フィジオ運動連鎖アプローチ協会の矜持

フィジオ運動連鎖アプローチ協会の矜持

 年の暮れとなりました。運動連鎖アプローチ協会の来年度に向けたスタンスを公表します。
①政治、経済など国際社会の動向のなかでの立ち位置を常に意識し、次代に繋ぐ活動を旨とする。
②医療従事者としての道を邁進する。医療従事者として既存のものに積み上げていくことを基本とする。期をてらわない。流行に流されない。
③分かりやすい医療を心がける。自らの興味ではなく、大衆の目線にて分かりやすい医療を心がける。スペシャリストとしての特異性は、あくまで個人の資質であり、普遍化することはないことを自覚しておく。
④理学療法士としての性格を理解しアピールする。弱者に対しての視点を持ち、予防の大切さを誰よりも分かっている職種である。そのキャラクターを如何に社会に浸透させるかを考える。医師のように既にプロデュースしなくても良い立場ではないことを自覚し、社会へのアプローチと活動を意識する。
⑤ながいモノに巻かれない。有名人や名声になびかない。媚びない。対等の立場にたつことで、始めてビジネスパートナーとしてギブアンドテイクが成立する。身の丈に合った活動を心がける。決して背伸びをしたり、自らを誇張して風呂敷を広げない。
⑥固定観念を取り払う。英語が出来なければ世界に出れないなどの、固定観念にとらわれない。自らを縛
っているのは自らである。既に国際感覚という点では世界から遅れていることを自覚しなくてはいけない。
⑦志を高く持ち、国民の健康に寄与することを第一とする。

 今年一年間はPT協会の理事という大役を仰せつかったこともあり、より政治や経済など国とはなんなのかということの一端を垣間見ることができました。その中で感じたことは、永田町に関連する動向と一般大衆との感覚が、かけ離れているということです。人のワーキングメモリーには限りがあります。政治の中枢に働いている人が特別優秀な人であるとは限りません。それは与えられた時間と労力は各々同じだからです。そして与えれた運や活力もどの業界をみてもスーパーマンのような人がいるように、その粋を極めた人たちが集結していて国のかじ取りができれば理想ですが、個人ではない国という観点からみると全く求められる資質が変わってくるのです。
 例えば、私の年齢でいえばそろそろ国を背負って立つような人材が育ってくるころですが、同級生にそのような資質がある人がどれほどいたかといわれると、そうは思いつきません。むしろ、あいつが?というケースのほうがおおいのではないでしょうか?学校の先生などは、大学を卒業していきなり父兄や子供の要望に完璧に答えるのが当たり前だというような境遇に立たされるわけですが、自分がその立場に立ったとしてら果たして、自分が考えるような満足度を与えられる教員になれるでしょうか?昨今はあまりにも父兄のうるささに、教員はうんざりではないでしょうか?私も子供がいますが、とにかく父兄への説明会の多さには閉口します。親がすべての説明をうけていなければ気が済まない。「聞いていない。連絡がない。」といわれれが説明会を開催せざるを得なくなります。
その結果、親は子供の安全を考えます。親の意向が反映した進路や方針はすべて安全策となります。よって、かわいい子には旅をさせろという格言とは真逆の立場になります。
 そして社会に出れば厳しいよ!競争だ!グローバル社会では世界が相手だ!競争社会になります。人を蹴落としてまでというぐらいの気持ちがなければ生き残れない世界も多々あるでしょう。いい子に育てるという親のひいき目が国際社会への視点を立ち遅らせているのです。
 国を左右する判断とはリーダーとは世論を二分する懸案に対して決断を下すことになります。具体的な活動をせずに言葉遊びばかりをしている政府のやり方はそろそろやめなければなりません。国の姿をみて、実は我々の写し鏡であることを自覚し、自らの足で動いて考えなければいけません。
 
最後に来年はPT協会の理事選挙があります。まだ一年あまりの活動で何もできていない状況です。選挙に立候して、一人一人がともに作りあげている実感のある理学療法を構築していきます。国に協会に期待しないという話をよく聞きますが、期待しないというのと協力するという気持ちとスタンスが必要です。国に期待しないといいながら日本に暮し税金を納めそしてその恩恵を受けているというのなら、無関心は罪です。むりくりでも関心を持つことです。それが国民の義務なのです。


 
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名医 麻生泰です

麻生泰 名医
わかります!

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