センタリングの真髄

前額面の制御



姿勢制御とはその名の通り、姿勢を制御しているということです。つまり、コントロールしているということであり、それは重力線に対してということです。
前額面の制御において、人間は二足直立歩行になってから、特別な機能を有したと思えるのです。

つまり前額面の制御は外側への負担が、四つ足に比べて格段に上がったと言えます。

何故ならば、四つ足の場合は前額面の制御に関わる面積が広くとれますが、二足直立ですと細い柱のような側面になります。
つまり矢状面から見た側面が、前額面の制御に関わる筋骨格系になるわけです。
この側面は経絡でいえば、胆経と呼ばれるラインになります。本来は四つ足であれば、安定していた前額面を、二足になることでより不安定な側面にて支持するわけで、当然、軟部組織にかかる負担は計り知れません。

制御というならば、真ん中に戻る修正能力が不可欠であり、外側のラインだけではハンモックのテンションにてもたれ掛かった戦略をとることがしばしばです。
すると、変形性膝関節症の誘引の一つである、TFLの過緊張へとつながりやすくなるのです。
つまり、外側面の支持機構は、あくまで防波堤であって、持続的なメカニカルストレスは、やがてその機構に綻びと亀裂を生みます。

人はもたれかかった姿勢の方が楽であり、姿勢においてはしばしば見られます。なぜに不良姿勢が良くないかというと、負担がかかるからです。
何が負担なのかということになりますが、筋肉になります。
では何故に不良姿勢では、筋肉に負担がかかるかというと、筋肉の生理的な伸長度を逸脱するからです。伸びすぎても短縮しても、結果的に負担がかかるわけで、筋肉にて支持できる許容量を超えると、靭帯や骨に頼ることになり、靭帯や骨格への持続的なメカニカルストレスは、やがて弛みや変形へとつながっていきます。

よって外側支持機構のセーフティネットは、もし無ければストッパーが効かないわけですので、それは困ります。緊急事態に備えての、筋収縮では追いつかない時の、つっかえ棒のようなものなのです。つまり、構造の剛性によって制御というより、止めるのです。

この前額面の制御は、人が二足直立歩行を獲得してから、改めて出来たものです。進化の過程にて、元々はそうでなかったものを、転用して順応してきたのです。未だに腰痛は、腰部の脆弱性を補いきれない構造により、機能が追いつかない現象なわけです。よって改めて技能を授けることで、支持機構を補うためのリハビリが適応となるのです。

身体の側面は直立した細高い面であり、やじろべえのように見えます。
外側機構は腓骨筋やTFL、そして中臀筋とつながります。側腹は?
ラインとなる明確な側腹の筋肉はなく、腹横筋が全周を覆うように支持しているにすぎません。
ここに腰腹部の特徴があり、明確な外側支持機構を持たないことで、中心という感覚を生起させる必然性を持たせているのです。

この中心感覚とは何か?巷では軸と呼ばれているメカニズムであり、今までも事あることに言っていますが、明確な解剖学的に何であるかが示されているわけではありません。
丹田もしかり、人間が経験的に所作を行うなかで、身体感覚として授かった架空の機構なのです。しかしながら、確かにその感覚を共有することが出来るため、やがて架空から現存の機能として定着化しています。

この軸はコマの芯のようなものであり、動くためにはジャイロ機構が必要です。つまり、止まっているのではなく、動き続けることで安定する機構です。またコマでは、停まっているときに倒れてしまいます。ダルマのように、ナットが入っていれば元に戻ります。このメカニズムが重心のコントローラーである、丹田になります。

そして、この軸も丹田も身体感覚でしか分からないのです。身体感覚としての軸や丹田は、あくまで動的なメカニズムであり、拮抗した力の中で発生する中心感覚なのです。
よって、一方向性ではなく、双方向性である必要があります。
綱引きをで引き合うように、その拮抗点は止まって見えますが、実際には力が発生しているのです。
スタビリティのメカニズムは、まさにこの拮抗の中においてこそ、真価を発揮するのです。

さて前額面の制御ですが、機能的な問題が発生しやすい身体側面において、腰部の脆弱性は際立っています。
この腰部の脆弱性こそが、身体軸の醸成を促す土壌となるのです。
センタリングについて、運動連鎖アプローチでは提唱していますが、この腰部こそが要となります。ズバリ!腸腰筋がそれになります。そしてサポートメンバーとして、腰方形筋や脊柱起立筋などの、センターに位置する脊柱を補強している筋が、主な役割を担っています。そして腰部だけでは身体感覚として不十分なので、下肢や肩甲骨などが縦横に補い重なり合っています。つまり縦と横のメカニズムが、折り重なることで、結果的に身体の制御は成されているわけで、軸という一本のライン専用の身体感覚があるわけではないのです。
この辺りは、感覚なのでどうにでも言えることにより、軸というアバウトな表現にて広まっているのです。
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