選挙総括

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衆院選選挙総括

池上さんじゃあるまいし、選挙総括を私がしてもと思いつつも私見を述べたいと思います。
まずは意外にも選挙投票率の低さです。私はかなり関心が高かったのですが、予想に反して低い数値にびっくりでした。あれだけ民主に対して避難が鬱積するなかで、その国民の声としてノーという声が多くなることは予想されていたことであり、そのためにも皆が選挙に行くものだと思っていました。実際に結果は自民の大勝という結果となり、民主は予想以上の大敗をすることになりました。事前のリサーチでも50そこそこの議席に留まるとは誰も思っていませんでした。維新も80~100と予想しているところもありましたが、それでも結党時には10にも満たない数からの50ですので十分躍進と言えます。選挙結果に対して、自民が勝ちすぎた議席が多すぎたという声が上がっているようで。自民の勝利そのものを歓迎してるというわけでもないようです。確かに三年間にノーを突きつけられた政党の返り咲き。国民自身も自責の念があるでしょう。乗せられて民主にやらせてみたものの、結果は散々足るもの。ポピュリズムにのった自らの戒めと、そこからの学びが投票の低さと関心の薄さになっているのでしょう。
 選挙に行った人は民主はこりごりという人が大半で、その反動としての自民ということになります。しかしながら、過去の政治への不振もあるのでしょう。だからといって第三局も危うい。維新など政権をとったと考えると、にわか政権でますます混乱の淵に陥りそうです。野党として政治の前線にいた民主でも、ただの素人集団かと思うほどの低落ぶり。個々の審議事項に関しては、専門的な委員会にて推し進めているのですが、それが政権つまり国の舵取りとなると、全く機能しない。つまりは永田町では一生懸命やっているようで、個人商店の繁盛に終始しているのです。国のレベルだらうが、個人レベルだろうが要する労力は変わりません。何故なら皆が一生懸命やらなければ、どの立場であっても上手くいかないからです。よって、国レベルで活動しているからすごいわけではないのです。なかなかなれるものではないので、誰もがその立場になりたいと夢を持ちます。つまりは、いつの間にかもたれかかっていることに気がつかないで、世渡りとポピュリズムに走ってしまうと自らの成長につながらないのです。スポーツが時として感動を生むのは、一途にその、道を極めようとする姿勢にあります。ところが銭バケともいべき銭闘になってしまうと、途端にファンから避難が飛びます。未来の党の選挙に強いとされてきた、剛腕小沢さんが惨敗したのは、選挙テクニックに長けているというこもであり、それは政治家を通すための手法ということです。そこには、本来あるべき政治家の理念や信念、そして矜恃はありません。小沢さんはそれは見事に立ち回っていたと思います。選挙戦略に基づいて、票をとるための手を打っていたことは外からもわかりました。マニフェストということを盾に民主を離脱し、国民の生活が第一が今ひとつだとなれば、未来の党に迎合、自らは裏に回るという院政を引きます。滋賀県知事を党首に据え、刺客として得意の小沢ガールズをあてがいます。
何の政治経験もない人を担ぎ上げ、政策ではなく大衆の情による票とるだけのための従順な候補者を立てます。
谷さんなど国民的な人気者を抱え込んで、とにかく選挙で必要なテクニックをフルに使います。これは、いわゆるビジネスの成功本を読み漁って、金儲けに応用しているようなものです。儲けて悪いわけではなく、何のためにその職業をしているのかということが問われる時代なのです。貧しさからの脱却なら、億万長者を目指すことに意味はあるでしょう。しかしながら、いかに生きるかという価値観になりつつある時代において、理念なき戦略のみのゲームを展開しても、それは既にドタバタを聴衆としめみていた国民からすると、さらに茶番の続きを見せられているようです。等の本人は、露知らず、そんな風に見えているとは実感していません。それは、大衆というのは意図も簡単に操れるという、その感覚に慣れてしまっているからです。こうすれば、こうなる!というマニュアル化した思考にて、人の気持ちは簡単には靡かないという原則を忘れてしまっているのです。一人を疎かにすると、大略をも失うということです。ネットワーク社会になり、その自らの行動規範が客観的に見れるようになり、またグローバルリズムによる世界的な視野に立った考え方に、日本人そのものが立ち遅れた感があります。世界に追いつき追い越せの時代は終わり、成熟と自らの満足度に向いた視野は、方や守りという防御が働きます。一方では、この収束した閉塞感からの打破を望む気持ちは高まります。しかしながら既得権益により、その変化の声は既存の守りの流れに打ち勝つことが出来ません。歴史が証明しているように、いつの時代でも変化を拒む勢力との対峙が歴史を作ってきています。他人事ではなく、自らの身にも降りかかっていることに当事者は気がつきません。何故ならば、あからさまに自らの保身や利益ばかりを主張しているわけではない、体制に対する考え方であったりするからです。あからさまに汚職が横行している国ではないわけで、余計にわかりにくいのです。個人の価値観の問題であり、そこは必ず反証があるのです。一つの事象に対して、反論が必ずあるように、常にどちらか一方だけの意見というのは無いのです。
選挙の話に戻ると、前回話題をさらった小沢ガールズなど、既に子飼のイメージが出てしまうと、大衆は拒絶します。迎合した自らの戒めと、迎合して長いものに巻かれることの危うさを、その形が今回の選挙結果に出ていると思われます。
周りに流されない、仲良しクラブでは無い、その、姿勢を見ているのです。仲良しクラブは密室の中での、囁きにて決まっていきます。この、囁きのメカニズムにより容易に人は左右されてしまいます。そのことも、薄々わかっている我々は、そのようなバイアスを挟まない価値観の渇望が、政治というたまたま分かりやすい、陥りやすい社会的なテーマになるのです。
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