新年の言葉

予防とリハビリテーションマインド

治療の専門家は予防の専門家ではない。
予防に勝る治療は無いということに異論はないと思います。
治すための治療技術と臨床思考過程、および背景となる理論的背景に必要な知識は医療従事者として研鑽することは当たり前です。この二行で説明した内容だけでも一生を通じてもゴールのない道になります。
治療、治すための、治るための可能性への探求はまさにロマンと言えます。
それは治療者側にとってのディスカバリーでありフロンティアとなります。

しかしながら、これは船長か乗り組み員のロマンであり航行となります。
大漁であれば沿岸で待っている家族や人々に幸せを持ち帰ることになります。

しかしながら、時代は変わり天候やその時の運により釣れたり釣れなかったりでは、安定した生活は成り立ちません。
腕一本にて金を釣り上げる醍醐味はたまらないと思います。
私も東北の沿岸部に通い住人の方々とお付き合いさせていただきましたが、沿岸部の人たちは腕一本で食ってきた海の男達です。震災により個々で舟を用意して再開するのには、難しい問題がありました。そこで合弁会社のようにして合同でやれば、就職先として受け入れることができます。若い世代からすると安定した生活と収入が得られることは、その地に根ざして生活を続けていく上では一つの選択肢となります。しかしながら、昔から海と戦いながら腕一本にて御殿をたて、子供を大学に行かせて東京に出すという誇りが、サラリーマンとしての漁業への転身はとても受け入れることができません。腕一本にて御殿を建てることができる宝の山である海が、サラリーマンとしての定年までの安定に引き換え、一定額のサラリーになってしまうのは男のロマンが無くなってしまいまうからです。しかしながら、この一攫千金というロマンは、かえって若者と沿岸部への定着と生活という復興には欠かせない新たな道を閉ざしてしまうことにもなるのです。
 リハビリ業界にてサラリーを当てにしていては生活がままならないから、ロマンを求めて一攫千金しましょう!とビジネスという名のもとに道に誘う手法が横行しています。
 それは会社を飛び出し、腕一本にて荒波に飛び出すための方法論までは机上やセミナーにてレクチャーしますが、海の上での乗船や実践については面倒は当然のようにみません。遭難することもあるということ、釣れないこともあるということは触れないで、成功することだけを吹聴して刷り込みます。洗脳された側は、何の経験値もないにも関わらず出来るんだという論拠のない自信のみを纏うことになります。

 これは心理的な誘導によって成り立っているため、その心理的なレクチャーの繰り返しの連鎖がビジネスになります。
成功の法則をレクチャーすることにより、次の講師を育成しそのテクニックを覚え心理的な誘導によって、引っかかる人のみを対象としたビジネスです。当然、そんな口車にのらない人は離れていくのですが、全員が去るわけではありませんので、何パーセントかは信じて付いてきます。つまりは、反発も非難も誹謗中傷も折り込み積みで成り立っているのです。そして敵が多くなればなるほど、その真理の正当性と結束が高まってくるのです。どのようなネガティブな逆境も、言葉一つでどうにでもなるのです。結局は教祖のみが得をするメカニズムなのです。

さて結局結果が出るという触れ込みはシングルケースの成功体験の吹聴でしかありません。
その成功体験こそが臨床家の若者にとってもセラピストとして生きていくための自信になることは間違いありませんが、10年目を越える経験者はそろそろ違う視点が必要となってきます。時代を業界をリードするリーダーシップです。
そのためには個人から、公共への視点の追加です。転換や変換でなくていいのです。あくまで追加と少しプラスすることで十分です。
自助・互助・共助・公助のステージをしっかりと踏むことこそが今の時代に求められる医療人としてのスキルなのです。
既に過去の先輩達によって築き上げられたステージや、権利や地位のなかで守られた世界にとどまることからの脱却が必要であることは間違いありません。これは誰もが前提として唱えていることであり、その先の誘導が独立という名の下の手段として自費診療やダイレクトアクセスであったわけです。
しかしながら、この自立という一見聞こえがいいその先には、業界の離散と敵対というイデオロギーを産み出してしまいます。そして、政治力が強くなってきて社会に対して影響力が強くなってくればくるほど、問題視されてくるのです。
ノーマークだからこそ、自由に何をやっても巧く出来ているように感じているのです。別に自由にやっても、何もマイナスはない、社会や世間から国からの制約も規制もない。それは現在はということです。これがどんどん増えて結果的に何千人も巷に溢れたらどうなるか?誰でも先駆者はいます。その先駆者の立ち振る舞いが、その後の命運を握ってきます。
誰もが最初は崇高な理念によって、この業界の問題点や課題をもって進んでいきます。
しかしながら、それがいつのまにか一つ一つこの業界のビジネスにうぶなところや、新人の多さ、不満因子や潜在的に眠っている不満などを巧みについて誘導していくことによって利益誘導体質に変わってきています。結果的に旨いところだけを強調して利用することで、どんどんと増殖させていきます。しかしながら。この増殖の結果、我々の価値や地位があがることはありません。独立して開業している職種は沢山ありますが、果たして儲かることを前提とした業界に、信用はありますか?そんなことは過去のあらゆる事例をみれば明らかです。結局はそのテクニカルは、狭い業界内にて通用するだけで、世界に産業として売り出せる模範にはなりえないレベルなのです。

 何度でも言いますが、今は我慢しどころです。本当に協会が国をリードする立場になったときに、果たして自立自営を促している人たちが賛辞するでしょうか?きっと、それでもいちゃもんをつけて、自らの正当性を言うでしょう。何故ならば、大きな力や団体への対抗こそが、個や自らの正当性が際立つ手段だからです。結局は自営とは経営が旨く成りたたなければ、絵に描いた餅になります。よって経営がメインとなってしまいます。また全員が成功するわけでもなく、生活が成り立たないことも珍しくありません。プロとは生き残るためであり、そのために淘汰される人も出てくるのは仕方ありません。しかしながら、既に開業を認められて何十年も実績のある業界がどうでしょうか?全員がウィンウィンになっているでしょうか?そして成功者がリードしてセミナーなどを開催しますが、それによって底辺は上がるでしょうか?そう信じて誰もがやっているわけですが、創始者が沢山いても仕方ないですし、また創始者を越えることはほぼできません。ある範囲や地域にて、そのグループが医療という理念のもとに突き詰めている集団は、数値上の売り上げなどの価値観ではない成功という表現も少しそぐわない、それでいて使命と役割を担っていることにより人が集まってきます。結果的に全国から患者も集まってきます。どれぐらい売り上げとか、支店がとか、経営とかという話題が前面にでることはなく、患者は途絶えません。そして必ず学術や研究そして発表、エビデンスという社会的な基準を忘れることありません。

まだ理学療法の業界では、自立や自営にてレクチャーしている人が、学術や研究そして協会に協力的である人はほぼいません。また予防や地域という当たり前の視点への転換が遅れている人が大半です。

今はあらゆる医療業種が転換を求められいます。超高齢化社会において何をどう成すべきか?地域包括ケアという海の者とも山の者ともわからないその概念を、医療とは一見違う視点から医療を見つめ直し、再構築させなければいけないのです。そのキーワードの一つが予防です。予防は今に始まったことではなく必要性を最も分かっている職種の一つが理学療法です。
つまり、一人の達人よりも、多くの賛同者と協力者が必要なのです。

すでに予防の必要性は国はもちろん、最大の関心ごとといえます。
理学療法士においては、予防はまた機能的なという独自の思いがあります。理学療法士が考える予防は、身体の使い方であり、機能的な負担の少ない動きやすさになります。

この観点は自然発生的に我々の中で湧き上がっているものであり、時代とは関係ないという特徴があります。
つまりもともと我々の専門性の中で、立場の中でこうあるべきだという想いが、比較的共通しているのです。そこに来て時代が高齢化社会に伴う社会保障費の高騰による、予防の視点です。ロコモティブシンドローム、メタボリックシンドローム、認知症などなど、この辺りの疫学的なリサーチはやってこなかった部分であり、我々の思考に欠けていた分野なのです。

個別性へのこだわりと、目の前の患者を直すという気質は、まさに我々の真骨頂ではあるものの、それがまたネックにもなっています。まさか治療技術を伸ばすことがネックになるとは思いもよらないと思いますが、そのこだわりこそが我々の進化を支えてきたことは確かですが、現代の時代の流れが変わっていることの察知こそが必要なのです。

予防のために多様な健康に対する視点と社会保障費の状況の把握、そして求められるキャラクターと他職種への理解とお互いを認める寛容さ。それこそがリハビリにおいて磨いてきたスキルです。

今まではどうして開業権がないのだろう?どうしたら開業権が認められるのか?という思いがありましたが、今となってはかえって独立開業権が無くて良かったと思います。この時期この時代において、変に独立意識が高くなると、必ず離合霧散するのは明らかであり、そのような団体には国も重要案件を任せるわけにはいきません。ある程度忠誠を誓って我慢する、適応するように出来るように努力する。時にはものすごいストレスを感じながら、理不尽さを感じながら勤めることになります。確かに辞めたくなることもあります。何のために働いているのかを自問自答することになります。飛び出して一人でやろうとする人が出るのは、ごく自然な流れです。もう病院では働きたくない、かといって介護保険下でのサービスにも、興味があるわけではない。治療がしたいー!そう思う人がいることは当たり前です。
しかしたがら、50年間という歴史の中で医師の指示の元に医療補助行為を行うという、家臣の立場に延々といてジッと思いを蓄えながら地道に歩んできたその歴史と、文化によって築かれたキャラクターこそが、これからの、時代に最も必要とされる人材なのです。
つまりは、今まではネガティブに捉えられがちな我々の境遇や気質こそが、プラスに作用しメリットとして開花する時代が直ぐそこに迫っているのです。
だから腐らないで、今しばらく我慢して協会と国の動向を注視して足並みを揃える努力を続けて欲しいのです。

さて、予防のためには、能動性が不可欠です。しかしながら相変わらず他動的なアプローチをメインとする文化が拭いきれない事実が、我々の進もうとする歩みを留めてしまう要因となっています。

これからは、運動療法という当たり前のこの手段を、理学療法士として改めて価値を創造し、リサーチ能力とその社会が認めるデータをもってのプレゼンテーションを常に意識する、そんな教育と視点が必要なのです。

今年一年しっかりと歩んでいきましょう!!
スポンサーサイト

コメント:0

コメントの投稿

トラックバック:0