復興とは何か

Category: 東日本大震災
復興とは何か!

 既に二年、まだ二年どちらも、どのニュアンスにもとれる二年ですが、3.11から3年目を迎えました。
この二年間、特に家族には、ほとんどその活動については語ることはありませんでした。何処で何をやっているのか?普通なら所在も含めて明らかにすることが、義務とは思いますが、報告の既定にはまることそのものが活動を精神的に規制することになります。あくまで私の場合はということになりますが、場当たり的な活動を旨としています。
実際に現地に入ると、常に新しい場面と人と人との出会いとつながりの連続です。何が起こるかは行ってみないとわからないところが、新たに創くりだす東北のためには必要なうねりであると思うのです。
 その人の特性にあった活動形態がいいわけで、当然すべての人が場当たりで来ては困ります。いろいろな角度から入っていくからこそ、違うものがチョイスされデコレーションが完成するのです。

 子供や家族を連れて行くのは、いつもためらわれるところです。私自身は行き来して既に二年、ある程度の免疫のような耐性はできていると思われますが、最初に入るときの気持ちや衝撃を考えると、自分のことは棚に上げて、がらにもなく躊躇してしまいます。下の子を始めて石巻に連れて行ったのも昨年の夏祭りの時でしたが、瓦礫などの惨状をみるのは「眼が痛くなる」からいやなんだよねというようなことを言っていました。つまり、子どもなりにその現状に、目を背けたくなる現状であることは本能的に悟っていて、できれば避けたい、楽しいことだけを見ていきたいと思っているのです。未来への希望に満ち溢れた、子どもの時に敢えて苦しい、はじけられない場に行くのは子供の本質からズレているであろうと思われます。どう振る舞っていいのかわからない。確かに直後の避難所においても、地震と津波について積極的に発言している子供はみたことがありません。暗黙のうちに無口になるか、じっと奥で黙っているという感じです。
 避難所においても、子どもの笑い声と無邪気な仕草が、いつでも大人の気持ちを和ませてくれます。だからこそ子供がおとなしく黙ってしまうのは、異常だということです。
 自分は自分の気持ちで現地に赴いて、その結果どのような心理的な変化がおきようとも自己責任になります。どこに何がではなく、活動の場所に何があるかだけのこと。
 しかし、案内する側としては、そこに目的があっての必然的に出会う場面ではなく、ある程度予定と意図をもって連れて行くことになります。3月の最後の土日に高校になる上の娘の最後の春休みに、二年がたった今しか連れていける時がないなと思い、活動の拠点でもあった石巻市雄勝に行きました。
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大須の岸壁に再建されていた漁業施設。震災直後は鉄骨でしたが、こんなところにも復興の兆しがみえます。

 最初から雄勝にというよりも、岩手から福島まで全域の候補の中から、限られた時間の中で何度も予定を組み替えていました。雄勝には、本当に何もなくなってしまった辺境の地という表現がはまる場所です。不便で楽しめるという場所とは、到底かけはなれているので、最初は候補としても有力ではありませんでした。しかしながら、のんびりした田舎が比較的好きであるという意向もあり、ではそうは泊まることができない、民家作りの雄勝の大須にある亀山旅館にしました。そこにはお婆ちゃんが一人で切り盛りしているところでしたので、果たして元気にやっているんだろうかという思いもありました。
 いずれにせよ雄勝でも奥地にある比較的被害が少なかった大須地区ですが、本当によほどの用事が無ければ行くことはありません。

 旅は道連れといいますが、ここにも予想だにしなかった出会いがありました。それは後でも述べていきますが、石巻から雄勝に入る道すがら北上川を下流に向かって走らせます。その途中に大川小学校があります。特別、そのような被災地の場面を見せたり、説明することは何のエゴだか、押し付けて何をしたいのかということもありますので、できるだけ自然な流れにそって寄りました。
 
 既に夕刻で日が落ちる中で、車を河川にそって下っていきます。信号を下ると、そこは重ぐるしいというか、日常ではない雰囲気を子供ながらに感じたようです。子供だからこその感受性というものがあるので、それは大人が思う以上に心に入ってきたようです。その場の多くの人たちの思いや、亡くなった方々のその人たちの思いも、もしかしたら混在して、その地の気が渦巻いているかのようです。私が訪れた時にも、人が途絶えることなく、関係者らしき人、宗教者らしき人、そして遠方から手を合わせに来たであろう人が、誰もがその何かを感じ、そして同化ていくかのようです。
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校舎の中には太陽光で24時間ハートが光り続けています。掲載することもはばかれますが、この地は今でも3.11のままです。鎮魂の思いが途切れることはありません。

 その地域で亡くなった方々の名前と歳が刻まれた石碑も建立されている場所は、おそらく被災地広しと言えどもここだけではないでしょうか。
「まだこれから楽しいことも、友達や先生との出会いもある、何も悪いことをしていない小学生が、」「日本人として忘れてはいけないけど、背負っていかなければいけない」「普段は忘れているけど、これからも大川小学校のことは、何かあった時には思い出すと思う」中学生として素直な言葉が飛び出したことに、その受け止める意識の高さに、驚きもありながら果たして連れて来たことがどうだったか、私自身の自問自答となりました。

 石巻には雄勝に行くという前に、face to face東日本大震災リハビリネットワークというボランティア団体の石巻にて活動をしている橋本大吾さんが新たにデイサービスを立ち上げるということで、表敬訪問する目的もありました。
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一般社団法人りぷらす「スタジオプラス」リハビリ型デイサービスとして5月1日のオープン予定です。
場所は石巻市相野谷字今泉29-3です。場所は地域では河北(かほく)というとわかりやすいかもしれません。

 とても広い箱もので、まずは利用者10名までの特化型デイサービスを展開していくようです。勉強会などにも利用できそうな会場ですが、少し交通の便などは工夫が必要そうです。上品の郷(じょうぼんのさと)という道の駅とも近いので、そこを目指してこられるといいと思います。

 さて石巻から河北~大川小学校を経て、雄勝に入りました。既に夕暮れで7時過ぎの久しぶりの亀山旅館宿泊となりました。いまの時期にそう雄勝に泊まる人はいないだろうという意味も含めて、泊まることが旅館のプラスになるかなという思いも少しありました。
 ここで、また被災地ならではの出会いがありました。今までもそうでしたが、もちろん旅先での出会いというのはあると思いますが、被災地においては何らかの目的が共通していることも多々あり、そういった意味においての連帯感のようなものが生まれやすい空気があります。
 玄関に小さな子供の靴が揃えてあったので、お孫さんでも来ているのかなと、晩御飯の居間に入りました。ご家族で来られているらしく、同じく東京からの来客でした。なんでもご主人は何度かお仕事で雄勝には来られいてるようです。今回は、ご家族も帯同しての初めての雄勝だったようです。
 その方が今日明日と荒浜海水浴場の砂浜にてイベントに関係しているとのことでしたので、一緒に行くことにさせてもらいました。翌日に読売新聞の一面に掲載されていたので、それほどのイベントとは全く知らなくて行ったわけですが、何が出会いやきっかけになるかわかりません。幸い娘と小さなお子様とは、すぐに仲良くなったことも一役かったのかもしれません。
 
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お婆ちゃんはお元気そうでよかったです。娘さんと切り盛りされているようで、帰りにはいつもの雄勝産とろろ昆布をいただきました。

翌朝に旅館で一緒になったご家族を乗せて荒浜に向かいました。何でも仙台からタクシーで雄勝にこられたとのことで、しばらく旅は道連れでいくことにしました。
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希望のキャンパスと名付けられた、この全長20mはあろうかと思われるキャンパスいっぱいに描かれた三人の兄弟とおぼしき子供たち。昨年の12月に完成した白壁は春になったら集まって花をさかせようということで、二日間にわたるイベントが開催されたようです。昨日は200名近い参加者がいたようで、本日もやはり大須出身とおぼしき家族連れが来られていました。出身として雄勝であっても離れている人たちが大半であり、おそらくいつからは雄勝という故郷が無くなっていくのではないかという思いはあるのかもしれません。

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描いたのは井上雄彦氏。バカボンドやスラムダンクで有名な漫画家です。そういえば井上氏の名前にも雄勝の雄が入っていますね。

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荒浜は雄勝で唯一の海水浴場ですが、震災と津波にてここ二年は当然海開きはできていません。それでも以前に比べると、海外線の瓦礫はかなり片付いており、この夏には海開きの予定だそうです。しかしながら将来的には防波堤ができて、船が接岸できる港になるようで、海水浴場として利用できるのはあとわずかかもしれません。

 この日は本当に寒くて昼には風も強く雪となりました。本当に予想以上の寒さが伝わらないかもしれませんが、お昼には石巻市内に向けて車を走らせました。
 
 御一緒させていただいたご家族のご主人は女川の復興にも関わっているようで、美味しい海鮮屋があることや秋元康さんが復興に関わることなどを教えていただきました。後でテレビで秋元さんが、女川の商店街をプロデュースすることが放送されていました。プロデュースとは何か?秋元さんによると「記憶に残る幕の内弁当は無い」ということでした。やはり牛タン弁当でしょうということです。

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女川を経由して、小さなお子様もいらっしゃったので、石ノ森章太郎の漫画館に足を運びました。昨年だったかに再オープンしたことは知っていたのですが、訪れたのは初めてです。はっきりいって、かなり楽しめます。仕掛けもそうですが、お金かかってるな~というのがわかります。その日は日曜日だったためかかなり混んでいて、お土産屋さんも大賑わいでした。

雄勝はもともとの人口は4000人、震災後は1500人、そして今は900人、75歳以上の高齢化率は30%以上、70歳でも若手と呼ばれるこの土地は60歳以上に限定すると80%を超えるのではと思えます。人口減少率は加速度的であり、歯止めが効かない状況です。それでも雄勝の総合支所後地にボランティアのためのコミュニティーログハウスを作ったりと、本当に荒涼とした中で、目に見えないような復興ともいえるのかどうかというような動きがわずかにあるだけです。
 3年目という難しいこの時期、合意やスピードか、ますます立場の違いによる離散と個々の動き、外からイベントを打つだけでは具体的には変わらない時期にきていることもよくわかります。被災地の人たちにすれば来てほしい忘れないでという思いもあると思いますが、具体的な生活再建という形が不可欠となっています。自治している会長さんも離れたりと、コミュニティそのものも3年目を迎えて変化しています。当然二年間がむしゃらに皆のためにとやれる期間も限界にきています。どこでもそうですが役員は毎年か二年ぐらいで改選されることが気持ち的にも大切です。その三年目を迎えて、本当の意味での復興とは何かは、年月とともに明らかになってくることでしょう。まだまだ何が起こるかもわかりません。おそらく4年目になった時にしか、わからないこともあるのだと思います。これからも注視しながら見守っていきたいと思います。
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