理学療法の原理原則

理学療法の原理原則

理学療法の原理原則とは何か?
哲学を前提としたスタンスが、その後の自らのアイデンティティの形成に欠かせないものとなります。

しかしながら、確かにその理念や哲学が、時代とともに形骸化して行くものであるとするならば、それはむしろ足かせとなってしまう。

しかしながら、理念なきなかでやみくもに進んで行くのは、磁石のない船出のようなもの。

世界各国に行く中で、自らのアイデンティティを探求するしかなくなる。

もしかしたら、アイデンティティを探求するその過程が楽しくて、生きがいややりがいになるのかもしれない。

だとしたら、義務ではない自らの赴くままに進むことができた、その生き方は心地よいに決まっている。

義務のないところに専門性はなく、責任のなさは社会のなかで必要とされないものとなる。

アイデンティティのみを考えてというのは、ある意味聞こえがいいが、やりたいことをやることが通るわけではない世の中においては、随分優遇されていることになる。

それが、いわゆる守られているとか、病院という社会だけの世界と揶揄される所以である。

与えられた環境で、オーダーのでた患者を最終的な決定や判断をしないという立場にて過ごしたとするならば、そこには主体性や最も大切な決断というスキルを高められないことになる。

しかしながら、こんなことは誰もがわかっていることで、よく言えばまとまりのある、求心的な力がある団体といえます。

求心力とは統率が取れているともいえ、まとまりという点では欠かせない要素である。

例えは良くないが、カルトはまさに個人の考えを極力省いたなかで、判断力を制約し、思考力を奪うことにある。

理学療法の業界は、カルト的なまとまりではない。
むしろ、その漠然と感じている心理につけ込んで、スローガンをもっていざなう輩が問題で、それこそカルトに引き込む手法なのだ。

では理学療法の主体性とは何か?考える方向性の問題だけである。

学術という思考力を、社会に転換するだけで十分です。
思考の矛先を変えるだけでいいのです。主体性の出す場を病院に限定すると、無理が生じます。
結果の出るなど、そのテクニック一つだけで変わるわけがないのです。
内向きの学術から、社会の流れを読むスキルに上げることにより、より良い身のある学術に転換することができます。

社会に対する責任感は医師なら当然でしょう。もしも自分が医師ならば、その志はもっと、高いものになると確信できます。世の中の変革に立ち会える権利を既に得ているからです。

理学療法の原理原則とはリハビリテーションという理念の元に、あらゆる事象を考えることで、自ずと役割が与えられ、また主体的な試みと思考により形作られるものなのです。
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