災害時の初動

Category: 多事総論
ボランティアとは災害時にどうするべきか?

深夜にマイケルサンダルの白熱教室in東北大学を見ました。1000人の東北の方が参加しての議論が交わされていました。そこで一つのテーマとして究極の選択ともいうべき議論が交わされました。
それは、命をかけて救助するということの選択です。
この震災で民生委員56人、消防士200人の犠牲があったとのことです。その他にも市の職員や病院関係者、そして家族を迎えに行ってなど、立場や家族であれば当然ともいうべき行動によって犠牲になられた方々がいます。その反面多くの犠牲者のなかで助かった人たちも逆に肩身の狭いというか、謂われのない中傷を受けていることもあるかもしれません。危険を顧みず、いや実際に使命感によって当然のごとく行動しただけで、危険であるかどうかの思考のなかでの選択肢ななかったかもしれません。自分よりおそらく地域の住人の方々への気持ちがいっぱいであったかと思います。その緊急時に冷静に判断と行動することはできないでしょう。ましては想定外のことであり、今でこそ津波という危険をインプットされていますが、果たして当時そこまでの認識があったかどうか?情報も後から総合しての見解は述べれたとしても、実際にはその場ではほとんど情報が無い状況。防災無線やラジオからの情報、断片的なそのピンポイントの地域情報ではないこともあるなかで、信じきること、想定外を想定して設定できるのだろうか?

かくいう私も即座ではないですが3月に現地に赴いたタイプです。それは賞賛されるべきものでも勇気を称えられるものでもありません。何故なら危険性という点では想定外を考えてまで行動していないからです。何もなかったからこそ、結果的に貢献できたという側面は残るものの、今後は同じような行動を何度も繰り返すべきか否か。その衝動や当時の心境は尋常ではない精神状態であったことは確かです。経験したこともないようなとんでもない現状に対して、いてもたってもいられないという衝動です。このような使命感というか衝動は現地にいたとしたら、危険のある地域に逆に向かっていくことに駆り立てるかもしれません。

マイケルサンダル教授の白熱ハーバード教室での印象に残った議論は以下のようなものでした。

緊急時に即座に動く
その正義感
その使命感

誰も見捨てるべきではない。
自らの命を優先すべき。
その究極の選択ができるか?
咄嗟の情報はない現状において、自らの衝動を抑えられるか?

自らの命を犠牲にしてまで助けるために動くべきか?

納得と合意:適応と順応
全員の意見を聞いて
理解を共有するための議論が必要
権威をもった議論が必要で相手の意見を聞いて学びあうことが必要
相手を尊重する精神
を以て諦めずに信じることこそが、復興へと導く希望となる。
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