歴史

Category: 多事総論
歴史を顧みる


東日本大震災、記憶に新しいところですが既に風化してきている空気を少しずつ感じます。日本が元気に復興していくにあたっては、いい意味で日常に戻ることは必要です。しかしながら本当に忘却することが脳の特性というか、進化の過程においてこの忘却という能力を身につけて行ったのだと思います。直接、被害にあった人たちはしかり、そして我々もメディアという発信源が多くあるため、よりビジュアルにて伝えしることができます。そういった意味において記録媒体が乏しい昔よりも各段に記憶にとどまり、語り継がれることになるでしょう。しかし、現地にとどまり後世に残していこうとする動きは、若者を中心におこっているだろうか?テレビでみるのは高齢者のもしくは中高年の方々の、先代からの流れを守ろうとして引き継ごうという映像が多く、なかなか若者の声が聞こえてきません。今は毎日の明日の生活再建に精一杯なところも多々あるものと思われます。これが5年、10年たってどれほど語り継がれていくものなのだろう。神戸の震災から早10年、もちろん記憶に新しい災害ですがやはり記憶は薄れてきます。神戸の街そのものが復興していることもあると思います。さらに戦争はどうか?日本は敗戦国です。しかし、その敗戦国というコンプレックスというか引け目はありません。歴史の本ではそうなんだ!ですが悔しいとかいう感情は一切なく、むしろアメリカ思考です。太平洋戦争から70年。あの戦争をしっかりと記憶している世代はどんどん少なくなり、語り継ぐ人はドンドン少なくなります。我々がそれをどれだけしっかりと記憶できるかというと、おそらく難しいと思います。アジア列国が教育のなかで引き継いでいる記憶。
 最近、戦争の歴史の番組や映画などが多くなっているように思います。記憶に残す、すたれていくことに対しての不安が背景にあるのかもしれません。人間は忘れることに不安と罪悪感を覚えます。否応なく忘れている時間が長くなってきている。そのことが自分をさらに攻めます。
 「坂の上の雲」NHKにて秋山兄弟の陸海での軌跡。昨年の大河ドラマにて坂本龍馬。その開国と明治維新からたった30年で近代化を急速に進め、そして日露戦争への走っていく。明治維新と言えば、江戸時代。若き志士が時代を動かすべく奮闘し、そして文明開化となりました。その志士の魂が新しい世界への扉を開いたのです。このままでは日本は駄目になってしまう。強烈な思いを胸に幕府に向かっていった若き志士の想い。その思いが明治という開花期を迎え、戦争へと向かっていく。200年の鎖国を経た国がたったの数十年にて列強の仲間入りをせんとする力は今思っても凄まじいものがあります。しかし政治の腐敗と利権を貪る構図はいつの時代にもあり、その閉塞感が上層部の焦りとなり追い詰められ、戦争へと向かわせてしまいます。坂本龍馬が活躍した明治維新から、さらに世界の列強との戦争へとこの時代の激動は凄まじいものです。最近、私もどうして戦争へと、いやその当時の世相はどうだったのだろうと物凄く興味があります。時代の流れを、歴史の経緯を踏まえて今何処に向かおうとしているのかを自分なりに咀嚼し、そして来るべき矜持とする。おそらく大略を掴まなければ、その場しのぎの世論に踊らされたご機嫌とりの政策にしかならないのです。結局、ご機嫌どりの政治は点であって線にはならず。
 言いたいことは当時の多くの思いの中で積み上がってきた現代。その思いなんとしなかければと本気で日本のために動きいた人たちの礎に立って今があるのだろうか?単なる坂本龍馬の生き方というような、痛快な生き方の側面だけをみて憧れているだけではないか?
 最近、放送される明治そして戦争の番組や本を眼にするにつけ、一体誰が望んで戦争をやったのか?という疑問にぶち当たります。一兵卒は望んではいません。御国のためにという教育によって誘導はれていますが、結局肉親などの本音は違います。過酷そのものです。戦争当時のことは固く緘口令が引かれているかのように、多くを語りません。その本音は未だに傷が癒えない、一事件そして災害と全く同じです。心の問題はいつの時代でもあり、そしてそれが健在化するかどうか、公表されるかどうかの問題であり、時代によって心が強いというようなことはありません。ただ、踏ん張る身体性が身についていたことは確かです。
 戦争をやりたいのは、追い込まれて大義名分を求めているのは上層部のみです。国単位で物事を考えますが、その国の印象や動向は誰が動かしているか?国民という影や世論に怯えて保身に走る上層部と言えます。武力を指揮する決定する会議は一部の人たちです。国民が知るのは国が発令するなんらかのメディア場媒体です。最終的には一人の心が物事のきっかけとなり、波紋を広げていくのです。
 記憶は薄れていく風化していく。そのことは我々が既に戦争を知らないことと一緒です。延々に痛みを分かち合い、そして共有することは無理でしょう。余りにも多くの事象がありすぎるからです。そして情報が多すぎて処理しきれない、そんな時代もありどんなことも情報に埋もれてしまいます。
 多くの志をもった人たちの上に成り立つ現代。その思いがこの時代に引き継がれているか?昔の偉人と呼ばれる人たち、いや一人一人の民衆が現代の姿をみてどう見えるのか?このような時代になることを想像していたのか?おそらく目の前の敵や危機に対して挑んでいくことはできても、次代を見通すことはできないでしょう。いつの時代でもその恩恵によって、もたれかかりが起こるからです。

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