3.11

Category: 東日本大震災
3.11

この日の朝を迎えました。

早いものでなのかどうかはわかりませんが、密度の濃い一年だったように思います。

都心部の知り合いでも、テレビで盛んに流される映像を観ても目を背けたくなるようです。

あの日の想いは心の中に少なからず刻まれています。自分にとっても普段は気がつかないですが、

確実に心の中にあり得ない事実として刻まれているのかもしれません。

かもしれませんというのは、本当の心のうちは自分でもわからないからです。

いつも震災のことを思っているわけではないと思いつつ、しかしながらふとした瞬間になんとも言えない

感情の色に塗られているようにも感じます。

この3.11が訪れる一週間は少し違った感情の色であったように思います。

何色かはわかりませんが、3.11前とは明らかに違っているようです。

震災の記録をつづった書籍を店頭でもみられるようになりました。

できるだけその記憶をとどめておきたいのか、手にとって購入することも多いです。

何故そのような行動をしているのかは、理由ははっきりとは自分でもわかりません。

突き動かされる情動というやつでしょうか。

いい意味で自分の中でも震災復興への覚悟のための洗脳は終えました。

一年をかけて、、、

繰り返し繰り返し、反芻することでその思いは揺るぎないものになったように思います。

ありえない事実、信じたくない事実から眼を背けようとするのが人の常です。

それは常に真正面から向き合ったのでは、もたないことを人類の経験から悟っているからでしょう。

生きるための本能。

震災の中でも原発は自分の中でも避けようとしています。

どう見ても力及ばないからです。

5年や10年ではない。半減期が何万年もの放射性物質もあります。

自分の生きている間には解決しないことが明らかなこの事実には

無力というフリーズした気持にしかなりません。

災害リハビリを通してこの福島の問題だけはどうしようもない壁に塞がれます。

そのフリーズした気持があったからこそ、昨年の4月という早い段階で南相馬に行ったのです。

フリーズした感情こそが、復興への妨げにもなるからです。

この思い十字架ともいうべきフリーズした感情をどのように処理するのか?

それは国民の一人として一緒に取り組んでいきたいと思います。

鎮魂の思いとともに・・・
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