サッカーフォーラム

第一回運動連鎖サッカーフォーラム 報告

5月3日のGW後半の始まり。群馬の桐生市にてサッカーフォーラムが開催されました。実行委員長は大曽根さんで、運動連鎖アプローチ研究所でも活躍していまる理学療法士です。自身も群馬の桐生市にてブルーバードという治療院にて開業独立しており、その独立心と探究心は現代の若者の旗手と言えるでしょう。
 大曽根君が長らくサッカーに携わっていることから、何かスポーツ関連にてできないかということで企画しました。講師は大曽根君と運動連鎖道場の一期生である小関さん、そして私と元アルビレックス新潟フィジオトレーナーの亀尾先生です。私も噂でしか聞いたことがなかったので、どのような先生なのか大変興味がありました。
あいにくの雨模様ですが30名あまりの参加者が遠方からも集まってきました。サッカーだけに大半は男性であるのは仕方が無いですね。トップバッターの大曽根さんと小関さんは共に足に着目したアプローチであり、動きの変化に着目しています。つまり動きから何かを導きだすというやり方から、アプローチにより何かが変わるかという観点です。機能が変われば能力が変わる。いわゆる積み上げ型の理学療法といえます。一つ一つの機能を積み上げる中で、その人の能力も変化するということ。まさに理学療法の王道といえます。
 実は実際にその人のパブォーマンスを規定しているものが何なのかは、見ただけではわからないというのが実情です。もう少し言えば何かしら刺激を入れれば好転反応がみられるということです。つまりは人間の脳はあらゆる情報処理の過程において、どのような介入の仕方であっても良くなる方向にアレンジしてしまうということです。
 動きにこだわるという点に置いては理学療法の神髄を踏襲していることが伺えました。お昼は近くのカツレツ屋さんに連れて行ってもらい、とにかくこだわりのカツは本当に満腹そのものでした。これは午後からの私の講義は大丈夫だろうかと思いながら完食です。
 私のテーマは「ゲームの流れを創れる選手の作り方」です。そんなことができたら、誰でも知りたいわ。と言われそうですが、実査に理学療法の機能という観点からはほど遠いテーマです。しかしながら、私自身が今までスポーツの中で観念的に言われていることが実は理学療法を突き詰めていく中で、その原理原則の観点から論理を導きだせるという確信があります。何でもそうですが、何かを突き詰めるということは真理に突き当たります。その真理は森羅万象に応用がきるものなのです。いわゆる理学療法だけに通用する論理は結局は社会の世間の支持を得ることはできません。それは共感を得ないからです。狭い世界だけに通用するかのように作られた論理体系は、世間を変えることはできないでしょう。さて、ゲームの流れを変えるということを機能に置き換えるとどのようになるか?
 まずは現代サッカーの潮流と日本サッカーの変遷をみていきたいと思います。世界のサッカーにおいては何が求められているのか?現代サッカーの申し子と言えば、バルサのメッシということになります。ポゼッションサッカーにより7割以上のボール支配率をほこり、ほとんど相手に触らせない。つまりカウンターでしか手は無いということになります。最近は相手もポゼッションは諦めて、バルサに回させて極力温存作戦にでています。少し相手も慣れてきたところもあるのかもしれません。といってもその攻撃力を凌いで、攻撃に繋げられるチームはレアルかCLの上位チームに限定されます。また決勝になればバルサは怒濤のような攻め方をしてくるので、準決勝の段階にてCLニおいては勝つ最高のタイミングだったのかもしれません。
 さて、バルサの話はさておき、現代はモダンサッカーは厳格な決めごとのなかで規律を守るというなかでも、ボリバレンとな能力が求められます。つまりポジションとしての役割は勿論ですが、その枠を超えて自由に役割を演じることによって、いくつものオプションを備え、相手によって臨機応変に変幻するということです。研究が進んだ現代において、特にバルサぐらいになると研究されまくります。全て解剖されて分析されてプレパラートに乗せられるのです。自由にポジションチェンジを繰り返しながら、それでいて規律と献身性を兼ね備えるということは並大抵のことではありません。
 日本はオシムにより日本人によるサッカーの日本人化を提唱しました。文化と歴史を学び、そして日本という風土や気質を学ぶことで日本のサッカーを理解し課題を明らかにする。技術と体力とそして戦術があれば勝てるはず。特に日本人にはユーロなどで活躍出来るレベルになかったため余計にそう思っていました。まずは技術がなければ話にならないと。近年は選手のレベルも上がってきたこともあり、次の段階に上がったということなのでしょう。単なる技術論だけでなく、そも精神性やさらにはオリジナリティーを追求していくことで他国との差別化をはかり、強みを前面に出していく。そんな段階なのでしょう。勤勉さ、真面目さ、協調性、従順さなどともすれば勝負の世界では必ずしもアドバンテージにならないものが多々あります。しかしながら、それが強味となってくることもあります。日本はサッカーそのものは、下手に映ります。トラップやボールコントロールやシュートなど、時に素人目にも不甲斐ないブレーがみられます。しかし、試合をすると買っていることが結構あります。一人一人の能力からすれば、明らかに低いと思われる場面は多々あります。つまりランキングが下の国でも結構上手いです。よって壷にはまれば、全く知らないような国にコロッと負けることがあります。それも押しまくられる形で、完敗ということがあります。例えば本田がいなければ、ことも簡単に軸がないサッカーになります。結局は日本サッカーが強くなったというよりも個に依存している現状だということです。
 サッカーのスキルにおいては、あたり負けしないということがあります。これは筋力トレーニングをすれば培われるものなのか?もちろん線が細くて弱ければ話になりませんが、絶対条件ではないような印象を誰もがもっています、しかしながら、それが何なのかはわかりません。そういった現状です。見た目の力強さは必要でしょう。しかしながらラグビーではないので直接コンタクトにて押し出すことがいいとは限りません。長友は明らかに体幹トレーニングにより強固なフィジカルの賜物であるように思われます。では本田はどうか?確かに人知れず当然のように抜かりは無いと思いますが、ボールキープがきるボールが収まるということにおいては、体幹の機能だけではないように思われます。
 重心の置き方や体の入れ方などテクニカルな何かがなければ、ボールキープというところへ昇華はしないでしょう。また裏付けとなる機能も必ずあるはずです。それをおそらく丹田とそして付随する軸であると考えます。
 香川はどうか?もちろんチーム戦術のなかでの選手ですので、香川の役割が強さやキープではないことは確かです。香川の持ち味をしっかりとチーム内にて活かす術をもたたければいけません。香川が長友のような体幹を持っているとは思えません。しかし高いパフォーマンスを見せています。では何か?香川には丹田という地にしっかりと根ざしたような感覚はないですが、軸はあります。軽快なステップを踏むまるで忍者のような動きです。あの忍者の動きはまさに左右の軸からの統合によってできる、センターラインという軸の機能だと思われます。センターも一軸というよりも二軸の合計による軸です。それが、軽快な柔軟性と巧みさを生んでいるように思われます。日本人でもボール扱いが上手い選手は山ほどいますので、香川のようなプレーそのものをすることは出来そうですが、なかなかいないというところにサッカーの奥深さを感じます。まとめますと長友は固定性、本田は重心の安定性、香川は軸を基盤とした俊敏性ということになります。
 おそらく日本人はイチローを始め、その姿に日本人の個性を見ています。サッカーにおいても日本が香川に対して思い入れが大きいのは、どこかに日本人のコンプレックスを払拭してくれて、尚かつ日本人の個性にて活躍してくれていることがシンパシーを感じるのでしょう。よって岡崎がいくら活躍しようが活躍しまいが、今ひとつ注目度が低いのに比べ、香川には非常に関心が高いことが物語っています。




 



スポンサーサイト

コメント:0

コメントの投稿

トラックバック:0