が沢山いました。人数も少なく知名度はさらに今より低い中で、それは先駆者としての気概が無ければ今はもっと落ちぶれているはずです。間違いなく理学療法士だから自然に今の立場があるわけではなく、先輩方の努力により今の場所にいることをまずは知ることです。その信頼と価値の上に自由に何をやってもいいということではないのです。例えばアメリカへのFAでも先駆者の野茂さんはそれこそ逆風のなかを切り開いた先人です。その後に評価を落として帰ってきた選手がどれほどいたことか?日本で通用しなくなったからといって、メジャーに挑戦という、確かに選択は自由ですが、一昔前なら絶対無理な引退するならメジャー挑戦などなかったわけです。そうは言っても得られた権利や道筋は先人のみが苦労して、開いた道は難なく通ってしまうというのが時代の常でしょう。

 さてさて、運動指導をするトレーナーか?それとも医師か?患者との関係から言うと先生と言われてしまうわけですので、医師よりかもしれません。しかしながら、明らかにその待遇や地位は及びも付かないわけで、治療といってもリハビリ医の治療に根ざしたリハビリの発展をみていると、セラピストはアナログにて地道にフォローする存在であることを実感します。医師は全てにおいて治すという観点で、製薬会社や企業と組んで、そして研究に論文にメディアにと、先進的な医療をリードする気概を感じます。リハビリはこれがいいんだと自負はしているものの決定打はなく、医師の指示のもとに医師の理解の範疇内にて論文や文献を引用してきて、自らの正当性に肉付けしようとします。
画像や映像そして数値化することの文化を当たり前のように持った医師とは、インパクトが違います。時代を変える力が違うのです。また医師がこのままだと大変なことになりますよ!という命を楯にムンテラできるのとは違って、我々は運動を励行しないことを同じスタンスでは諭せないのです。毎日やらないから良くならないという論法ではなく、やろうと思えないような内容や指導方法だからこそ続かないのだと気がつかなければいけないのです。
何故なら、予防とは全てにおいて自主的な意欲のもとに成り立っているからです。意欲を高めて続けてもらうマニュアルや方法論も沢山でていますが、これが学問になると安っぽく聞こえてしまいます。理論的に良くても結局は実践するのは現場であり、地道な人間関係の構築なのです。

 この辺りの地道さは、運度指導を日々やられているおばさん集団は強いです。変に専門家ぶっていないからこそ、寄り添えるのです。リハビリ専門職は比較的、気持ちを汲み取りながら押し付けないようにしながら進めていくキャラクターですので、その辺りはおとなしすぎるという欠点はあるかもしれません、また治療家としての自負が強すぎる人は、集団体操のお兄さんなんてやってられるかという気持ちもあるでしょう。治せるということの意識は、やっていただく続けていただく、楽しんでい身体を動かしていただく、やる気を引き出しながら盛り上げていくというスタンスにないからです。
 このような盛り上げていくというようなスタンスは、インストラクターとしてのトレーニングが不可欠です。自らの身体と表現でキューイングを出しながら、誘導していくのですから。

 病院では医療従事者として、介護現場では福祉の立場として、そして予防などの現場においてはインストラクターとしての顔が必要なのです。幸いインストラクターのライセンスを有している理学療法士はかなり増えていますので、そういった意味においてはこのようなスキルを持った人材を活かしていくことが有効だと思われます。

ジャイロトニックから話が飛びましたが、現在メンズ4名にて開催しておりますが、希望者が今後もいましたら、随時開催いたしますので、お問い合わせください。
ルーチンとして年始に開催しようかと考えています。
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