運動連鎖道場くろつち修了報告

運動連鎖道場くろつち半年間のコースを修了しました。
理学療法の専門性とは?


思えば、くろつち整形外科の中野さんから連絡をいただいたのは、一年あまり前になるでしょうか。場所は福岡空港から急行などを乗り継いで一時間15分ぐらいのところにある宇島駅(うのしま)に、くろつち整形外科はあります。大分県との県境である豊前市になります。
意外に遠いなという印象であり、乗り継ぎもやうやく慣れた頃に終了となりました。


くろつち整形外科は若いセラピストが集っている、活気あるクリニックであり外来専門になります。オステオパシーなどの、徒手療法を積極的に取り入れている病院であり、それこそ新たな世界の良いものを貪欲に吸収していく空気があります。
そこでは、治療とは理学療法とは違うものをどんどん取り入れていく、つまり理学療法から離れていくことが、進歩であるという思考もあったようで、丁度その過渡期に出あったと言えます。そういった意味においては、すでに頭蓋なども、触り慣れたスタッフも多く、私としても理学療法を理学療法士の専門性を自覚してストロングポイントを押し出し、そしてあらゆる治療を理学療法士としてアレンジしていくという視点をお伝えすることが今回の命題であったように思います。
テクニックなどなそれを身につけたら、終わりということはありません。一つの手段を手にいれたということにすぎず、常に現在進行形なのです。
昔話を繰り返すようでは、既に晩年の人です。懐古するのは、当分先でいいはずです。

どのような視点にて職域を広げていくか?それには、まず理学療法士の専門性は=?
この?のところに単語をいれて見てしっくりいかなければ、それは我々の文化には合わないのです。その世界に居るらこそわかる違和感!それは固定観念かもしれない危険性も無きにしも非ずですが、その空気をわかるセラピストになることです。そのためには歴史と文化と、哲学、理念を反芻して頭で咀嚼しておくことです。

その世界だけにまかり通っている、馴れ合いの果てに、ガバナンスの欠如という結末に至っている団体もあります。いつの時代でも、自分がそのようにならない保証はどこにも無いのです。だからこそ、ガバナンスなのです。セーフティネットをどれだけ持ち合わせているか?それはシステムではなく、こころの問題なのです。
どんなに素晴らしシステムを作っても、そこにいる人の気持ちのエアーポケットは、瞬間瞬間の揺らぎでもあるので、システムだけでは統治できないのです。

理学療法とは何か?
歴史を踏まえたなかで、日本の理学療法士を違和感なく表現して見たいと思います。
⑴臨床思考過程
臨床思考過程こそが医療従事者の、理学療法士の文化です。この文化なくしてマジックショーをしているようでは先はありません。刺激を入れて何かが変わるなんでのは当たり前。瞬間的な変化をさせることがリハビリの専門性ではないことは明らかです。例えば体前屈にて手が床に着くというパフォーマンスにて治療効果を誇示するというのは、これこそ愚の骨頂で治療でもなんでもありません。手が床に着くというパフォーマンスが治療の目的ではないからです。このような手が床に着くというメカニズムは運動学的な観点ではなく、むしろ脳のプログラムのリリースによる影響を考慮するべきなのです。
 臨床思考過程とは、一つ一つ評価を繰り返していく中で、問題点をつぶしていきながら、新たな方法を模索するということです。あーてもないこーでもないと考えることが習慣化していることが理学療法士であるといえます。ただし考える過程は患者にとっては何も変わっていないことも事実なので、考えているからいいんだという風潮も注意すべきです。全てを疑ってかかるという視点も大切です。医学は何でも取り得れて試してみるというのは、例えば薬学ではありえません。リハビリにおいては往々にしてそのような思考が許されることもありますが、治療については特に医師の治療と違って、選択肢が非常に多いのです。それは人の機能とは運動器だけではなく、脳も心もあらゆる事象が絡んでくるからなのです。

⑵学術
 理学療法という学問を高めていくことが必要です。職能として職域を広げて行く上で、ビジネスモデルから考えることも選択肢です。しかしながら、理学療法とは何か?作業療法とは何か?という問いに対して、そこを探求していなければ国家資格をもっている職業人だということになってしまいます。つまり理学療法士をもっているということは国から資格を認定されているということを忘れてはいけません。法律で定められている義務を守らなければいけないのです。学術的にどのような高めていくか?またそれが理学療法学として認知されるべき研究とは何か?その学術的統計的な思考なくしては、手段を選ばないセラピストになる危険性があるのです。団体として全体的に底上げてきる方法を念頭におきながら、実は当たり前のことだけれども抜け落ちている視点にて具体的にアピールしていくことが大切です。
学術にて布石を残さなければ、本当の意味での力になりません。
あとは訪問リハビリなど、地域への貢献は確実に我々の職業に対する認識を高めてくれます。
先ずは我々の腕ではなく、臨床における専門性として機能からみな診断的な役割を果たせることが大切なのです。
もちろん診断名はDr.の役割ですが、その治療については保存療法の、それも運動療法でなくては改善が見込めないものを提言することです。一人の腕など所詮はその一代限りです。その一代が後世に残す遺伝子も貴重ですが、これからは、会員一万人に迫ろうかとする全体的な視点が不可欠です。一人や個人では、周りの取り巻きは多く見えても、その動きは個人レベルから脱することはありません。また昨今の流れは、個人の成果を自慢する物ばかりで、その軌跡をまた売りにするという、いやはやモデルとなるには程遠いものです。

今回の、くろつち運動連鎖道場においての私の使命は、一つのテクニックや知識人を提供するということにとどまらない理念や我々の専門性についての意識付にあったように感じます。
結局のところ、柱と軸がなんたるかを強烈に示さなければ、この業界の羅針盤を形成することは出来ないでしょう。私にはそれができる確信と自信!そしてやらなければいけない使命を帯びています。
各々に役割と使命があり、それを見つけることが人生の目的になります。何も一つの価値観に支配される必要はありません。その人の考える価値観と生き方、非難や批判をしてもしかたありません。しかしながら、自尊心の強い人であれば、周りの評判や動向が気になって仕方ありません。そこが情報操作という名の、SNS時代なのです。
自らの生き方とは、腹が浮かない生き方にあります。うまい話だなと、何か勝手にエレベーターに乗せられたような浮遊感があるときは、間違いなく避けるべきです。自らの足で立って歩いている実感こそが、時代の足跡を残す人となりうるのです。
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