腹の文化

日本人の気質を理解する

国際社会において、世界標準という視点の大切さは言うまでもない。しかしながら、世界標準とは一律の基準があるわけではない。日本だけが世界基準に遅れているわけでもないし、何処が基準かも決まってはいない。敷いて言えばアメリカが基準として浮かび上がってくることを考えれば、我々は相当アメリカンナイズされていることは明らかだ。しかし、国際舞台ではしきりに日本人らしさを強調される。日本人の特性ではなく、日本に欠けているもの、足りないものに視点を合わせてきた我々にとっては、足元がぐらついていたのだ。評論家も日本人の特性や気質を理解している人は皆無に等しい。規律正しいとか、漠然とした評価に対して頭では知っているが、実感はないだろう。何故なら日本の欠点を指摘することが日本のジャーナリズムだからだ。
その理解はスポーツの世界にて明らかになりつつある。経済や歴史、文化の専門家や評論家ではない。スポーツなのだ。スポーツにより国際舞台に立つことが多くなった若者を通して日本人らしさを知るのである。
最初はオシムだった。サッカー日本代表に日本人らしさ。文化や歴史を踏まえたサッカーの提唱に驚いた。スポーツにパワーや体格などの要素、そして最新のトレーニング理論は必要であっても、まさか自分たちの歴史や文化、そして社会背景にまで言及しなければいけないとは、思いもよらなかったからである。
最新のトレーニング理論を持ってすれば勝てるのでは?それまでは確かに精神論のみで戦おうとしていた。それはいつしか一人のカリスマ指導者によふ独善という弊害を生んだ。しかし、それは合理的な強化策を練るおうべはたまたアジア諸国にも後塵を拝するようになる。当事者意識のない指導者たちは、日本代表を自らの延長線上には捉えない。お山の大将という言葉が世界的にもあるのかないのか知らないが、日本人には陥りやすいスポットであることは間違い無い。横のつながりが下手なのだ。職人的であるがゆえに、誰にも到達できない領域にまで行ける。しかし、それが勘違いや欲そして名誉や権力という呪縛にて動いたとしたらどうか?力とは正にも負にも何方にでも転ぶ言わば隣り合わせなのだ。
伝統的なスポーツこそ近年停滞した。東京オリンピックやメキシコにて一世を風靡した競技はこぞって勝てなくなった。つまり協会に過去の偉業者がいればいるほど特別扱いされ、やがて誰もものを言えなくなるのだ。当然、胡座をかいていたらあっという間に追い抜かれる。しかし、日本人の気質は逆境にこそ真価を発揮するのだ。
スポーツにおいても自分のためにという視点では目標が定まらないが、例えば一部リーグから降格するなどの危機的状況においてはいかんなく力が発揮される。まさに俵に足がかかった時から力が発揮されるのだ。それは、サッカーや野球でも国際舞台にて活躍しても、いつものんとなく日本のひ弱さや頼りなさが頭に残ってしまい、圧倒的な強さを感じないのは、この日本人の気質に由来しているのだ。勝って兜の緒を締める。勝ってさらに反省する文化。それを世界では武士道というのかもしれない。礼節と謙虚さを重んじる文化。それは国際的にも勝つだけではなく、勝者の美学として一般化しつつある。強いだけではなく、社会の規範とならなければならない。サッカーにおいでスペインのバルサがあの強さの中に、全く持ってスタンドプレーか見られないのは日本人の本来持っている目指すべき方向性が含まれている。日本こそバルサ的にやれそうな民族的特性を有している。しかし、バルサを目指してもそれはバルサでしかなく、日本とは違うのである。
日本は腹文化と言われている。腹に関する諺は枚挙にいとまない。しかし、最新のスポーツ科学の中に腹について言及することはない。文化的な視点の著書には触れられているものの、専門書という捉えられ方はしていない。あくまで文化や歴史の読み物としてである。面白い視点だなという興味深い考え方としてであり、必要不可欠なものとしては認識されていないのである。
腹文化とは体幹とも連動してくるが、イコールではない。この腹について運動連鎖的に解釈してみる。先ずは体型。日本人は骨盤が後傾しやすい特徴がある。其れ故に肩凝りも必発しやすい。それは体幹の要素として軸の形成が難しいことを物語っている。体幹の機能には軸と丹田と、スタビリティの三要素がある。どれもがお互いを補完しあっているので、別々には考えられないのだが、どの要素が民族的特性であるかにより身体特性が運動特性になり、そして気質にも繋がってくる。ようは、日本人は濃厚民族でありその場で静止した状態にて安定するための身体特性に秀でているのである。よってそこには腹が座ることで始めて軸が出来るのである。丹田とは重心のコントローラーである。そして丹田には横隔膜が不可避である。気合と喝によって腹は据わり重心は安定する。ようは、背骨のアライメントに由来する軸の出来にくい欠点を補うべく丹田があるのです。その丹田には日本の生活文化と、精神性に大きく由来しており、その文化と精神性が失われている現代において、後天的に形成しなければいけなくなっているのです。
大声を出したり熱すぎる感情をなんとなく避ける傾向にある現代において、それは戦後やカルト的な新興宗教による反省の上にも立っているのです。逆に言えば、そのように一つの方向にまとまって走りやすい民族性でもあり、悪い方向に利用されれば、またも歴史の過ちを繰り返すことになるのです。その心理的なブレーキが、良い部分としての特性さえも失わさせているのです。男性が弱くなったと言われ、女性が優位にのりつつあります。男性に永らく暴走させたことで、その負の要素が現れたのが戦後ということになります。よって暴走を食い止めるにも尻に敷かれているほうが安全とも言えます。しかしながら、その腹文化の継承はやはり武士道という職人という気質なのです。なでしこジャパンはまさに、男性が失った何かを教えてくれていると言えます。内助の功にて支えてくれるというイメージの日本女性にも、勿論日本の特性を引き継いでいるのです。今まで家庭を省みず働くことで走ってきた日本のなかで、改めて女性の生き方に何かを見るのです。
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