障害者リハビリテーション 日本におけるその歩み

障害者リハビリテーション 

日本におけるその歩み


現在、リハビリテーションは疾患別に分けられ、期間の設定によって医療、介護などの時期が分けられています。
治療学がどうしてもメインとなる今日ですが、本来は障害学にそって発展してきた経緯があります。
今一度その歴史を振り返ることで、原点となるべきリハビリテーションを再考していきたいと思います。


(公財)日本障害者リハビリテーション協会で作られたビデオ「障害者リハビリ
テーション 日本におけるその歩み」が同協会のビデオライブラリーにアップされました。1988年RI(リハビリテーションインターナショナル)世界会議の日本開催を機に作られたものです。
http://youtu.be/R3EmZqViu84
NPO法人日本障害者協議会(JD)副代表・花田春兆さんの活動の様子をはじめ日本の障害福祉の変遷、光明学校(現在の光明特別支援学校)初期の頃の様子、“肢体不自由児の父”と言われる高木憲次先生の映像、パラリンピックなど、貴重な映像が満載です。

昭和7年 肢体不自由児が公に教育を受ける学校として、東京都立光明養護学校が開校されました。それまでは、差別や偏見から不幸な生活を強いられていた障害者が、なんとか社会のなかで豊かな暮らしができるようにと開校されたのです。小学部~高等部まで250名近くが在籍していたようです。
 そして、帝国大学の高木憲次教授が、肢体不自由児のためには治療、教育、職能訓練を合わせた、「療育」が如何に必要かを、今日のリハビリテーションの体系化された基を提唱しました。やがて日本で最初の肢体不自由児のためのリハビリテーション施設、整肢療護園が昭和17年5月に創設されました。
 昭和55年に心身障害児総合医療療育センターとして、外来療育部を新設し、整肢療護園・むらさき愛育園が統括されています。

 こうして、高木博士らの医学的見地にたった障害者リハビリテーションの見地は大勢の協力者のもとに広まっていきました。その直後に、第二次世界大戦が勃発し、障害者リハビリテーションの普及は、一時中断せざるをえませんでした。傷痍軍人のためのリハビリテーション(切断/義足)は発達しましたが、障害者にとっては暗黒の時代であったようです。


昭和24年 身体障害者福祉法が制定
 日本全国にリハビリテーション病院が開設されました。また肢体不自由児施設も、全国に増えていきました。

昭和25年 精神衛生法 制定

昭和35年 精神薄弱者福祉法 制定
      身体障害者雇用促進法 制定 

昭和38年 日本リハビリテーション医学会 創立
昭和39年 財団法人日本障害者リハビリテーション協会 設立
      東京にて国際障害者スポーツ大会 開催
      
 その後、毎年、日本各地にて全国身体障害者スポーツ大会が開催
 国民の福祉に対する意識の高まりに寄与しています。
昭和40年 環太平洋リハビリテーション会議

昭和40年6月29日 理学療法士及び作業療法士法制定

昭和45年 心身障害者対策基本法 制定
昭和54年 国立身体障害者リハビリテーションセンター 開設

 1982年には、「国際障害者年」の成果をもとに、「完全参加と平等を目指して」をスローガンに、1983-92年までを「国連・障害者の十年」と宣言し、各国が計画的な課題解決に取り組むこととなりました。

現在までに多くの制度改革が行われています。

最近制定された法律としては、障害者差別解消法があります。
平成25年6月国会で成立した障害者差別解消法。
自治体や企業は合理的な配慮を求められます。
 バリアフリーな街づくり。
 障害者が働きやすい職場づくり。
今後ガイドラインを策定し三年後に施行することになっています。
※合理的配慮とは、過剰な負担のない範囲での配慮が求められます。
実際には、障害者の能力を引き出すこと、見つけること!がキーワードになりそうです。

 現在、今国会で批准が予定されている国連・障害者権利条約も大詰めを迎えています。現在も障害者の権利を守るための闘いが行われています。
医療・福祉・保険が三位一体となって地域を支えていかなければならない時代に突入しつつあります。
 2025年には地域包括ケアシステムの実現に向けて国は推進しています。どのようなイメージを共有するかは、まだまだおぼろげながらで見えてきませんが、歴史を再考することによって、具体的なイメージを作ることの一助となることでしょう。
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