フランス紀行~国際交流とは~

Category: トピックス
フランス紀行 ⑵



フランス紀行⑴では、コミュニケーションについて寄稿しましたが、今回は国際交流について書きます。

よく、国際交流が大切だと言われますが、その意味が少しわかったように思います。

外から日本を見ることで、良さも改善すべき点も見えてくる。
そんなことがよく言われます。
つまりは、中にいるとどうしても周りが見えなくなってくる。
例え、ネット社会になろうとも、受け取る側の解釈や思考パターンが変わらなければ同じだからです。

出ている情報はバイアスがかかり、自ら都合よく加工される特徴があります。

画面と文字と記号と自分という中においては、五感のなんたるかは必要ありません。視覚と頭が基本的にあれば足りるからです。音もでますけどね。



ところが、旅行において感じることは、空気が風が匂いが、全てにおいて違うということを五感が感じるのです。

またそこに人がいれば、文化や言葉や仕草や、服装、見た目がちがいます。

歩けばその、床面さえも違うでしょう。そしてコムュニケーションをとることで、さらには1+1ではない、不確定な対象である人に相対します。

そこは、どのようなリアクションや反応があるか?わかりません。ちょっとドキドキする瞬間です。

五感をフルにつかって何を言わんとしているか?何を語ろうとしているか?
必死になって読み取ろうとします。

いつもの、慣れた環境ではいつものように、前提条件があるなかで、阿吽の呼吸も働き、各々の居場所が形成されていきます。変わらない場所、故郷とはそのような特別な居場所なのかもしれません。



変わらなければ、若者はそう考えます。変わらない自分が許せない。
そのような心理が働くのは、いかんともし難い状況です。

脳は
①洗脳されやすく
②自らを客観視できない
という致命的な欠陥を有しています。

しかしながら、だからこそ国家ができ、リーダーの下にまとまれるのです。人間は集団にて協力しながら暮らして行かなければ、より良く生きるということが出来ないからです。

しかしながら、500万年という歳月がかかったといえ、よくもここ迄の文明を築いたものだと感心してしまいます。


凱旋門から臨む、シャンゼリゼ通り。

そう言えばパリの街並みには、一つもコンビニエンスストアーが、ありませんでした。

世界共通してマクドナルドやケンタッキーは有るのかなと思いきや、シャンゼリゼ通りにマクドナルドを一軒発見しただけで、それも、赤や黄色のいかにもマクドナルドといった外観ではありません。
そして、看板らしきものがほとんど無いという印象です。

シャンゼリゼ通りです^_^

さて、センノウされやすく思い込みやすい特性を兼ね備えた人間は、経験から学ぶことによって、そのリスクを回避することを学んでいきます。

第三者機関や監査、監事と言われるシステムと役割を作ることにより、自己では補えないものを代替えしているのです。

歩いて旅した時代は武者修行と言って、その一歩一歩が身になっていたことでしょう。

幕末に黒船が来てからは、異国と呼んで尊王攘夷が巻き起こり、しかしながら開国の流れを堰き止めることは出来ませんでした。
鎖国という閉塞感や既得権などの、努力では如何ともし難い現実があったことも否めません。

巻かれて、世渡りにて過ごしていく、そんな人生にヘキヘキするのもわかります。

好奇心とパイオニア精神、さらに一歩踏み込んでいくことの高揚感。
その全ての人ではない、
何パーセントかのジッとしていられない人によって、世の中はレボリューションしてきたのです。

そこにブレーキをかける輩がいて、その戦いの歴史でもあるのです。

何れにせよ、国際交流とは平和的にそのバランスを取ることを学ぶ絶好の機会だということなのです。
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