マッスルコンディショニングセミナーⅢ

リカバリーコンディショニングセミナー



 少し前になりますが、。10月6日埼玉教育会館にてマッスルコンディショニングセミナー3が開催されました。
マッスルコンディショニングセミナーの開催趣旨はコンディショニングというキーワードにて、ベテランの理学療法士である祝先生、諸橋先生の、日本という環境で臨床に愚直に取り組まれたことで行き着いた先の一つの結論です。
なんでも、海外や何かをそのままとってくる、引用することがわるいとは言いませんが、やはり自国の文化と鍛錬のなかで、自然発生的に行き着いた先のコンセプトは、いわゆる味が有る。重みが有るということです。一つの言葉であるコンディショニング!誰もその言葉に異を唱えることはなくとも、そのコンディショニングそのものが理学療法の真骨頂である、専門性であるという確固たる自信と確信をもつことが難しいです。
 
 私自身リハビリテーションという言葉の意味とその大切さ、そして理学療法がリハビリテーションという理念に、基づいているという当たり前のスタート地点にはっきりと気がついたのが臨床10数年目のこと。その事実に一体自分はそのことに気がつくのに何年かかったんだろうかと愕然としました。そして、その思いは年月を経てさらに強くなります。こんなことを悟るために20年間やってきのかと。特別な知識や技術でもない、理念と原理原則、基本に戻るというそのことなのです。

 よってコンディショニングという言葉の意味は、あまりにも一般化しすぎていて、なかなかピンとこないところがあります。つまり、大衆化しすぎた言葉は慣れすぎていて見過ごされがちで、新たな価値観を創造しなければならないのです。そして今回の講師である中村格子先生はナショナルトレーニングセンターの医師であり、国際大会への帯同など、最前線にて選手の患者さんの身体と向き合ってきました、その中で、リカバリーがなければストレングスはないでyしょう!というその言葉の重みについて、私ははっとさせられました。確かに我々はともすれば、痛みや動きという質的なものに目を奪われがちで、そしてその分野と伸ばしてきたという自負がありますl
 職人的な人間国宝も大切ですが、我々は医療人、そして国民の健康という前提にたって、運動器であったり脳血管疾患をみていきます。名人というのとは違う、医療人としての教養をもって、臨床に臨むべきなのです。
 何かしらの名人やカリスマというのは、往々にしてその世界にしか通用しないものであることが多く、特にリハビリにおいては一歩外に出ると、全くの裸の大様ということも少なく有りません。
 単一の職能集団のなかでの優劣と、そして揚げ足取りと、変なこだわりは、広がりがなく硬直化させてしまうだけです。
 話は変わりますが、昨日の日本代表のベラルーシ戦!そしてその前のセルビア戦と二連敗。ことを辿れば、本田が個の力と言い出した頃、インテルやマンUなどのビッグクラブに移籍しだしたころ、何かとそのビッグクラブに行った選手が特別だとも言わんばかりに、つるんで代弁している様を何度もみた。
 日本の持ち味が個ではなく、組織での助け合いのもとに成り立っていることを、改めて思い知らされるいい機会でもあるのだが、相変わらずの硬直化した監督の選手への固定観念。
 CFに変えてCB、そしてそのままいつものメンバーをそのまま前線に上げる。これは全く以てスイッチが入ったことがない。行っていること取り組んでいることに問題は無いのだが、誰かがパワーバランスとして平等ではなく、格差がでてしまったこによる弊害なのだ。監督のコメントがもっと目立って、そして選手がその監督の下に遂行するはずが、個人の選手の思いがクローズアップされ統制がとれなくなっているのだ。
 いろいろ試すのは、力が互角であることの前提であり、力がおちている時には意味が成さない。
今までアジア相手に置いては、偶然のように神憑って点をとっていることが多いのだ。内容では個人では負けているのになんとなく日本が勝ってしまっている。なでしこがいい例で、身体能力などは圧倒的なのに点は入っている。そのつかみ所の無い、圧倒するわけでもないのに勝っている。相手にしてみれば負けるはずはない相手のように見えるのに、負けてしまう。ヨーロッパではないリズムとテンポの日本。結果においてはなでしこのほうが上なのだから、あそこから何かを学ばなければいけない。そのひた向きさの中に、相手よりも勤勉に働くことにより、90分というなかに休んでいる隙間をみつけて、そこをつく。パワーとスピードが有意となる、サッカーというスポーツにおいて、セットプレーや身体ごとネットを揺らすような泥臭さなど、おおよそ上手いというイメージとは違う、勝ち方。そこに帰結するべきであろう。

 すこし脱線しましたが、これは理学療法においても、とても参考になる事例であり、個の突出は組織としてのプラスになるべく献身が必要なのです。あるカリスマに引っ張られる形でその団体が発展することはありません、多様化した現代において一人の指導者によってのみ何かがなるわけではないのです。医師であれば、個を磨くことでそれは評判と収益と社会的な評価へとつながります。その土俵にいない理学療法士は、社会性と縦横のつながりを重視するコミュニケーション力など総合力を身につけつつも、お互いの良さを引き出し活かし、そして縦横のつながりを重視する人間性をもって臨むべきなのです。


今回、格子先生にはリカバリーコンディショニングの総論1として、トレーニングの基礎としてのリカバリー(超回復)、エネルギー産生の基礎としての生化学、そしてそこからわかるダイエットなどの知識とカラクリ、そして栄養の取り方としてのピーキング、そして運動不足や廃用という流れからサルコペニアの予防、そのための基礎体力の評価値など、あっというまの二時間でした。
 栄養状態が悪い患者さんのリカバリーは悪く、リハビリの効果がでないことは確かであり、リハビリ栄養という分野があるのもそのためでしょう。単に名人芸の延長線上に結果と称するのは、このような総合的な視点にたってコンディショニングから見ると、社会の認知度や受け入れが今ひとつ広がらないのは明らかであることがわかります。
 結果が全てというニュアンスの中に、どこかに我々を硬直化させる自己満足の世界に引き込む洗脳のキーワードが入っていたということなのです。
 その結果がマルチな視点で見れるのか、動きと一瞬の反応のみを追っていくのか!マジックや手品を見せる、見せ物としてのスキルのみで凄いといわれている人たちも、既に終っていますね。
 まだあだ私自身も理想の理学療法士、そして臨床家になることは遠い道であることを改めて思い知らされた一日となりました。
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