個の時代

Category: 多事総論
個の時代
ユーロ圏の経済破綻。アフリカ独裁国家の崩壊。日本からは遠い世界での出来事ですが、企業にはじわりとその影響が飛び火しているようです。東北の震災では多くの関連企業が部品調達を絶たれ、改めて積み重ねた流通の販路の歴史の重さを感じさせてくれます。街の崩壊とは、ハード面の崩壊にとどまらず、社会の仕組みそのものなのだと感じさせてくれました。
市民レベルに置き換えると、それは家や職場、文化や生活、役割そのものの喪失を意味します。代々引き継がれてきた歴史はそう簡単には取り戻せません。個人のなかでも毎日の生活のリズムがあります。それは幾重に重なる人々の気持ちや営みの結果、コミュニティとなって形成され場となっています。根こそぎもっていった津波の恐ろしさ。この教訓を生かさなければいけません。改めて我々は社会の一員であり、一人では当然生きては行けないことを言葉でなく、実感として刻み付けていきましょう。タイの大洪水を見るにつけ、何故あんなにも水が引かないのだろう?そう疑問に感じたことでしょう。これも治水工事がしっかりされている日本にはあり得ない現象です。
既に住みやすい環境整備をしっかりと公共事業として執り行ってきて頂いたことが、今の安全な生活に繋がっているんだと感じます。その先人の努力の恩恵の上に成り立ってる生活。そんなこともわからなかったことに、そして気がつけたことは良かったと思います。皆のお陰でと、スポーツの世界ではコメントされます。しかし、我々はあまやそれを実感できません。歴史を学ぶ意味も、文化を継承する意味も希薄化していたのかもしれません。
話を戻しますと、被災地においては全てがなくなったといってもいいなかでは、比較的個の存在がクローズアップされます。例えは避難所では、このような混乱を極めた中では、いきなり行政が主導するわけではありません。
集まった中で自然とイニシアチブをとり自警団などが結成されていきます。暫くすると行政が関わってきますが、避難所の格差が顕著でした。それは、リーダーの存在如何によって、決まってくると言われていました。私が関わった避難所でも、泰然としたリーダーのいる避難所は見事に統制がとれており、秩序が保たれていました。平和な日常においては、個々がそれほど関わる必要がないため実感できません。特に若者世代は自分のライフスタイルを優先するため、ライフスタイルにあわせた社会資源の利用や組み込みを行います。しかし、このような非常時においては、銘々が勝手に振舞えません。ライフライン、生活、復興という視点に立ってスタートラインに一斉に立つ訳で、そこから誰かが最初の一歩を記す必要があります。各地に出向いて支援活動をする中で、やはりキーパーソンと呼ばれる人々に会うことができます。この人が何らかの精神的、そして実務的な支柱となって活動したんだろうなと思わせるのです。社会の仕組みが長年にわたり構築された近年においては、仕組みや取り決めは時としてし絡みとして壁になります。秩序のためには取り決めは不可欠であり、個人の主観ではなく最大公約数を選択しなければ行けないからです。
山形県に呼ばれて行った時にも、先ず誰かが率先して入って、あらゆる関係を一から構築しなければいけません。もともと被災地に縁がある方を頼りにしたり、直撃晩ご飯のように入り込むきっかけを掴まなければいけません。何でも最初の一歩を誰かが進めているわけです。人間関係が最も被災地支援において大切てあることは、社会においても当たり前のことのはずなのですが、改めて教えてくれる機会となりました。自分には関係ない、関わりを持たない、煩わしさを伴う人間関係を避けてきた生き方において、聞く耳をもつこと、傾聴することのスタンスが普段おざなりになっていました。
さて、個の時代としたのには他の理由があり、ユーロ圏やアフリカで起こっている事変。そして国や企業を脅かすサイバーテロなど、つきつめれば個人から始まっているのです。世界の数十億の頭脳が一斉に世界に影響をもてる時代。おそらく歴史上始めての時代です。歴史においても優秀な人々が社会を牽引したことは事実だとしても、身分や何やらで表に出れなかった人は百万といるでしょう。必ずしも社会の先人にいる人達が、最も相応しいリーダーであるわけではないことは明らかです。金や権力にて振舞えた時代は終わり、世間に公開された中での運営は既に世論という、大きなクラウドの顔色を伺いながらになります。個の発信が容易に失脚の引き金になる、ある意味全ての人に刀や拳銃ではない武器を有しているのです。そこはよりSNSなどのITを駆使できる顔の見えない、画面の中での出来事です。株も国債などもそうですが、現ナマの見えないマネーゲームです。一人一人の能力は個々に本当に高いです。その個が国に団体に勝るとも劣らない力を発揮することがあるのです。大きな組織は小回りやフットワークに難があります。時流に乗ったタイムリーさに欠けるのは、既に政府が証明済みです。しかし、実際に中では多くの人達が忙しく動いているのです。誰もサボっている人はいません。しかし、経過てはなく結果しか評価の対象なならないのが政治であり社会であり、そういった意味においてはタイミングを外せば、全く人心を掴むことはできません。小泉内閣の負の遺産は検証されなごらも、任期満了まで務めた珍しい総理でもあります。理学療法士も個の可能性を改めて考えて、社会に専門家としてトライしていきましょう。
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