理学療法士としての未来

理学療法士としての未来

 理学療法士としての自身を知る。このことが今後の日本における理学療法士としての発展に大きくかかわってきます。今現在の立ち位置をしっかりと把握し、そして立ち位置から目指す頂きに向かって歩きだすということが大切なのです。
理学療法士として自信がないという現状
 そもそも医療とは生涯教育であり、これで大丈夫という自信が完璧にあるほうがおかしいのです。例えば医師の世界で私は名人だということでふんぞりかえっている外科医を信用できるようですしょうか?陛下を執刀した天野教授のあくなき探究心と猛烈ともいえる手術件数と熱意!命に対する責任感と対峙する気概。そこに自信という言葉では片づけられないプライドと使命感を感じます。背負って立つ覚悟と勇気こそが最も大切な資質であり、そこに人は信頼とオーラを感じるわけです。威厳と虚構は違うのです。ことさらに自らを大きく見せようとするそのさまは医療とは全く違う、金儲けのビジネスに他なりません。柔整と鍼灸の医療費の伸びが顕著で一つの財政にたいする懸念材料になりつつありますが、その業界に流れる根底には医療というビジネス、介護というビジネスという手段になってしまっていることが背景にあります。学校もそうですが学校法人がリハビリの学生は集まりやすいからと言って巨大な建物に大量の学生を募集して荒稼ぎする様がみられます。そこからは伝統も理念もなく、いわゆるビジネス産業となっています。ビジネスが何が悪いのか?と言われそうですが、確かにTPPにて海外資本がどんどん入ってくるとあっという間に日本の理念先行の考え方では太刀打ちできない可能性があります。現に電化製品などは韓国に圧倒されつつある現状であり、そこには職人としてのこだわりがかえって国としての力に結集できなかったという面があります。内部としては理念を貫き、そして海外からの外力に対しては抗体を持っていなければあっというまに食われてしまいます。いずれにせよ、医師の場合はその理念がそのまま社会的な地位や立場に反映するダイレクトな立場であるところが、リハビリ職とは違うのかもしれません。ゴッドハンドとか呼ばれるのは、あくまで結果であり、徒手療法の世界では半分は言わせているようなところもあります。胡坐をかいていて結果がでる世界はプロではありません。野球やサッカーなど、俺は上手いんだというようなプレーをする選手がいてはチームとしては勝てませんし、あっという間にレギュラーの座を追われます。ところが、聴衆の前でつねに厳しい判定をうける立場にない、りはびり職などの場合は一度大先生になってしまうと、延々とそれで食っていけるようなところがあります。医師の世界では本当の意味で実績を上げた人のみが評価されます。腕がいいといったような評価は数値的に示されたものではなく、単に変化をさせられるというマジックのようなものです。変化と治癒と医療費の抑制などとは全くちがう次元なのです。わかりやすい評価指標がない、単なる手で治せるという一種の陶酔感と自らのすごい人間なんだという勘違いをもたらします。羨望の眼差しと、賞賛は人を狂わせます。自らの成長とは無関係にその技術が身についてしまうことによって、特別な存在として錯覚してしまうのです。そうなったら人の話は聞けなくなります。自分がになってしまうので、例えば災害などにて率先的に貢献しようなどという意識は生じなくなります。何故なら心地よい賞賛の場こそが陶酔を得られる、ドーパミン症候群になっているからです。
 前段が長くなりましたが、自信がないというのは実は日本の理学療法士のストロングポイントでもあるのです。これはどういうことかというと、謙虚に誰からの意見も吸収して緩衝作用としての働きができるからです。この資質をもって、自覚することで実は自信になるのです。自信がないということが実は自信になる。なんだか逆説的ですが、そのように発想を展開することが、まずは理学療法士の未来への第一歩となるのです。

会員帰属率70%という現状の意味するところは?
 理学療法士は免許所得者の70%が協会の会員に属するという極めて高い比率なのです。あくまで私見ですが、これは余程の従順な集団でなければこれほどまでの帰属率にはならないはずです。理学療法士の法律ができてまもなく50年がこようとしていますが、先代の諸先輩たちの尽力による気概がここまで威光を放っているということでもあります。その統率力が今現在の帰属率になっているのですが、気持ちとしても帰属率ほどの意識があるかというと、実はメリットを感じていないという会員が多いという現状を耳にします。若い人たちを中心に急激に協会参加率が低下する可能性を秘めていることは確かであり楽観はできないという空気はあります。この先代の威光はというと、私が理学療法士になった時も目標は「日本一のPT」といった言葉が聞かれたほどです。今はなんだか日本一といっても実態がない感じですが、当時としては先輩も含めそのような気概を持ってセラピストは沢山いました。おそらく私もそのような空気のなかで教育されたからこそ、今があることは間違いありません。これがのちに鍼灸マッサージ師の免許を取るのですが、その場で感じた柔整も含めた空気とは明らかに違います。そこが理学療法士は知識があるというふうに見られて一目置かれていた背景でもあります。しかしながら、昨今の現状においては介護と同質であるというような風潮もみられます。決して介護だからどうこういうわけではないのですが、例えば医師が介護と同じだと言われても明らかに違うといえるでしょう。医師は医療です。それと同じで理学療法士も医療と介護に関わり、貢献しているということにおいて介護職員でもいいじゃないかという考えもあるかもしれません。しかしながら、いい意味での解釈と、敢えて医療というカラーを拭い去るというのとは意味が違います。
 この帰属率の高さは実は従順性とイコールだとするならば、それは主体性の欠如というマイナス面も出てきます。しかし主体性が高い職能集団の帰属率は低下するでしょう。つまりまとまらないのです。カイロ業界に長らくいますが、そこではあまりにも各々のカラーが濃すぎてまったくまとまりがありません。カイロプラクティックは法制化されるチャンスは何度もあったはずなのですが、そのたびに業界の中で主権争いに発展しまとまらなかったおちう経緯があります。つまり右肩上がりの時代はよかったのですが昨今のように不況になってくると、カイロを取り巻く業界全体の衰退が始まります。まず学生が集まりません。リハビリの学校においても定員割れが続出する現状において、敢えて保障のない世界にいきなり飛び込むことは余程のきっかけと動機が不可欠でしょう。若手の育成が滞るということは、当然その業界の求心力は低下します。アメリカにてDCを取得した先生方は各々の哲学を掲げて気概を持って看板を掲げていますが、個では発展しても団体にはなりえません。よって地位向上には至らないということです。もちろん地位向上などというよりも、自らの生業とクライアントの満足度が無ければ食っていけないわけですので、そんな大局観にて物事をみる心理状況にはなりにくいものとも思われます。反面、理学療法は大半は医療と介護現場にて勤務しいいますので、待遇完全と地位向上はセットになってきます。この70%の帰属率というのは主張が少ない会員だからこそ成り立つ数であり、結果的に数の原理としては力を得ます。政治的な活動は遅れているをいわれている協会において、この数は力になります。主張しない職種であるかもしれませんが、その主張しないなかにおいても、しっかりと気概をもって取り組んできた自負があったのです。しかしながら、近年あまりにもの膨大な卒業生の輩出により、その質の低下が叫ばれており、理念の継承もされない薄まりつつあります。そして待遇面、医療保険においても低下が重なってくると、当然その矛先は協会に向きます。待遇がいい時には誰も見向きもしない協会ですが、このような時代に直面すると不満が出てきます。そして、気概だけでは何も変わらないじゃないかと危機感を持った若者は外に目を向け出します。まだ業界全体をなんとかんしたいと思って留まっていてくれればいいですが、完全に見切りをつける人たちも多くなるでしょう。

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