宮古市リハビリ支援活動

宮古市でのリハビリボランティア活動報告




東北行脚の最後は、宮古市に移動してのボランティア活動です。元々は、宮古第一病院のスタッフが、仮設住宅の住人の方々に継続して支援活動をしている流れがあります。また、岩手セラピスト研究会の主宰である、今村さんが個人的に継続支援活動をしています。
私の場合は個人にて活動を始めて、FTFという団体の立ち上げに関わりながら継続していって、また個人的な活動へとシフトしています。よって、あくまで同じ地域にて、継続的に一貫した活動を続けることの大切さと大変さはよくわかるので、頭が下がる思いです。

どんな素晴らしい活動も、地道に継続していく以上のものは無いからです。継続性とは、ある意味私自身の大きな課題であり、その難しさはよくわかります。少なからず現地に赴いているものの、今村さんの活動についての実際を聞いたのは始めてでした。
やはり、伝え語っていくことにより、スイッチを押される人も少なくないのですが、継続していればこその前提です。


8/11日曜日の盛岡でのセミナーの後に宮古に移動し、翌日の活動に備えました。宮古第一病院には、山後さんという東京から新人にて就職した理学療法士がおり、学生時代からの顔見知りです。私との交流から、一つのきっかけとして宮古に来る決断に至ったとのことで、『本当にここに来て良かった』と言って頂けて、彼にとっての大きな転機であったことがわかります。
一般的には東京生まれの東京育ちにて、いきなりの縁もゆかりも無い辺境の土地に行くのは、不安の方が大きいでしょう。
しかしながら、『一人でも多く、この地に後輩に見せたい。来てもらいたい。広めたい』と、並々ならぬ意欲にて語るエネルギーに、なかなか今の日本では出す機会が少ない燃える闘魂だな、と思います。既に目の前の出来上がった街並みを見て、視覚的に意欲が掻き立てられないのです。
サッカーや野球などのスポーツにおいては、自分が調子がいいとしても結果が全てなので、それでも何かを反省して振り返る必要があります。
つまりは具体的な目に見える、乗り越えるべき空気が、日本の日常には見えてこないのです。
追いつき追い越せと、目指すべく頂が、下から這い上がってくる時に、実は最もエネルギーが湧き出てくるのです。
既にあらゆる構造物やシステムが整備された中では、現在の状況を維持しようなります。心理的に不快なものを遠ざけるようになり、いわゆる好感度という実態のない気分によって、左右されてしまいます。所詮は好感度などは、その時の気分なので、大したこだわりはありません。世論調査などもそうですが、それほと切羽詰まって決めているわけでもなく、どっちでもいいというような深みのない結果ではないかと思われます。一喜一憂して流されるようだと、大事は決められないと思いますが、そこは確かに慎重に見極める周到さも持ち合わせている必要があります。

話がそれましたが、世の中のシステムにもたれかかった集金システムは、何も生み出しません。実は何とかセミナーなどもしかりで、カリスマ講師が出て来て、成功するよ、投資してくださいよ!という類のものは、全て何もうみださない、マルチ商法です。日本の冠たるものを産み出すわけわけでもなく、文化を作り上げるわけでもありません。そのような輩は閉鎖空間によって、成り立つために、大衆の前にはでてきません。自分のもうしていることが、普遍的でないことをよく知っているため、自らの価値が際立つ場所を選ぶのです。
あらゆるお膳立てがなされた、カリスマ空間によってだけで成り立つその方法が成立する背景には、暇な刺激のない人生、安定した人生という隙間にあるのです。


さて、宮古市内の一つ目の仮設住宅は、お盆の準備ということで、始まり前は閑散としていました。声かけもあり、徐々に集まっていただき、テーマはセロトニン活性方法についてのレクチャーとエクササイズだったのですが、膝の痛みを抱えている方が多かったので、膝の講座を設けました。
膝の日常生活の問題として、階段の降り動作があります。膝OAにおいては特に最後に残る機能障害が、降段動作なのです。そして膝の問題は膝だけの問題ではなく、姿勢制御のキャパシティの問題でもあるのです。

笑と盛り上がりと、皆で楽しむそんな雰囲気作りを心がけながら、最後は握手と笑顔にて仮設住宅を後にしました。現在進行形である、被災地の現状に関わり続けることの難しさはあります。各々に人生があるからです。しかしながら、縁がある限り、その縁は円となって続いて行きます。断片的ではあるものの、気に留めて活動することに意義はあると感じます。


午後は田老町という宮古よりさらに北上したところにある、街の仮設住宅に伺いました。沿岸部は多くの家があったであろうその場所は、既に雑草が生い茂り、建物の基礎もかろうじてわかるか分からないぐらいです。
古から、三陸沖は何度も津波に襲われ、その度に更地から復興を遂げていることを、考えると悠久の時を経て、必ず復興を遂げることでしょう。この現代のインフラの整った中での復興は、昔の復興とはまた違う問題と難しさはあるようには思います。
現代においても、二年にてまだ、ここまでの復興しかで来ていないということは、昔は本当にどんな苦労と苦悩の中で生きて来たのだろう。

田老町のグリーピアという所に、百数十世帯と思われる仮設住宅群がありました。かなりの規模の仮設住宅であり、子供の姿もあちこちで見られます。
とても、大規模な仮設住宅でここでは、個別の機能障害で困っておられる方が多くおられました。いわゆるぎっくり腰にて動くのがやっとな方や、肩の痛みと可動制限、痺れと痛みなど、既に病院にかかっているものの、本当に困っているからという事情です。
ここでは、腹式呼吸のバリエーションと身体重心の鍛錬の仕方をボディワークしました。
後はセラピスト四名が帯同していたため、個別にて相談にのりました。
皆、一応に喜んでいただき、逆に我々の世間に対する認識と評価をどのよう示していくべきかを確認できた機会となりました。

今回、石巻から始まった四日間の行脚は、改めて復興をという空気に乗せられて、自らの活力と示していくべ指針がクリアーになった気がします。
東北のためにから、東北からもらう活力!いつの間にか、自らが赴く必然性が東北の地に生まれていたのです。
何かを試して、駄目ならやり直すことが臆することなくできる空気。それこそが、現代の日本の日常を硬直化させている空気を打ち破る躍動感ではないかと感じます。
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