今求められるプレゼンテーションとは

理学療法士に必要なプレゼンテーションとは?

 昨今、白熱教室などの番組が放送されたり、Appleの故ジョブスが新商品の発売に合わせて必ず世界発信のためのプレゼンテーションをしていたことなどもあり、広くプレゼンテーションの重要性が認識されています。
 新しい所では、ブエノスアイレスでのオリンピック招致でしょう。プレゼンテーションは最後のアピールであり、その裏付けとなる財政面やインフラ、バックアップ体制と国民の支持などの背景が無ければプレゼンテーションは、ただの口から出た虚言となります。
プレゼンテーションは言葉巧みにその気にさせる要素も含みつつ、本当に感銘を与える脚色のないものもあります。
自分の思っていることを代弁してくれたり、痛快に言い放ってくれると、ますますスッキリした気持ちになり、共感度は急上昇します。

言葉巧みにというのは、本来は隠れている深層に潜む気持ちや感情を、揺さぶるということです。

車を運転していたら、人が変わってしまう。人格が変わってしまう。
このメカニズムはなんでしょうか?

これこそが本来ためている感情になります。本音ですね。フロントガラスはいわゆる一枚ガラスが入ることにより、画面となります。
臨場感が一枚なくなることで、視覚と感情がクローズアップされます。

つまり日常の運動連鎖のパターンから、一つ外すことで治療に結びつくように、押し込めた感情もパターン化させることで表にでないようになっています。その連鎖が変われば別の何かが発現するわけです。解除されたパターンは、本来の心身の表現となります。ある意味ストレス解消としては、とても良い方法でもあるのですが、運転に表れるようでは、特に助手席に乗っている人にとっては恐怖を覚えます。

最近では抜いた抜かれた、煽られたなどで、外に出ろ!みたいなこと少なくなったように思いますが、それはまた別の何かに当てるしかありません。

運転手マナーが良くなった!ということで喜ばしいことかもしれませんが、本質的には何も変わっていないのです。

つまりはクローズアップされることで、罰則や社会的な眼が厳しくなることで、自らの立場にとってマイナスとなる部分を学習して、意識的にコントロールしているのです。
おそらく、何らかの規定ができなければ、もっと多様なアウトプット表現方法があったことでしょう。

ルールは、あくまで多数決の原理にて決まったことであり、日本人はそのルールから外されることを避けます。

ほんの少しそこを外してあげれば、カリスマへの道は開けてきます。
しかしながら、それは気をてらった電波少年であり、さらに過激な何かを見せなければ視聴者は満足しなくなります。積み上げたものではなく、一つのネタを執拗に誇張することで成り立つプレゼンテーションは、もはや自分ではない自分を演じ続けることによる、脚色の自分になります。時に演じる要素も必要ですが、元に戻れる軸を持たなければ、やがてコントロールできなくなり倒れてしまいます。

いわゆるマルチ商法などは、その類いであり人相にありありと出ています。私は虚勢を張っていますよと!
セミナーでは通用しますが、絶対にテレビには出てきません。画面を挟むことで、客観的に怪しさがバレバレになるからです。上から丸め込むような言いようは、浅はかさと深みのなさを際立たせ、大恥をかくことがわかっているからこそ、生放送には絶対に出ないでしょう。

人がものに、金を運ぶ蟻に見えるものだから、物事が簡単なロジックにて操作できると思い込みだします。
気持ちや思いつきや感情にてガラガラと物事が動いていく、権力を手に入れた独裁者が疎まれるわけです。第三者的な見方ができなければ、体調が悪い時の状態が判断や方針に響きます。

歴史的な建造物が時に常軌を逸っしているのは、単に独裁あっての遺物です。

一つの気持ちや言動にて世の中が動くという体験は誰もができるものではありません。それは、地位と名誉と金の欲望の強いものが、行き着くために邁進することになります。

よって科学と文明はいつの日も文化的な生活を豊かにする反面、戦いに利用されてきました。個人レベルでの豊かさの享受を縦に、裏では欲望の滾っている輩が虎視眈々と自らの力を入れる欲するために暗躍します。
人は社会貢献よりも、悪知恵のほうがきくものです。
また独裁者はいつも不安でいっぱいです。ただ権力という不確かな虚構は、自らの力や努力とは無関係に暴走しているからです。

つまり、プレゼンテーションとは、本来は感銘と共感をもたらすものですが、反面、トレーニングされたファシリテーターにより、マニュアルという外枠からの目せんにて、巧みに深層心理に入り込み、計算された引き出しにより取り込んでいきます。

我々の目指すプレゼンテーションとは、立場や国を超えて普遍性のある原理原則に基づいたスタイルです。
真の意味での時代を変えるのは、その普遍性に行き着いたものが、成し得る偉業なのです。
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