謹賀新年

Category: 多事総論
動き続けなければ安定は無い

 2013年平成25年が始まりました。昨年来、iphoneにipatにwi-fiだ、無線LANだの振り回された一年だったせいか、今年の年賀状はパソコンから打ち出す気に全くなれませんでした。データーは入っているので、プリントアウトしたほうが楽に決まっているのですが、全てをデジタルでやるのにヘキヘキしていたのかもしれません。今回は宛名は手書きにさせてもらいました。字を書くことさえも少なくなった昨今において、果たしてそれは進化なのかどうか?間もなく新しいコミュニケーションのあり方と仕事のやり方の時代が来ると、世界のハイパークリエイターたちはこぞってその革新的なテクノロジーについて語ります。しかしながら、本当に多くの人たちが端末を使いながらも、追いついているのだろうか?と感じてしまいます。私自身も決して遅れているとは思いませんが、少なくとも最低限の機能を活用しているにすぎません。置いてかれないように、付いて行っているというのが正しい表現です。
 人間は自らの能力を最大限発揮することに人生の糧を見いだします。おそらく、皆々がそのように考えそして可能性のある時代は有史以来初めてではないでしょうか?運命という名の下に、どんなに優秀であっても決して日の目を見ない時代は幾千年と過去をみればあったはずです。身分や立場などがそうです。近年はそのような不条理な力に対する権利の獲得の歴史の上にたっていると言えます。結果的に、誰もが自らの夢や希望ややりたいことを見つけるという、課題に直面してしまっています。世界をみれば先進国と呼ばれる国ばかりではないことは確かだと思いますが、それでいても一昔前なら先進国、後進国、発展途上国などと明確に線引きされていたものが、現在ではその境界が無くなり、どこの国の都市に行っても十分に文明的な生活を享受することができます。
 インフラそのもが未整備である時代であれば、食べることそのものが目的となり果たすべき役割となります。本来、人間も動物と何ら変わりない食べるために生きて生きたわけです。しかしながら、この一部の国が享受している飽食の時代において、世界的にも肥満が明らかに増えているそうです。肥満とは消費よりも補給が多い訳で、それはエネルギーそのものを過剰に消費していることにもなります。必要以上のエネルギーを身体に溜め込んでいるこの経済という礎の上に成り立っている世界において、経済成長以外に豊かに暮らせる道は残されていません。世界的に不況で尚かつ就職難であるこの時代は、食べることにも困るというニュアンスとも違う、現代のシステムにて生活することが困難であるということなのかもしれません。
 私も含めてですが、明らかに自分のことが中心に考える思考です。誰もが自分のため、自分のことを考えて何が悪いのか?と言われそうですが、果たして過去においても同じであったかと言われるとそれは違うように感じます。明治生まれの祖母は既に他界していますが、家を守るというその一念の凄まじさは今でも思い出されます。女手一人で財を成すぐらいの、今で言えばキュアリアウーマンの走り?と言えます。しかしながら、その思考は自分の能力とか、自分のためという現代の価値観とは違うように感じます。夢を持って生きていたかというと、夢など何を寝そら言を行っておるのだ!と一括されそうです。家のため、家族のため、その血筋を守るために人生を燃やし尽くしたのです。

 話は変わりますが、私は医療従事者なのでサラリーマンやOLの詳しい所はわかりません。ニュースではその就職戦線の厳しさや、ストレッスフルな社会を耳にしますが、やはり体験したことが無いのでわからないのです。
 余談ですが、この年末年始にも新世代として、あらゆる社会の問題に対して真っ向からディスカッションする番組があったのですが、その漠然として持っていたその違いの一端が理解出来たように感じました。その他にも接点がなかったわけではなかったので、その一つ一つの物事が繫がってきた感じがしました。ちなみに新世代としてスタジオに集結していたのは1870年以降に生まれた世代ということで、私は既に入っていません。もうそんな世代なんだということを改めて実感するとともに、もう残された時間はそんなに多くはないことも悟ります。私よりも若い世代が日本の未来について語っていることそのものは何ら当たり前のことだと思いますが、その片鱗にでも入り込めていない自分においては歯がゆい気持ちにもなります。

 ただ仕事においては、企業などの就職先が無いということ、そしてその仕事が必ずしも自分の考えていたことややりたいことでもないということが大半です。そもそも仕事にて自己実現しようとする思考は、かえって自らを苦しい立場に追い込んでいることにもなっています。夢を持って、つまりは目の前の生きるということの保証がされた、日本においては、野心や手段を選ばない成り上がり方は推奨されなくなっています。一昔前なら戦後の混乱に乗じて、いろいろなことがまかり通ったことでしょう。自らがやりがいのある、そして震災後は特に人のためになる仕事のあり方が模索されています。儲けるために、から自らの能力を活かして、やりがいのあるという自分中心から、人のためにという利他の精神へと変遷が見られます。変遷と行っても実感出来るものではなく、あくまで%の話です。



























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