理学療法士のキャリアップとは?

理学療法士のキャリアップとは?

 11月11日日曜日、小雨の降る中、臨床福祉専門学校にてTAP研究会主催のセミナーが開催されました。
同日には多くの他のセミナーも開催されており、群雄割拠となってきたこの業界の現状を改めて思い知ることになりました。この一日だけでも同会場にて、理学療法関係だけでも三つの研修会が開催されていました。この流れは全国にもの凄い勢いで広がっており、もはやパイの奪い合いというよりも、毎年一万人以上出る卒業生がでるこの業界のビジネスモデルとして定着しつつあります。またセラピストのキャリアアップの手段が見えてこない現状において、セミナー開催にてレクチャーするという魅力もあります。もはや純粋な理念のもとに邁進していこうというだけではモチベーションも含めて継続が難しいのかもしれません。日々の臨床においての貢献が、我々自身が存在価値を見いだしたり、やりがいを感じることが主であるはずですが、実際には卒業して数年でモチベーションの方向性を見失う現状があります。理学療法士の地位向上という意味で協会は多いに尽力しています。しかしながら、その団体としての取り組みと個への還元というのは、どの世界でもいつの時代でも乖離しています。研究と臨床。科学とスポーツ現場。時として対比として扱われることも少なくないこの世界において、全体としてという視点に当てはまる部分と、個という別の視点が必要な面に分かれていくのかもしれません。
 
 セラピストとのキャリアップは臨床における知識や技術がまずあります。これは主に若いセラピストであればある程盛んです。どこの研修会でも技術系のセミナーは若い人が多く、これは意欲もさることながらその取り巻く環境によるものも大きいでしょう。家庭があったり管理職となっていく年代においては、自ずとフットワークが鈍ります。ある程度選んでいくようになることも関係しているかもしれません。医師や歯科医師がある程度固まった団体や学術団体に所属して、そのセミナーや学会にはルーチンのように参加するシステムの導入が必要な時期になっているのかもしれません。理学療法においても多くの団体が乱立し、そしてセミナーを開催しています。構造化とパターン化によって、ルーチン化と義務化を促すことによる自動性をもって啓蒙しているのです。宿題やテストがあるから勉強するように、基本的には自由意志に任せていたのでは手が足が動かないのです。

 臨床のキャリアアップの次には、一般企業であれば昇進があります。しかしながら、リハビリ職において主任や科長になる魅力を感じているセラピストはほとんどいません。若くしてその重責を担うことで燃え尽きるセラピストが多いのが現状です。ある程度年齢がいけば、生活もあり割り切ってその職につくことができる心境になるものと思われます。

 臨床として昇進の次にくる、キャリアップは進学になります。大学院が出来た頃はその真新しさ故にこぞって眼が向いたものです。新しい世界そして、明らかに学術的には一段階段を昇ることになります。明確な目標と業績となって残るこの博士課程は意欲をつぎ込むためのターゲットになります。しかしながら、その大学院も必ず卒業がきます。その時にそのキャリアを生かすには大学の教員ということになります。臨床に戻ることもできますが、臨床にてその効能を発揮する場面が無いばかりか、別段そこにインセンティブがあるわけではありません。
 自分の中で達成感があればいいじゃないかと思いつつも、何らかの形となる評価がなければモチベーションにつながりにくいのです。大学の教員も枠が限られています。その次には必ず准教授や教授という椅子を目指すことになります。大学の教員をみていると、同じ職場に長くいる人がとても少ないように思います。能力があればどんどん声がかかって移籍していくことが、当たり前の世界なのかもしれません。

 臨床のキャリアに戻りますが、今でも総合病院系への就職希望者が多いようです。私でも最初は勉強するためにはそう考えるでしょう。現場では介護の現場に人手が足りないという現状のようですが、いきなり介護サービスの現場は若い新人には選択肢としては入りにくいようでしょう。ただ職場をいくつか変わって行く中で、病院から訪問というケースは少なくないですね。訪問はある程度一人に任せられているようなところがあるので、病院に比べて自由度が高いようです。しかしながら、その外回りの過酷さから長く続けるのも難しいという声もききます。そこから、さらに病院へ戻るという選択肢もあるかと思いますが、リバックには躊躇することも多く、何かの明確な理由が必要だと思われます。
 現在は就職難と呼ばれている中で、医療職においてはその不況?の煽りを感じることが少ないのです。いつかは就職先が無くなるよと言われて久しいですが、いまだに企業のように大学生の就職率が60%だというような現状はありません。同じ日本で身近に起こっていることにも関わらず、実際には実感することができません。また、他の水はそうだからと比べて、我々は贅沢を言えない、まだいいんだ・・という納得の仕方は言葉上ではしますが、内心は全くもって納得するに至りません。ただの我慢は理不尽とイコールであり、その瞬間だけの慰めにしかならないのです。これは被災地でも同じことが言えます。比べてどうかという判断は、その場限りの言葉のあやなのです。
 よって、働ければいいという価値観から既に脱却している日本においては、やりがいのある仕事という基準になっています。戦後の復興時期においては、貧しい家から子供が丁稚奉公のように働く様をドラマでも見ますが、今となってはあり得ない現状です。中国の安い労働力というのも同じような現状であり、生活するために自分の能力や可能性を顧みない選択肢であり、また自らの可能性を開いて行くという眼を持ってしまえば成り立たないシステムです。現状はわかりませんが、中国労働者は少なくない頻度で労使のぶつかり合いが起こるといいます。SNS時代においてもはや情報統制することは至難の業です。
 よって理学療法士も働ければ満足だという思考の人は誰もいません。家庭をもって子供もお金のかかる時期になってくると、責任がでてきますから、これは生活のために養うために働くという別の使命がでてきます。子持ちの女性においても、家庭と仕事の両立という意味で、そして経済的なプラスとして合理的な解釈として仕事を考えることができるようになります。サラリーを得るための手段として、そこそこにやりがいのある仕事であれば、本来は十分に満足に値するのです。
 
 そして臨床と、昇進と、大学などにおける肩書きと、次にくるのがビジネスです。日本人には純粋に職人的な道を極める姿への美徳があります。しかしながら政治の世界がそうであるように、名誉や地位という眼に見える形でのご褒美も欲しくなるのです。リハビリテーションにおいては、その地位や名誉や権力そしてお金というのは日本人的な美徳感の継承からか、長らくタブーとして触れられなかったものです。しかしながらグローバリゼーションが進み、TPPも解禁となる世の中において世界基準での視点を持たざるを得ません。
 日本的な遠慮と協調性がサッカーにおいては逆の面も見せたように、さらに海外バーションとして本田や長友が駆け抜けていることになります。何処の世界でもそうですが、必ず外の世界に出るとき、そして外から中に引き込むときには、アレンジとアップデートが不可欠です。日本のプロ野球選手がメジャーでは簡単に解雇され、そして日本ではまたも厚遇で迎えられるという現実をみると明らかです。逆に言えば助っ人は活躍しなければ日本でも容易に解雇されます。
 日本的な良さの野球で培ったスキルにてメジャーに行って2−3年はもっても、そのアメリカ式に馴染んでしまうと日本方式で鍛え上げられるべきスキルが錆びてしまうのです。

 職人的な視点にて邁進して牽引していただいた諸先輩方の財産を、そのまま分与しても目減りするだけです。Jリーグの中でだけで、世界基準に引き上げるのは難しいわけで、海外選手と日本のリーグでの選手が融合することで実はチームとして独自の世界基準になるのです。

よって自国のリーグを盛り上がるものと、海外にて認められるセラピストを目指すものが必須となります。海外からの情報を伝えてもらうだけではバイアスがかかります。その人が特別の人であるかどうかは希少価値であるから存在価値があるだけかもしれません。多くの人が出向くようになれば、その基準のなかでさらに通用する人が出てきます。そのためには一人や二人では駄目で、サッカーのように多くのアスリートが海外にでることで真に残って行けるセラピストが育つのです。

フィジオ運動連鎖アプローチ協会では、このような理念をもって全ての理学療法士の方々の未来を思考していける活動を啓蒙していきたいと思います。
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