自由診療の可否

Category: 多事総論
適応と順応3

第六のすごい
 実習生のバイザー

 誰もが早い段階で経験するバイザー。先輩からの指導を受けたように、順次役回りが回ってくる。最近はクリニカルクラークシップだかの考え方にて、レポートなどに偏重した実習ではなく、体験型の実習形式へのシフトとなっているようです。なんでもレポートや発表は一切なくして、ひたすらバイザーについて体験実習していくというものです。この効能というかどこからそんな考え方の導入に至ったのかは知りませんが、いずれにせよどこまで知識や頭の中が整理できているのか全くわからないようです。聞くほうも教えるほうも全く進捗具合のスケールがないのです。クリニカルクラークシップは私が学生のころからしばらくの間のほうが実際に環境的にはできていました。おそらくレポートに偏重することにより、時間に追われてしまって患者さんとの付き合い方や、頭で考えるが故に知識の当てはめが先行したからというのが正直なところでしょう。それはそのような思いと体験をした人が唱えたことであって、そうでない人も沢山いるはずです。あらゆるルールというのは、その人の体験がベースとなる思いから発祥します。よって説得力があるのですが、その思い入れの体験のインパクトが大きいものだから、なかなか違うと感じていても、その重みの差によって決まってしまうのです。クラークシップはゆとり教育のようなもので、既に回復期を中心とした単位制とリスク管理主体の現状においてそぐわなくなっています。さらには個人情報を特定できるような類のレポートはけしからんという風潮です。なんでも言われてみればそうだな、ということは沢山あるわけで、改めて指摘されると反対する理由も見当たらないというものが沢山あります。しかしながら、特に別段困っているわけではないものの、まー変えてもいいんじゃないというレベルです。もっと大きな前段としての問題が無いものだから、人は身の回りのことに気づいてしまうのです。現在はさらに、どこまで知識と技術が伴っているかわからない学生をむやみに体験実技だけを習って、果たして臨床ではどうなるのだろうか?各言う自分も臨床に出る前は本当に患者を見れるのか不安でしたが、実際には習うより慣れろなんですね。何事も。
 さて話がそれましたが、実習生のバイザーをするというのも、これこそ最初に降りかかる関門かもしれませんね。学生と通じて多くのことを勉強できますし、成長できますね。


第七の凄い
 回復期やデイの立ち上げ

 そして数年前から珍しくなくなってきた、立ち上げスタッフとして関わるというものです。多いのは回復期や大学もそうですね。立ち上げというのは、まさに最初から自分が作り上げていくというわくわく感があります。その出来上がったものに準じるよりも、最初から自分の意思が反映された箱ものを作りたいと思うのは誰もがありますし、声をかけられるとその先のパイオニア精神が賦活されます。やはりコロンブスではないですが、いつの時代でも冒険と発見は人間の何かをかりたてるものがありますね。この立ち上げにかかわるのも、すごい体験の一つです。やはり人はどんなに生活が困っていなくても、マンネリは続きません。このように独立する医師から声がかかって等の理由にて退職していくスタッフは珍しくありませんね。しかしながら、このような理由は寿退職と同じぐらいの大義名分となります。

第八の凄い
そして自立起業

 昨今、珍しくなくなってきたデイサービスの立ち上げ、訪看の立ち上げ、いくつもの施設と事業を営んでいる経営者としての理学療法士が多くなってきました。このあたりの人たちに対して、おそらく起業セミナーや自立を促す説教はいらないでしょう。やはりこうやって考えると、起業セミナーも啓発セミナーも顧客がいるからできるわけです。実際に起業するひともいるとは思いますが、おそらくそのような人は既に自分の中にビジョンがあって、表立って羨望の眼差しで講師をみることはないでしょう。この話は使えるのか使えないのか?それだけを吟味します。それに感銘を受けたり心酔したところで、何もならないことを知っているのです。心酔して起業できれば世話ないよということです。
 デイや施設の企業はまさに地域の関係者の方々の協力なくしては無しえません。まさに街を支えるという理念がなくては成り立たたないのです。ところが個人で自由診療にて開く治療院は、また違う人種?というかデイとは違うタイプのセラピストが多いのです。個人の力という視点がとても大きいのです。腕一本で食っていくというよ鵜な感じですね。そこにリハビリ的な理念をどれぐらい継承できるかが大切であり、個人という時代というか観点では本当に後世に繋がるものはできません。何故ならその時、その時期だけにとらわれることによって、どれだけの業界が現在停滞しているか。診療報酬もそうです。とびぬけて設けている病院や治療院は何かしらの自助努力をしているからですが、本来ならばありえない隙間をぬっての方策を講じている場合があります。結果、行政がグレーな取り組みを取り締まるかのように、改定が行われていきます。個人レベルの感情が景気のいい時は通りますが、いずれ業界の衰退につながり、次代の若手がいざその仕事に就こうと生業にしようとしても、社会への適応と順応が立ち遅れているため、グローバルリズムの流れからもさらにおいて行かれてしまうのです。
 この歴史を理学療法においても繰り返さないようにしなければいけません。各々は一生懸命やっているつもりなのですが、唯我独尊にならないように警鐘を鳴らし続けなければいけません。独立心とは時に大きな勇気と覚悟をもたらします。そしてプライドも満足感も達成感も、だからこそ自負もでてきるのですが、かえってそれが排他的な考え方や自分が特別だというような思いになってしまうのです。結果、他者へのリスペクトや共存、などの観点が欠如してしまいます。

仕事とは自ら考えて行動して初めて成り立つ
誰に言われたからではなく、あくまで自らの判断と考えに基づいて、しかしながらあらゆる立場の人たちとの輪と共感を持ちながら進んでいく必要があります。
 一つ言えることは、体験していない未知のzoneは、体験していない人にとっては全く想像できません。よってそこは特別なエリアであり境界となります。よって想像の世界であるが故に、上から言われたことは絶対となってしまいます。多くの人たちが入ってくることにより、多くの判断と考え方と当たり前の中での監査の役割を果たすこともできます。そうすることによって、現状の特別な情報と技術を有しているという優越感による言動が減少するのです。いいとこどりという名の横着な手順では医療とは言えません。如何にも発信者として啓蒙者として見たもの感じたものを、全てルールを顧みず自分の手柄にすることだけは避けなければいけません。我々は国家資格をもった、そして国際的にもphysical therapistとして見られているということを自覚して、どのような教育を受けてきたかを思いだして、その行動や言動が規範から外れていないか?モラルの問題となってくるのです。
 
スポンサーサイト

コメント:0

コメントの投稿

トラックバック:0