南相馬市リハビリ支援活動

Category: 東日本大震災
南相馬市 リハビリ支援活動報告
~大町病院・南相馬市立総合病院~


 1月7~8日。一月最初の連休を利用して南相馬市にて活動をしてきました。南相馬に関わりだしたのは昨年の4月15日ぐらいだったと思います。当時は原発の問題もあり、誰も近づこうとしない空気が充満していました。現在は多くの市民が戻ってきており市民7万人のうち4万人まで戻ってきているとのことでした。その戻ってきているという人数は多いとみるかまだまだ少ないとみるかによって全く解釈が違ってきます。南相馬においても立場の違う人から、着々と復興のための道が開かれているという向きと、このままでは街が無くなってしまうという二通りの見方を耳にしました。解釈の違い。立場の違い。被災地といっても決して一枚岩ではなく、各々の立ち位置が鮮明に分かれてきたという印象があります。つまり日常とはそういうことなのかもしれません。動乱と混乱、危機的な状況は一つの方向に導くことを時として促します。結束ということでしょうか。生命が脅かされるような境遇においては、そこは生きるという選択肢をもって判断されます。最も生きる意味においてシンプルな状況です。生きるということがクリアーされると、どのように生活するかということになります。価値観の違いはそこに出てきます。
 南相馬には新幹線にて福島まで入り、日に4本でているバスにて南相馬の原町という終着点にております。大町病院は駅からほど近い徒歩5分圏内にあります。大町病院は平成16年創立でレンガ造りの新しい綺麗な病院です。未曾有お大災害を経て今があるわけですが、一日という一場面を切ってみるとそこには日常の病院としての診療風景があります。幾多の困難を乗り越えて、慣れ親しんだ病院という日常に戻っています。もちろん、スタッフが足りないなどの多くの問題がまだまだ山積しているとは思いますが、入院そして治療リハビリという病院としての当たり前の機能は戻りつつあります。患者がいて家族がいて、そして機能回復を目指す場がそこにある。本当に何処にでもある当たり前の理学療法士や作業療法士が働く場です。その当たり前のことが、当たり前になるまでの過程において困難と苦難があったのです。
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南相馬とは浪江町の立ち入り禁止区域との境にあります。ある日を境に境界線をひかれる。こんな日常が当たり前になってしまった日本。そのことの重要性を改めて考えます。

歴史の上に立って今がある。そのことの重要性を改めて思います。しらないで今初めて見ると、以前からずっど続いていたかのような日常があるだけです。日常に感謝する。その当たり前の日常に感謝する。忘れてはいけない語り継ぐことの大切さはそこにあります。その有難味は創業と似ています。2代目そして3代目になるとその感謝が薄れてきて、我儘が出てきます。つまり先代の血と汗によって築かれた力によって、その力を振り回すことによって暴力と化すからです。気分がそのまま具現化して実現する。こんなにも面白ことはありません。そしてやがて要求はエスカレートするということになります。

 話がだいぶんそれましたが、土曜日の午前に東京より移動して午後より大町病院に入ることにしていました。その前に荷物を近くのホテル西山に預けにいきました。
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 まだ時間があったの市立病院に顔を出そうと思い場所を聞いたところ、旦那さんが車で送ってくれることになりました。今回は愛媛から亀井さん、そして山口から藤井さんが同行しういます。初めての被災地ということで、その現場を観たいという希望もあり、快く自ら案内をしていただきました。地元の方の話はその場に何も無くても、何かどのような歴史にて存在してのかということを詳細に語ってくれます。そして、何かどのように変わろうとしているかなど。ホテル西山は震災直後から電力会社の社員が寝泊まりする拠点として、懇願されて営業していたようです。ですから3月12日に水素爆発したその時から既に営業をしていた唯一のホテルだったのかもしれません。幸いその地区は電気が生きていたため、最低限の生活はできたようです。
 もともと南相馬の沿岸部は石川県からの移民が住んでおられたようです。その居住区が軒並み波にさらわれたことになります。
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荒涼とした風景が見えますが、ここから海が一望できるということは前はなかったようです。住宅があり防風林があり、普通の街並みがあったのです。

住人が戻らなければ復興はない、しかし戻ることの是非はある。一年そして二年と時間が経つ中で街は一体どのような経緯を辿るのか・・・南相馬にも細野大臣や先日は野田総理が視察に訪れるなど少しずつ注目度が高まっているようです。
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案内をしていただた西山さんからも、とにかく産業を誘致しなければ雇用の問題が解決されないということを盛んにおっしゃっていました。沿岸部の職場が流され失業者が多数いるなかでは、人も街も戻ってこないということです。また、南相馬は日本でも有数のサーフィンのメッカだったようで、大会も開催されていたようです。しかし今は海の汚染の問題もあり、とてもイベントを開催するような段階にはありません。人が住むためにという段階であり、その上に立ってのあらゆるイベントや文化そしてスポーツなどが成り立っていくのです。


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