2011年

Category: 多事総論
2011年師走

 今年も本日をもって終わり。日本にとっても世界にとっても激動の一年であったと思います。そもそも激動でない一年なんてあるのかどうかはわかりませんが、少なくとも東日本大震災という1000年に一度といわれる大津波が東北を襲い大打撃を与えたました。あのころの感覚は既に薄れてきているのにはいささか人間のというか自分の薄情さなのかそれが人間の性なのか、忘れ行く自分に驚きと忘れてはならないという人としての自分を思いめぐらせます。何もしなければ忘れていきます。故人を忍んで墓参りをするのも、やはり忘れていくことへの自責の念が少なからずあるからでしょう。また忘れていくことで存在したことさえも消えていきそうで怖いというのもあります。追悼式などが定期的に催されるように、人はその教訓を忘れないようにする後世に伝えようとする努力をしています。
 世界も北アフリカを中心として随分政権交代といいますが、いわゆる独裁政治の終焉を迎えました。独裁という言葉に人類はネガティブなイメージをもちます。歴史的に独裁で苦い思いをした経験が延々と積み重なっており、一人の人間にのみ依存する頼ることの怖さと危険をようくわかっているからでしょう。
 現在は一億総マスメディア状態で、誰もが世界に向けて発信することができます。そしてそれは国をも転覆させることがあります。誰もが意思を表明し認知してもらえる世界です。
 口腔内を手術をしたこともあり、年末は本当にゆっくりしていますが歴史ものをみていくと、時代というんのは情報化社会だから早く移りゆくというわけでもなさそうです。人の心の移り行きや時代を超えて同じです。つまり、明治維新から30年がたって日露戦争へと至ったその30年は既に維新そのものが忘れ去られていたことでしょう。今の尺度で30年前と言えば昭和の50年代ということになります。年齢で言えば私なら13歳。中学生ですね。その時はネットも何もありませんでした。いつも30年前のことを思いめぐらせているかというとそんなことはないですし、やはり頭にあるのは今です。また維新も武士という10%に満たない人たちで起きたことであり、大半は町人や農民です。その町民や農民の中では激動の日本というのはどのような心中にて捉えられていたのでしょう。明治になり開花期を迎えて、やはり人の慾というのは変わらず詐欺なども普通に横行していたようです。第二次世界大戦前には総理大臣はころころと変わり、世論に気を使う今の政治と変わらない世の中だったようです。世論といっても昭和初期にどのような物差しで測っていたのかわかりませんが、その場しのぎというか場当たり的な現代の政争を繰り返していたことがわかります。既に明治も一昔になっており、幕末の気概そのものが受け継がれていたかどうかはわかりません。世論やその時の雰囲気など計算にて動くと、だいたいずれてきます。やっている本人はプロセスがありしっかりとやっているつもりなのですが、外側から見ているとしっくりこない。つまりプロセスの中である程度達成感を感じてしまい、結果的に成果があがらないわかりにくい結果を招いてしますのです。

 年末にうだつのあがらないことばかりを述べてしまいましたが、来年の抱負と方向性について列記していきます。

運動連鎖アプローチ研究会の今後の展開 多くの研修会が立ち上がっているなかで運動連鎖道場として一貫した学ぶ場が必要とされています。通して学べるコースそのものが求められていることがわかります。それは、初級や中級、上級といったコース設定されているだけではなく、自らが学べる機会として意欲のある時に学べるということが必要です。自動的にコースを挙がると上級認定と認定のためのコースが多々ありますが、目的が上級をとることになってもしかたありません。問題は本人のなかで実感として手ごたえが必要なのです。また卒業生についてもその後のブラッシュアップの場が求められています。自然発生的に各地で学びの場ができその中でまた勉強に励み、自然い湧いた疑問やテーマにてブラッシュアップしていくうような自らの意欲が前面に立つような流れが不可欠です。その後に運動連鎖道場にて学んだことを何処で研鑽していくかということが必要とされています。コースとして義務的に開催することそのものは、あまり私の望むところではありません。年何回開催とか見る方としてはいいかもしれませんが、その開催は時期や時代に応じた進化の仕方が必要です。マニュアルとして決まったものを履修していくようなコースそのものが臨床では既に合わないのです。もちろん基本は大事ですので学校教育のなかでは国家資格の受験資格という意味で必要です。しかし臨床のあるテクニックなどでのコースは臨床のテクニックそのものであり、考え方うや思考過程に言及したものであることが不可欠です。道場の開催要望をどんどん増えていますが、その理念についてしっかりと伝えていきたいと思います。

運動連鎖アプローチの社会的貢献 理学療法士として早22年目?になると思いますが、自らの信望する治療コンセプトや概念は誰もがありあす。またクリニックから病院そして在宅訪問・独立開業など多種多様にわらる職種の集まりとも言えます。既に一人で全てを網羅できる時代ではありません。では治療家としての理学療法士はどうか?テクニックを前面に出すセラピーそのものは、徐々に時代とはそぐわなくなってきています。何故なら医学というなかにいる我々は常に医学として成り立っているかを考えなくてはいけないからです。医学というならば学術が伴わなければいけません。もちろん臨床では効果的な手法を持たなければ話になりません。しかしながら、学術的な思考を持ち合わせ中ければ昨今の治療技術偏重のセミナー傾向は決して良い傾向ではありません。何故、ここまでリハビリが地位を向上できたかを考えれば、その地位に乗っかっているからこそ言えるテクニックの強調だったりするのです。医師としっかりとタッグを組んできたからこそ、この地位にいるのです。独立志向や一人でも食っていけるといううたい文句にて展開するのもいいですが、歴史と経緯をしっかりと認識している人が前面に立たねばなりません。経験年数が浅いセラピストが中心になった団体はその危惧があります。respectなくしては、つまり温故知新がなければ長くは続かないのです。
 運動連鎖道場などで展開しているコンセプトは本当にテクニカルスタンダードであると実感してきました。今までは多少なりとも遠慮していたところがありましたが、いいものはいいと自ら自覚して進まなければいけません。もう今年で44歳のなるのですから、これはいつまでも躊躇していたら人生が終わってしまいます。45歳までに何らかの形をつくるというのが漠然とした通過目標でしたので、平成24年はさらに大切な年になります。測定機器などのテクノロジーが進んできた現代は、本当に医学も凄まじい進歩です。特に医学の分野では本当に眼を見張るようです。リハビリの世界はアナログ的なところがあるので、未知なるもので、内内で何かこもってやることができますが、我々のストロングポイントは何かを自覚しなければいけません。自らに無いものをこれから身に着けようなどとは、もしくは専門としようなどということは考えないことです。一瞬それができければ駄目な心境に陥らせることで、あたかもその優位性を保つことができて人を惹きつける。結局はアイデンティティーの確立には至りません。至った試しが歴史上無いのです。プロレスも結局は新日本と全日本までです。精々、NOAHまででしょうか。いくらその時に新規で旗揚げしても大元にはとってかわることはできないのです。それはDNAを否定して新たなものを構築することができないのと同じことです。

運動連鎖アプローチをセラピストのテクニカルスタンダードにする
 新年の目標はズバリ上記です。セラピストは目覚ましいテクノジーの前では最終的には勝てない可能性があります。しかし感じるということ、感覚入力を与えそしてそれを享受するということ。そこからアクセスをして通じるということ。そのセンサーとしてのチャンネル機能はどんなにテクノロジーが進んでもリアルタイムにより実践的に代替えすることはできないでしょう。心にもそして軟部組織の幾層にもアクセスできるこの能力は誇示することなく、当たり前の人類に備わったシステムとして謙虚に捉え、その機能を使わせていただくことで治癒機転へと促がす。それが職業として成り立っているという有難い話なのです。
 それでは運動連鎖道場生および運動連鎖アプローチ研究会に参加していだいた皆さん、そしてブログを見てい頂いている多くの皆様に感謝をこめて今年を締めたいと思います。
 みなさん良いお年を!!
スポンサーサイト

コメント:0

コメントの投稿

トラックバック:0