JAPAN プロジェクト“En”

JAPAN プロジェクト“En

 IMG_1315.jpg
 5月19日、石巻市旭町にてアンチエイジングセミナーを開催してきました。旭町は昨年の五月からひと月に一回程度の頻度にて、災害リハビリ活動を継続してきました。支援という形にて関わってきたなかで、次年度となり新たな取り組みの必要性を感じてきました。被災地のタイムラインは地域によって違いますが、確実に変化を遂げています。我々が関わり始めた、まさに被災地というイメージから、復興から再生へと歩みが進んでいます。石巻市の市街地は比較的津波の被害から内陸部においては、直接的な被害が街においては少なかったこともあり、町並みの復旧は早かったように思います。沿岸部における問題は各地ともに大差は無いと思われますが、それでも隣接する場所に町並みや都市があるということは復興における力となります。石巻市は仙台からもバスにて約90分あまり、近くはないかもしれませんが、比較的自家用車があれば行き来できる場所にあります。仙台から石巻に行く行程においても、松島などの観光地が隣接していることも力強いものと思われます。
 具体的にはどのような変化がみられるか?
明らかに昨年からは被災地という空気からは脱却しつつあります。一ヶ月、半年、一年という節目とともに、住民自らが立ち止まっていられないという意識が芽生えます。まだまだ生活再建にはほど遠いという現実を基準にすると、我々支援する側の意識が止まってしまいます。格差。これは東京であっても地方であっても被災地であっても起こりうるものです。東京においても路上生活者に対する取り組みをされている団体があり、そのノウハウが実際の被災地においても発揮されていることがあります。どん底からは自らの手では立ち上がれない時に、手を差し伸べることで救われることもあるでしょう。どこに立脚するか!リハビリテーションはまさに弱者に対する取り組むと言えます。しかしながら、復興されに再生となると、既に立ち上がろうとしている人たちの、さらにスキルアップ出来るような取り組みの視点も不可欠です。リハビリに携わっているとわかりますが、要介護という視点が中心になります。一人では自立できない障害を有した方々は沢山おられます。そのための職業と役割を果たすのがリハビリ職能団体であると言えます。
 しかしながら、私の大学病院として総合病院、クリニック、介護事業、特定高齢者事業、療育、スポーツ現場、自由診療、といったあらゆる立場での理学療法士としての関わりを続ける中で、見た目の動けるレベルではなく、その人にとっての身体における悩みや問題は介護レベルでは推し量れないものがあるということです。病院にかかるレベルではない機能障害に対して、理学療法士の適応外かと言えば、医学的にも現在のカテゴリーにおいては、病院の役割ではないとうだけであって、本来は健康とリハビリテーションの理念ということを考えると全て適応なのです。
 
 「風化」
 被災地において被災地と呼ぶこと、被災者と呼ぶことに違和感を覚えている人もいます。それは延々にそのカテゴリーに押しとどめておくという作用が働くからです。また呼ばれる方も連呼されると、どうしてもそれを演じなければいけなくなります。実際に、適応な呼び名が無いので仕方がないところもありますが。
 東北三県において被害に合われた方々の危惧するところは、風化になります。忘れさられることの不安は人間にとって共通の認識です。無視されるということ、これは震災直後の数ヶ月に多くの被災者が強く思った感情であり、報道の格差による支援の格差という点、そして情報が全く入ってこない、外との繫がりの無いという絶望感と焦燥感。人はあらゆるコミュニティの中で、実は繫がっており、一人では生きてはいないということなのです。一人では生きてはいけないではなく、一人では生きていないのです。
 風化していくのは仕方が無いことです。情報はネットを見れば、いつでも直後の津波の映像や、瓦礫の写真も山ほど出てきます。新聞もニュースも継続して何らかの情報は流しています。東北の新聞やテレビ番組と他地区では情報量の違いがあることは確かです。現地にいると現地の情報がふんだんに流れており、確かに情報の格差と認識の格差はかなり広がっているものを思われます。延々に被災地のことを考え続けることによる、トラウマのような状態も報告されるなかで、長期にわたる生活を削っての支援は不可能です。何らかの自らの+になる活動が、東北三県においても+になることが理想です。
 生活と人生が今回の被災により、多くの人たちが変わりました。それは支援している側の人生観も変え、現実に生活の拠点を東北に移したほどの人も多々おられます。生活の中心を東北に捧げることが、何ら自然にさえ思えた直後、そして迷いので始めた一年。まだこんなにもひどい状況なんですという呼びかけは、既に人の心にダイレクトに響く時期は過ぎています。対等の立場にて接していく、今までなら東北という地にこれほどの縁が出来るはずが無かったものが出来ているということ。そして時代背景として日本そものの問題として、新たな再生と活力が求められているという事実。
 日本人とは、日本とは、政治とは、多くの人たちが真剣に考える機会を持つようになりました。もたれかかっていれば、誰かがやってくれる、自分が何かをしたところで何も変わらない、という閉塞感の吹き溜まりを打破することが、東北のために、日本のために、自分のためになるということです。
 私自身はリハビリの団体にて支援活動を続けてきましたが、単一の職能集団でできることのメリットと限界を感じてきました。リハビリ支援を続けることが職能集団としての役割なのですが、同時に現場では医療過疎やリハビリ過疎そして少子高齢化などの、もともと抱えていた問題に直面するのです。そして、共通して理念としての夢と希望をもたらすことが、明日への活力になるということ。
 治療技術や専門性の確立のアピール、地道な活動によってのみ何かをなし得ることに異論はありませんが、具体的な道筋は偶然を期待するようなところもあります。その問題意識が全体として有しているという前提にありますので、そこからさらに自らのではなく日本のという視点、そして世界への発信という視点から逆算することで、始めてロードマプは出来るのです。
 医療における我々は、長らく外部の社会のつながりという視点が若干欠けていたことは否めません。視点の違いと、空気感の違いは薄々と感じていますが、明らかに企業という一般サラリーマンと我々は人種が違います。患者というカテゴリーになると、その立場などは薄れて患者というカラーになりますので、我々にとっては外部の人たちとは患者という立場にて関わっているのですが、これは既にバイアスがかかっています。
 本当の意味では、社会的資源を活かすためには、我々の医療従事者としての延長線上に関わってもらうだけでなく、もっと共通言語の中で普遍的なアイデアとして共有すべきなのです。
 道とは最終的には理念に行き着きます。それは普遍的な社会に置ける共通して、森羅万象における共通理念です。リハビリテーションという立場から得られた、生きるということに置ける法則。
 それはリハビリ専門職としての人種のアピールということに繫がります。何が出来るかということの柱だけでは、世間における突破口は開けません。また国の医療保険改革における方針によって、我々の専門性が規定されるわけでもありません。確保という保守における攻防は出来ても、専門職としての意見や認識が高まる訳ではないのです。

 寄り添い、そして共に歩む
 では理学療法士、作業療法士、言語聴覚療法士などのPOS三団体の人種としてのカラーは何か?それは上記の表題になります。その視点にたって縁、円、yen,を発信していくのです。
スポンサーサイト

コメント:0

コメントの投稿

トラックバック:1