『臨床の中での見落とし』

>第15回カイロプラクティック徒手医学に参加して


臨床報告とはどうあるべきか⁈
単なる良くなったという、自慢話ではない建設的なディスカッションの場が『臨床の中での見落とし』というテーマにて設けられました。
レッドフラッグ(禁忌)はもちろんのこと、施術するにあたり何かを見落としていないか?
それが理学療法であれば、現在は動きの質ということがトレンドになる。これが、看護師のように、医師の医療行為に入っていくような立場になれば、鑑別診断的な知識が自ずと求められる。既に医師の診断のもとに、活動と参加、IADLの延長線上に予防や在宅、地域リハビリを考えなければいけない現状において、改めてそこにワーキングメモリーを割くためのスペースはない。
在宅リハをするならば、鑑別的な教育は必要だろうという論議はあるだろうが、果たしてその論議は高まるのだろうか?院内においても、以前は整形外科的なスクリーニング、手術方法などの知識は必須であった。しかしながら、スポーツリハビリの、病院内での役割が低下したこともあり、メカニカルなロジックよりも、高齢者の活動にシフトしていった。
また、体幹というツールを得たことにより、部分から全体、動きの改善へと興味が移っていった。ロコモティブシンドロームは症候群なので、疾患ではない。予防の観点からは、アクティビティの評価が先行するのだ。
リハビリは理学療法よりも、作業療法の概念へと推移していることは否めません。
レッドフラッグやリハビリの適応の判断は、医師の指示の元にと決まっています。この心理的な影響は大きく、いくら必要性を説いても、今の現状は変わらない。それは必然性があるのに義務を怠っているならば、この業界こそがレッドフラッグだが、必然性が低いのであれば興味も湧かない。
つまり、毎日の臨床にて必要性を感じないことは食指が向かないのだ。

また期間別に分けられたリハビリの現状においても、ワーキングメモリーは連携とコーディネートに占められる。

以上を総括して考えると、徒手療法は日本では主流になることはないだろう。そして徒手療法についてくる、疾患としての適応と禁忌の教育、そしてクリニカルリーズニング、臨床推論も聴いても素通りになるだろう。
理事の自分が言うのもなんだが、これが現実なのだ。別にこのままでいいと言っているわけではないが、問題だ!問題だ!とSNSにて叫ぶだけでは何も変わらないことも分かってきたので、歴史や変遷を見ながら、抜本的な方策を導き出すのが私の役割となる。

断っておくが、どんとん悪い方向に行っているという終末論を唱えることも不毛だ。努力し続けてここに来ていることも事実なので、積み上げた歴史を誇りに思うことだ。例えば、動きに対する機能的な見方は世界一と言っていいだろう!そして超高齢化社会でのリハビリにおいて、地域という考え方が浸透しつつあるこの現状も先進国だろう。
我々の積み上げた文化に自信を持たなくては、何も始まらないのだ。
もちろん、振り子のように、必ず戻りはおこる。どこに戻るべきか、歴史は繰り返すことが常ならば、歴史と文化を理解としておかなければいけない。その歴史の繰り返しの戻りに、自らの提唱する理念や考え方がマッチすれば、大いに活躍することになるだろう。下積みがあって、花開くお笑い芸人に通じる部分かもしれない。

その歴史の継承は教育です。日本の歴史も学校教育以外では、大河ドラマ以外は殆ど勉強しないでしょう。歴史も聞いたことがある、習ったことがあるというレベルになりがちです。
どの時期に徹底するかは、学校教育と教員養成、そして新人教育プログラムの段階になります。
繰り返しになりますが、学校教育や新プロで習ったことは、その後覚えていることの方が少ないわけで、使う必要性のある環境がなくては覚えられないのは当たり前。
学校教育にて英語は習ったでしょう!なんで喋れないの!と言われても困るでしょう。
文化やお国柄が違うからこそ見えるものはあったとしても、そこが基準になって話されても響かないのです。それは、英語を日常使わない環境だから必要性がないからです。率先して使わなければならない環境になければ、人はやりません。
しかしながら、指摘されれば確かにその通りなので、聞く側は黙るしかない!普段、そこに焦点を当てていないので、知らないことに申し訳なさが先行して引いてしまいます。
黙っているということは、響かないということなので、喋る側に問題があるのです。現状をよく分かってないということです。
監督と選手のコミュニケーションが必要なように、レクチャーする側がより聞く側の立場をもっと知らなければならないのです。

今回のカイロプラクティック学会では動きに対する発表や議論は、ほぼありません。話題は脳科学であり、レッドフラッグを前提とした、適応について、そしてダイレクトにインペアメントへのアプローチです。
そこには自動的に、臨床推論や思考過程がクローズアップされるのです。立場上、命に関わる何かが目の前にいるクライアントに内在しているかもしれない現実があるからです。
リハビリ関係者は、直ぐに医師の診察を促すというルーチンが身についています。それで現状は充分なのです。自分は鍼灸マッサージも有しているので、開業権があります。そうなれば、長年大学病院や総合病院、クリニックにて多くの患者を見てきた経験から、これは適応ではないという見たては、問診や評価そして直感的にも分かります。

カイロプラクティックは日本では無資格ですが、アメリカでは州法にもよるようですが、開業権があります。アメリカではフィジオがカイロプラクティックの分野を、かなり学んでいると聞きます。
徒手療法を生業としている職業として、日本という環境にて、研鑽しているという点では同じなはずですが、扱っている症状と来る患者の種類が違うのです。カイロプラクターはDCといって、アメリカにて研鑽を積んだ方が多くいますので、確かに理学療法とは事情が違うかもしれません。カイロプラクティック神経学といって、左右脳の機能を評価して、いかに脳への適切な刺激を入れるかという観点になっています。現在ではアメリカにおいては、栄養学が進んでおり、脳への発達を促すためのサプリンメントの研究と処方がカイロプラクティックのなかで行われているとのことです。
理学療法においては、徒手療法を語る人は、腰痛を語れればいいかのようになっていますが、カイロプラクティックでは発達障害やジスキネジア、皮膚科に勤めているカイロプラクターからみた足部のアプローチ、足の痺れも抹消神経だけでなく、脳の血流障害からの推論など、視点の違いに先ず驚きます。リハビリではアクティビティであり、地域リハビリです。
理学療法においては、何となく海外からのプレゼンターも運動器に偏重している感じですが、それさえも理学療法という一つの見識に過ぎないことを他の社会から見たらわかるのです。
この知見をもって、私が発達障害の子供たちが増えている現状を声だかに叫んで、神経学的な見地にて理学療法を行うべきだ!と唱えても仕方がないでしょう。おかれている立場と、環境が違うのですから。

ようは置かれている環境をどうするかであり、そのためには自助努力だけに任せていても遅々として進まないのです。繰り返しますが巡り合わせとてして、そのような時期なのです。
もちろん警報を鳴らす人は必要です。時代がいつの日が追いついてくるからです。その時に常に唱えている人が先導する役割を担わなければなりません。それをあたかも自らの力のように、勘違いしてはいけません。
巡り合わせに居合わせたわけですので、後は自らの役割を全うするだけです。
私自身、カイロプラクティックを推奨する立場ではないことも分かっています。しかしながら、15回のカイロプラクティック徒手医学界に第一回目から関わりを持っている事実を、今更変えることはできません。
私自身がカイロプラクティックやオステオパシーを、日本の理学療法に真っ先に持ち込むことも出来たわけですが、その中で理学療法とは何かを考え続けた結果が、運動連鎖アプローチなのです。本場のカイロプラクティックやオステオパシーの中で、日本の理学療法士が頭蓋仙骨療法やTLについて語れる人は皆無です。あたかも、自らが第一人者のように振舞っている姿はただの失笑ものです。
学会にて検証しようという姿勢もなく、名人でもないのに、名人芸かのように成り下がっている輩は、もはや医療の片隅にも置けないです。なんと言っても、若いセラピストばかりの前で喋るのですから、何とでも言えますし、少し知っていたら先生になれますからね。

15年のカイロプラクティック学会での経験は、日本の理学療法士として、私しか経験していないわけですから、そこから見えてくるものを、我々の文化と照らし合わせて還元していきたいと思います。
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