雄勝~気仙沼

Category: 東日本大震災
雄勝~気仙沼

少し前になります、4月20-21の金曜日と土曜日に雄勝と気仙沼にて活動をして来ました。雄勝はリハ相談会に、そして気仙沼は個別と体操の教室です。
地域によって全く違うステージにある、被災地において、石巻と気仙沼も例外ではありません。また現地に活動のためのコーディネートする人の存在の大切さも身にしみて感じます。
雄勝では森林公園という仮設住宅にてリハビリ相談会です。毎回参加して頂いている方から、すっかりと顔なじみになりました。一年間が経つと、多くのボランティアが森林公園にも入っており、また雄勝そのものもテレビなどのメディアへの露出が珍しくななってきました。雄勝は陸の孤島と呼ばれており、その孤島故に人が入らないという現状が続いていました。しかしながら雄勝にいればわかりますが、石巻までは距離としてはそれ程遠く感じなくなります。生活そのものが、常に石巻まで出ているので、住人にとってはそれ程苦ではないようです。
石巻は丁度桜の見頃で、東京からきた我々にとっては季節外れの桜に感じます。雨模様の中での桜でしたが、とても綺麗に咲き誇っていました。
森林公園ではボールを使ったエクササイズを皆でやります。現在は運動の機会も多くなっており、楽しみと気分転換を、兼ね備えたツールが求められています。
対象の機能レベルは、介護予防レベルか更に良い状態になります。予防の予防レベルです。仮設住宅には本当に介護が必要なリハビリレベルの人達はいられません。よって全他的に本当の意味でのリハビリ支援の必要な人は少ないと言えます。また徐々に雄勝にも特養などの施設もオープンしており、当初心配した孤立した現状は打破しつつあります。何処かて皆が少しずつ現状からの回復を目指して尽力されていることがわかります。我々が何かをしなければどうにもならないという事態ではないということです。
委託事業というツールが無ければ、FTFの活動もここまで続いてなかったかもしれません。
心の問題。改めて感じることは、心はそう簡単には癒されないということです。人生には幾重もの障壁を越えながら辿りついているわけですが、その喪失感の大きさは徐々にのしかかってきていることが伺えます。
傾聴。本当にこの傾聴が如何に必要とされているか、気仙沼ではさらに実感することになります。
ボランティアについては継続することは大切ですが、バトンを渡していくことも、大切です。長期に渡る生活を削ってのボランティアは、今回の震災においては充分に大義名分が立ちました。それ程のことであったことはいうまでもありませんが、これからやろうという新鮮なエネルギーが不可欠です。新たな意欲につなげて行く。今だからこそ立ち上がってくる力もあります。どれぐらい新鮮な気持ちで臨めるか。キーワードは其処にあります。

 さて具体的な現状ですが、石巻市と気仙沼では明らかに様相が違うことが伺えます。距離にして70キロあまり。隣接している宮城県の地域であるとは言えますが、そこは取り巻く環境が違います。
気仙沼に至る過程に置いて、南三陸を通りますが、ここは本当にそのままでの地域です。沿岸部に沿ってあった町並みは、もともとは隣接した街が無いエリアになります。石巻が仙台と比較的、心理的にも近い印象がありますが、気仙沼はさらに不便な印象です。被災したエリアからは、町並みを臨むことはできません。人の息づかいや生活の空気が感じられないのです。気仙沼ではよく聞かれる言葉としては、「これからが始まりだ」です。つまり被災地としての復興は一年が立ちますが、個人の心身の復興は今始まったばかりだということです。つまり、今までは周りのことで精一杯だったのが、ようやく一段落して自分のことに意識が向けられるようになったということを言っているのです。
 石巻でも、、もちろん失ったものへの大きさ、失望感は同じです。しかし、石巻は確実に人の生活の営みが戻ってきています。個々はまだまだだですが、空気が動いているのがわかります。よって、気仙沼とは流通感と流れが違います。
 心のタイムラインという言葉を私は好んで使っていますが、まさにこの心のひだに如何に寄り添えるかが肝心なのです。



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