世の中を変える力

Category: 多事総論
八重の桜 最終回

 大河ドラマの八重の桜が昨日で最終回となりました。
龍馬伝が幕末ならば、八重の桜は幕末から戊辰戦争を経て明治政府が新生日本を歩んでいく過程を、会津の視点から描いたものになります。
 視聴率としては芳しくなかった回もあったようですが、私としては龍馬伝の続きをみているようで毎回録画してその時代考証を垣間みていました。会津の戊辰戦争や二本松少年隊、白虎隊、新撰組の土方歳三が率いる五稜郭の戦いなど、数々の歴戦の舞台となっています。江戸から明治への、国際国家への転換のなかで武士として、幕府に対する藩としての愚直さによって多くの血が流されたといえます。

会津の愚直さ!
国家の安寧のために汚名を背負い続けた会津
亡き大勢の無念を背負って明治を生きてきた会津藩
決してあきらめない生き方を貫いた会津藩士と新島八重

最終的に汚名が晴らされたのは、明治44年に会津藩の家老であった山川兄弟が執筆した京都守護職始末にて、松平容保が天皇からの信頼を得ていたことの証が示されました。
昭和3年に松平容保の孫勢津子と秩父宮雍仁親王の婚礼にて、会津の汚名が晴れたのです。
その名誉の回復を記念して会津祭りとして毎年9月に提灯行列が開催されています。
 戊辰戦争の敗北から立ち上がった会津、決してあきらめなかった生き方は永遠に語り継がれるべきです。

二本松から会津は東北道から磐越道にかけて辿っていけます。
会津若松の鶴ヶ城、磐梯山など本当に風光明媚で奇麗なところです。
今回の震災によって原発という苦難に直面しています。
さらに長い時間を要しての復興を余儀なくされています。
おそらく私が生きている間は解決しないことも明らかです。
簡単に会津魂でということは言えませんが、その愚直さにより時に苦難に立たされる、そんな生き方に学ぶべきとろも沢山あるでしょう。
 合理性と安易さが氾濫している風潮とは相反する生き方は、現代においては受けないでしょう。現代は成功という名の下に内包している意味合いが、テクニカルな面だけをピックアップしたマニュアル本の暗唱となっています。うたい文句は、世の中を変える!とアドバルーンを上げても、実際には世の中を変える力には成り得ないでしょう。

明治政府を作った薩長も、辛酸を嘗めながらの維新です。そこには会津と同じく、帝への忠誠という愚直さがあったはずです。
その愚直さ故に、日清日露戦争の果てに第二次世界大戦へと押し流されていったのかもしれません。その愚直さを利用した面もあったかもしれません。

また、その流れを先導したのは、現代でいうメディアの力もあります。ジャーナリストで國民新聞を主宰していた、徳富猪一郎もその一人であった。政府と国民の間に立って、世論を巻き起こす先鋒となるメディア。今も昔も、その役割は大きいといえます。

愚直さは時として利用され、時として思わぬ落とし穴に陥ることがあります。
人はどうせなら落ちないで、要領よく生きたいと思うわけです。

理学療法に置き換えると、今まさにその過渡期にあります。
グローバルリズムによる順応性と変化に対するスピードと展開。
今の理学療法を取り巻く状況は、愚直な生き方に、少しばかりの時代を先取りする運と狡猾さが求められています。
この時期をじっくりと我慢して耐えて信じることが求められています。
もっと儲けようじゃないか!
いい思いをしようじゃないか!
かっこ良く生きよう!
見栄をはろう!
そんな生き方のほうが楽しいに決まっています。けれども、だけど、しかしですよ。
実は本当の敵が誰かを分かっていないのかもしれません。
理学療法士が野心をもった職種だとは思われていません。
言って見れば、ノーマークなのです。
本当の意味での世間の厳しさと難しさに直面していません。
ノーマークであるからこそ、無風で思ったように自己実現できているように思えます。
しかしながら、このノーマークであるからこそ好き勝手に振る舞うその姿勢が、仇になることでしょう。
自由診療の名のもとに開業することで、まだ数が少ないうちはいいでしょう。しかし、これが全国一万軒となるとどうでしょう。こんだけ目だては、国も医師会も他団体も見逃してくれないでしょう。
この姿が理学療法士の理想像でしょうか?間違いなく集客と、儲けるための思考が中心になります。それが国が求める国家資格である理学療法士でしょうか?
何事も、痛い思いをしなければわかりません。
国際社会をみてもしかり、医療という中での理学療法士を取り巻く状況もしかりです。

奥歯に物が挟まったような言い方に留めますが、そんな時代の変わる、変える、世の中を変えることができる局面に立っていることを自覚するべきでしょう。気がついたものだけが、その時代の担い手としての生き甲斐のステージに立つことになります。自己が中心の輩から見ると、目立っているその姿は気に食わないとなります。引きずり落として、自分のステータスの保身に走ります。

今まさに幕末の志士のような愚直さと、しかしながら会津や新撰組や志士の辿った歴戦から学ぶべき姿勢、つまり歴戦の血を無駄にしないこと、理事は志士でありながら血を流さないで生きるすべを歴史から学んで職能集団としての先導を任されています。
 本来はスポーツのチームでも経験が活かされます。サッカーでも数々の経験が、次のワールドカップの戦いにいきてきて、サッカー大国としての地位を築くことができます。
 理学療法士も同じです。経験なくして失敗なくして大国になることはできません。しかしながら、現代は大きな失敗は致命傷となります。経験してことがない世界に飛び込もうとする中で、そしてその経験が無いにも関わらず、経験を踏まえた上での立ち振る舞いを示さなければいけません。
 理学療法士の地位が上がるということは、知名度だけの問題だけではなく、多くの敵という言い方はどうかと思いますが、今現在の下から見上げている状況は敵の何者でもありません。しかしながら、いつかは敵ではなく同じ医療を担うための同胞としての民度を獲得しなければいけません。
 成功という名の下の、ビジネスイメージにて、患者さんのために、世の中のためにという理念が埋没している感があります。若者のその目立ちたい、偉くなりたいという意識は仕方ありません、それぐらいのものがなければ晩年に丸くもなれないからです。しかしながら、その先進的な活動をするものの教養がどうでしょう?地位と力を持つことによって、うまく使いこなせるでしょうか?獲得して知名度は、やがて自分だけで獲得してものとして振る舞うことで、いずれ疑心暗鬼になって排他的な政策をとり始めまます。隣国をみても明らかです。
 歴史は文字であって、体性感覚や意識として共有していないので、結局繰り返すのです。想像力でしょう。必要なのは。歴史は何度も同じことを繰り返しているはずなのに、あたかも自らの試みが初めてのように錯覚します。

 土日の二日間、賛助会員懇談会と47都道府県士会長が集っての、組織運営協議会が開催されました。
地域包括ケアシステムの実現に向けて、理学療法士がどのような取り組みを行っていくべきかという重要政策も示されましたが、その根底にあるスタンスを理解しておくことが大切です。また国家戦略としての医療を担うための理学療法という認識も大切です。理学療法と国家?となると思いますが、そこまでのパラダイムシフトが求められていること、そしてその岐路にいることをいち早く気がつくことです。最早、自己だけに向いている、狭い成功というモデルにとらわれいる場合ではありません。狭い成功モデルを推奨している輩は、国が危機に陥ったときにも、自分の保身に向くでしょう。そしてほとぼりが冷めて上向きになってきたら、また出てくるといういつの時代にでもいる要領のいい人ですね。確かにその利益誘導のうまい人が時に時代を先導していくわけですが、大概、理念を欠いているため国を迷走させます。かき混ぜて、迷走させている事例は政界でもよく見ますよね。
 得する生き方!
 愚直に時代を変える生き方!
しばらくは、その引き合いの中で時代は動くことでしょう。
どちらに行くのも間違いではありません。
どちらを選んだら尊いとは言いません。
品格と品位!
だから何なの?ということもあるでしょう。
日本というリハビリ専門職としての、信用と人格があるからこそ、その得する生き方の成功術によるセミナーも盛況となるのです。医療のなかの理学療法や作業療法だけですよ。そんなメンターや自己啓発のためのセミナーが、こんなにも素晴らしいと映るのは。みんながそうなったらどうなりますか?信用の失墜により、世間の価値が一気に下がります。それでも、そんなことはお構いなく汁を吸い続けることでしょう。
 
ワクチンみたいなもので、そんな反面教師もいなければ正規軍も成り立ちませんので、必要悪でしょう。

世の中を変えるステージが既に目の前にあることを、この何も変わっていない、変わりそうも無いと、兆しも見えないと思いますが、実は着々とその階段を昇っているのです。
丹念に見ていくと、そのことが良くわかります。
時代を本当に変えるということはどういうことか?

時代と歴史のなかにそのヒントは隠されています。
スポンサーサイト

コメント:0

コメントの投稿

トラックバック:0