作業療法士の苦悩

Category: 多事総論
『作業療法士の苦悩』

被災地支援なとを通じて、多くの作業療法士と出会い、私のなかでも作業療法士への認識が変わるきっかけとなりました。

「作業は人生そのものである」少し大袈裟に聞こえるかもしれませんが、作業のない日常はなく、解釈によっては確かに有りだと思わされます。

いかに作業を生活のなかに活かし、地域との結びつきや街づくりに結びつけていくか。

福祉用具や生活を支える環境への提言など、作業療法士が専門性として確立したい領域かもしれません。

しかしながら、同じように理学療法士も環境や地域のコミュニティに興味を持っています。

絆や繫いでいく、という考え方が、震災以降、私のなかでも当たり前のこととして認識するようになりました。

つまり被っているのです。

理学療法士の立場からすると、別に侵食しようなどの考えは毛頭ありません。

しかしながら、作業療法士は理学療法士への、ある意味コンプレックスにも、似た思いがあります。

既に身体機能といえば、理学療法士の専門として、業界では認識されているわけで、その上に作業療法士の領域に被ってくると、勢いとして理学療法士には敵わない思いがあるのではと思います。

高次脳機能、精神、車椅子や福祉用具、ハンド、そのどれもが専門性としては半ばであり、その代名詞となるべき作業に対する医学的な意味合いへの探求にも苦慮しているように感じます。

しかし作業そのものが、目的思考型、課題遂行型、つまり日常の生活そのものが、最新の脳科学的に見ても意味のあることに行き着いたことは、素晴らしいことだと思います。

ICFの理念に則って考えても、生活そのものが前面に出てくることは、疑いようのないところです。

一方で作業そのものが、医学としての科学的な裏付けだけでなく、理念としての進化をする過程において、人生や幸せという概念を包括するようになる中で、理学療法士も同じく入ってくることは、仕方がないこととしても、社会的な地位の確立という観点からは、複雑な思いとなるでしょう。

最近では作業療法士も理学療法士の講習会に多数参加するようになっていますが、それが個人レベルとしては良いとしても、果たして本流とはなるでしょうか?

ある作業療法士さんから、理学療法士の専門はこれだ!と機能的な観点から言い切って欲しい!と切に言われました。

そうすれば、作業療法士も理学療法士との差別化が図りやすいとのことです。

いい切ることで、指針ができ柱が出来ます。

また被っている分野も、違う視点にて見れるようになります。

軸や幹が無ければ、枝葉も何処に伸びていけばいいのか、わからなくなり、あらゆる業種と絡み合ってしまうのです。

学校もクラスも、学生も、卒業生も減少し続けている作業療法士は、まるで過疎化を迎えた地方のようで、それは深刻な事態です。

広報戦略と言っても、理学療法士は毎年一万人の卒業生を排出する、後継ぎには困らないわけですが、作業療法士は全く置かれた状況が異なり、学生の確保のための認知度の向上が最優先となるのです。

理学療法士は理学療法を辞められませんが、作業療法士はこだわりがないようなことを聞きます。

これだと思える専門性は理学療法においても課題ですが、それ以上に作業療法においては急務と言えます。

病院でも、人員配置においてPT、OT、STが揃わなければ、コストがとれなくなります。

共に伸びていかなければ、発展していかないのです。
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