再考「真の臨床家とは」

結果を出せる!のからくりとメカニズム

 結果を出す臨床家は、普段の日々の臨床において全力で取り組めることです。毎日の臨床を、一日中全力の力と集中力にて臨めること以上のすばらしさはないのです。セミナーにて腕を見せたところで、それはセミナーだからこそであって、臨床にても同様に力と意欲を発揮できるとは限らないのです。つまりはセミナーでは賞賛と利益というインセンティブがあるわけで、モチベーションが上がって当然なのです。では日々の臨床は毎回賞賛されるためにやっているわけではありません。試行錯誤して時にはうまくハマらないこともあるなかで、奮闘することになるのです。そんなにさらっと結果が出る方法などと唄うことこそ嘘くさいものはありません。
 
 セミナー時の自分を超えられないジレンマ。この特別な場面と同様の力を臨床にて発揮できること、その能力を磨くことこそが課題なのです。しかしながら、巷には知名度は低くても、このようなすばらしい臨床家は沢山います。そのようなセラピストは謙虚で愚直なため、表には出てこないのです。すこしばかりの野心がある人が表に出てきているのです。現在は実態のない世界です。画面上にて数値が動いているだけでバーチャルなのです。だからこそ、その数値への価値観と心理が世の中を動かしているのです。よって、自己の価値や特性を明確にはっきりと口外できる人が秀でているように錯覚させることができるのです。その空気をカリスマと称されているものなのです。本来ならば脳内のシナプスを混戦させながら試行錯誤するのが、直線的にある単一のシナプスのみを最短距離にて使うのです。
 
ある意味短絡なのです。短絡だからこそ物事を言い切れるのです。そしてその短絡なシナプスを理解するのに他人は時間がかかるのです。即座にそのシナプスに追いつかないので、間が空きます。返答に窮します。そこで畳み掛けられるように次々に断定されると、ついには思考はいつの間にか遠いところに連れて行かれて戻って来れなくなるのです。そして洗脳の完成です。こういった世界にて染まったセラピストに何人か合ってきましたが、完全に話の周波数が合いません。何と言ってもシナプスの使い方が違うのですから当然です。

 別の人種のようなものです。日本語を操る異星人ですから、地球人とは話が合いません。世の中的にはこの異星人が目立つのは当たり前です。そして時に崇拝の対象になります。ところが脳のシナプスの使い方は適応します、いずれ同じ方法では通用しなくなるのです。こんな心理ゲームをしていても仕方ありません。世の中を変える。世界を変える。よくそんなに簡単に言えるものです。本当にかえることができるのは自分だ!実感と実力が自然と言わせるようにならなければいけません。しかしながら、本当に実力があって言える立場にあり、言っても当然の格の人であっても、コメントは謙虚だと思いませんか?

 先日も岩隈選手がインタビューにて、最高の数値を残したんじゃないですか?と聞かれて、「そんなふうには意識していませんでした。ただローテーションを守れたことが良かったと」というような類いのことをよく耳にしますよね。マー君もしかり。ところがリハビリ業界のビジネスや施術の自称名人は「どうだ!!こんなにすごいぞ。君たちもこうなりたいだろう』本当に世間を動かすことができるようになった人が、こんな風呂敷は広げません。いちいち吹聴するなよと・・。ただ実績と貢献は誇張せずにタイムリーに広報すべきです。それは今の時代として、謙虚という名の下の内向きは損失だからです。本当の意味での社会の歴史のなかで必要とされるものを押し進めていく。それは当たり前の正攻法なので、手っ取り早くありません。だからより手っ取り早いものに短絡的な思考とロジカルに流れるのです。しかしながら理学療法を手っ取り早い自己主張の道具や材料に使っていいのか?

 最近はずいぶんそのからくりが分かってきて、冷めてみる人が多くなりました。そうするとオレオレ詐欺のように、地方へ情報が届いていないところで、また別の手あの手で品を変え、これも世の中を見ていればわかることです。結果的にはこのような思考の持ち主は、暇と脳の働きをそこばかりに焦点を合わせているので、素人ではかないません。
かけている時間と視点が違うのですから、これは仕方ありません。思い入れの強い主張は全く考えたこともない人からすると、目から鱗かもしれません。その目から鱗は使ったことがないシナプスと思考と視点だということが共通項であり、それが本当の意味での真であるかどうかは別問題です。

 とある宗教でも、悩み葛藤を抱えながら疑問を持って、そして世の中を真剣に考えていた人が入信していったようです。その段階では特別は問題のある人ではありません。むしろ誰よりも深く世の中の矛盾をついていた人でしょう。

 ちゃんぽらんの部分があるほうが、はっきり言って洗脳されません。そういった人種には最初から近づきません。またマルチ商法思考の人間も、ちゃらんぽらんの遊び心がある人は扱いにくいと思っているはずです。「まじーすか!」と言われてしまえば、どんなにもったいぶってしゃべったことも、一笑に伏されてしまうからです。そこでジーっと凝視して、憧れの眼で見る人のほうが扱いやすいからです。結果的にどんなに怪しい団体や考え方であっても、絶対になくなることはありません。思考があっちに連れて行かれているので、戻って来れないからです。遠くで戻ってこい!と言っても、隣の山の頂からの声は届きません。またはコダマとなってハウリングするかもしれませんが、目の前ほどの効果はないのです。脳のシナプスを意識的に自らを洗脳して変えている人も、実は元に戻れません。
 その思考と論法にて周りが動いて意のままに操れることを経験してしまっているからです。そんなに簡単に先導できる手段を捨てられるはずがありません。一度浸ってしまった美酒からは逃げられないのです。

 だからこそ、常に勉強であり修行なのです。キャリハイは永遠に来ないというのが正しいのです。確かに選手としてのキャリアハイはあるでしょう。しかしながらコーチや監督となってもパッとしない人は沢山います。野球という探求は選手時代だけでは終わらないのです。臨床もしかりです。あたかもその時点にて頂点を極めたかのような言いぶりは、明らかに嘘です。注目されないその場にて、真正面から向かい合って真剣勝負できなければ臨床にて結果につながらないのです。油断したらあっという間に、その腕はハリボテになります。マジックショーの見せ物になります。
 ピッチャーが160キロの剛球を投げることですごいだろうと言っているようなもので、試合に勝てますか?そして9回投げきれますか?連敗ストッパーになれますか?プレッシャーのかかる試合にて力を発揮できますか?ホームだけでなくアウェイでも力を出せますか?そして何年も勝ち星を上げられますか?大リーグでも実力をだせますか?素晴らしいピッチャーに終わりはないことは明らかでしょう。
 イチローを例に出す人は多いですが、小さい時に人と違った取り組みをしていたという点だけで、現在の地位があるわけではありません。現在進行形であるからこそです。臨床家つまり理学療法においても同じです。現在進行形であるかどうかが大切であって、過去がどうとかどうでもいいことです。

 そういった意味においては私もまだまだです。理想像には2割ほどの到達でしかありません。20数年もやってこんなところにしかいないのか・・・と思うことが少なくありません。しかしながら今の世の中は、頑張ったからここに立てるんだ!と山の頂を極めたかのように、そして立ち続けているかのように永遠と言い続けています。既にその時点で下降しているのです。そして人の視線を年収だけに固視させます。価値観を全てそこに集約させるのですから、他の価値観は全て排除ですから、誰も何も言えません。つまりその価値観では年収を超えていなければ何も言えないことになるからです。短絡的な思考への誘いですね。理学療法は比較的、機能というところで共通した価値観にて支配されているため、こだわりがあります。
しかしながら作業療法の場合は専門性が本当にあやふやです。作業という理念においてぶれないものが一本通っていればいいのですが、最初からアクティビティという教育にて共通しているはずにも関わらず、実際には専門性といったところで現実の壁にあたるのです。よって作業療法士のほうが、理学療法士よりも別の人種になりやすい素養を持っています。それが、有る意味特異的な人材が出てくる背景にあるのです。

理学療法士は理学療法を捨てられないが、作業療法士は作業療法にこだわりがない。理学療法は機能ということと、臨床での専門性と一致しています。もちろんその理念と価値観が、社会の評価と待遇に反映されなくなってきたからこそ、ほころびがでているのです。そのほころびを短絡的な思考にて切り崩しにかかっているのが、現在のリハビリ界にちらほらと見えるビジネスという名の下の流れなのです。そして、そのリハビリにて言われているビジネスは、マインドが突出して強調されているのが特徴です。メンターと呼ばれている人たちですが、医療や社会や地域や職能といった理学療法の専門性よりも、有名になるぞてきなビジネスマインドです。そのための意識改革という名の下の短絡思考です。確かに自分を改革することは必要でしょう。問題はその改革の仕方です。
 
 そうは言っても私の場合は複雑な脳のニューラルネットワークを思いっきり絡みながら歩んできたため、既に短絡的な路線を開通させようにもほどけないのです。だからこんなにも、長々とうんちくを述べられるのですよね。これがいいという訳ではなく、既にそのうよなシナプスを形成しているため、変えられなわけです。

媚びない
群れない
巻かれない


この三原則を座右の銘としています。
一つ間違えば協調性がないということですねぇ。
自分のことしか考えていないというのも過去の自分ではありました。
いずれにせよ、常に最高の力を出せる準備を心がけること。スポーツ選手と同じですね。まだまだです。
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コメント:1

新潟の鈴木です。

鈴木恭平
臨床に立ち向かえる活力をありがとうございます。
1人職場だからこそそういう団体やセミナーの講師をやってる同じ若手をみて劣等感までとはいかないですが不安を煽られている気がします。目の前の患者さんに立ち向かうその準備や集中力を常に研ぎ澄まし、全力で臨床に迎える今の毎日は最高に幸せです。
共有させてもらいます。

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