陸前高田&気仙沼

Category: 東日本大震災
陸前高田&気仙沼リハビリ支援活動報告

 現在、気仙沼のボレンティア専用の宿泊施設におります。一泊1500円と格安です。共用ですがシャワーや台所もあり快適です。7月6日ー7日両日にて、初日は陸前高田と気仙沼にて、7日は石巻にてリハビリ支援活動です。
 6日の未明に一関まで車で入り、午前に陸前高田に移動。竹駒という地域にある、あらや訪問リハビリステーション(岩手県陸前高田市竹駒町字細根沢2−4 とうごう薬局横)集合です。あらや訪問リハビリステーションは復興特区における、訪問リハビリステーション第一号であり、Lots㈱と、FTFの仲間でもあるPT木村さん達が中心となって立ち上げています。
 陸前高田は昨年の秋口に訪れて以来になり、3回目の往訪になります。昨年は一面瓦礫と建物の基礎がむき出しになっていましたが、今年は一面に雑草がうっすらと覆っています。雑草の強さとたくましさ、また荒野であっても再生への息吹が芽生えていることを感じます。2012-07-06 12.25.03

 7月6日:10:00〜11:00 滝の里仮設(陸前高田:モバイルデイケア)
     13:30〜14:30 細根沢仮設(陸前高田:モバイルデイケア)
     15:30〜      水梨コミュニティ仮設(気仙沼:個別調査)

 モバイルデイケアをしていて思うのですが、地元のコミュニティを形成されている方、声かけしてくださる方々がいて始めて重い腰を?上げてくれます。確かにいくつかのチラシが掲示板に貼られているだけでは、食指が動かないことも確かです。同じ住人から、お誘いや口コミがあれば行きやすいですよね。仮設によって様々ですが、多くのボランティアが関わっているところもありますが、コミュニティ形成が出来ていないところもあります。今回の震災における仮設でのテーマはコミュニティにあることは間違いありません。独居や孤独といった問題は、東京であってもある問題ですが、被災した方々がいらっしゃる仮設住宅においては、フォーカスしやすいテーマとなっています。おそらく、こういった経験が各々の地域においても、役に立つ時が来るものと思われます。

 仮設に暮らしている方々の一つの懸念は、やはり一年が経ちそしてさらに4ヶ月経ちました。復興住宅へと移行し、いずれは自立という方向性を見いださなければいけません。仮設住宅に入居すること、それがまず第一段階であって、その中でより良い生活環境への取り組みがされてきました。そして、仮設住宅における最大のミッションがコミュニティ形成ということになります。ボランティアは今でもやっているのだろうか?そんな思いをよそに、掲示板にはいくつかのイベントが掲載されています。きっかけとして外部の力が牽引してくることは多々あります。当事者は一歩を踏み出したり、違う視点を見いだそうとしても難しいからです。自主的にやってくれたら、もちろんそれにこしたことはありません。住人の方々から聞かれることは、ボランティアの人たちがいてくれたおかげで、きっかけになった。前向きになれた。そして住人自身の活動へと起爆剤になっていくのです。
 しかしながら、コミュニティという一つの課題がクリアされつつあると、当然未来への不安がもたげてきます。やはりいるのは仮設住宅なのです。復興住宅になれば、また新たなコミュニティが必要になってきます。自主的に自立していく人たちもいるなかで、未来への展望を見いだせない人も沢山います。ご高齢で一人ぐらしにあって、新たに再建することの、簡単ではない事実は明らかです。
 また、笑いと元気な仮設であっても、「もし新たな地震や災害があれば、今来ているボランティアの人たちも一斉にそっちへ行ってしまうのではないだろうか?」懸念材料はつきません。確かに新たな災害はいつ何処でも起きる可能性はあります。茨城であった竜巻においても、被災地から支援の手がありました。理想は相互に助け合うということですが、どうみても被災地において、新たな支援活動を起こすほどの力はまだありません。やはり、ボランティアが大きな支えになっていることは明らかです。気仙沼の仮設を回ったときも、それは人懐っこく話をしてくれます。こちらも特別だと言う思いがあって、よりコミュニケーションをとれた時に、安堵感があります。
 しかしながら、独居のご老人で話を欲している人たちは沢山いるでしょう。地域であれば個別の対応ということになります。被災地においては復興という礎になる住人の力の結集が不可欠です。それが仮設という環境のなかで集まっているのですから、個人への効果が有形無形となって復興への力となることを信じています。
 ボランティアは減っていることは確かだと思います。沿岸部はまだまだ野ざらしですが、人の流れや街中は一見平静に見えるからです。我々も視覚的な現状をみて、そこが被災地であるということを再認識します。その導入が無くなれば、気持ち面でもボランティアという精神が薄れてきます。より、人に焦点を当てた、視点と活動が求められてくることでしょう。日常での生活では決して持てない視点が磨かれていることは確かです。その日常とは違う非日常の感覚と感情と思いが、日常においてもどのように発揮されるかが支援活動をしているものの新たな課題となってくるものと思われます。
2012-07-06 12.30.04
 
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