同じことをしていては治らない

治療に変化を付けなければいけない理由

 同じ治療をしていてもいつかプラトーになります。一瞬の変化や反応が長い目の治療にならないことは多く経験します。研修会などでの変化がその後に継続したという話は聞いたことがありません。反応と変化が学習と定着にはダイレクトに結び付かないからなのでしょう。しかしながら、外科的な処置は確かにその機会を得ることで大きく変化します。おそらく我々は投薬や注射そして外科的な治療のイメージがあるために、直ぐに結果がでるというたい文句に踊らされるのだと思います。本当はそんな単純なものではないことは頭では分かっているのですが、往往にして流されてしまうのは奇跡的な方法にになります。達人や天災と呼ばれる治療家は多くいますが、ベールに包まれていれば包まれているほど神秘性とカリスマ性と想像が働きます。例えば、古武術的な達人は神がかり的な力を持っているんだと思いたくなります。実際にボクシングのチャンピオンやオリンピックのメダリストは努力と不屈の気持など過程がopenであるからこそ、努力に上に成り立っているものには奇跡とかのまやかしは感じません。しかし情報が無ければないほど、世間に注目がされていなければないほど、どこか神秘的なものとして君臨しがちです。リハビリで言えば、頭蓋仙骨療法などのオステオパシー、気などのエネルギー医学、そして潜在意識といった心理的なものなど科学的にも立証が難しいもの、そしてリハビリの世界では希少価値といいますか、人口の少ないものについては神秘性が増します。対抗馬がないからです。他の世界では多くの同業がいるので、それはちょっとやそっとでは第一人者にはなれませんが、リハビリではジャンルな違うので軽く第一人者もどきになってしまいます。あくまでもどきです。世間には本物が沢山いることを知っているが故に、そのことをさも自分が専門のように喋ってるのをみるにつけ、なんとも言えない気持ちになるのです。
 さて話がそれましたが、例えばいい反応が得られたとしてもその後にも必ず愁訴が出てきます。キャベツ理論といいますが、剥けば剥くほど新たなキャベツが出てくるのと同じで、一番表層にあるものを認識するという脳の特性があるのです。よって新たにでてきた症状というよりは、もともとあったものだが、隠れていて認識されていなかったというのが正しい表現になります。
 つまり、新たなキャベツが出てきた時点で、同じ治療方法では既に対象ではない可能性があるのです。その症状の背景であるメイン軟部組織やメカニズム、治療媒体が違っているわけで、治療概念や方法そのものを変えなければいけないのです。同じことを続けるのでも変化の過程において変化を自覚し、その変化を日常生活のなかでも反映できなければいけません。気付きと変化そしてメカニズムを理解すればするほど治癒の効果持続は長くなるのです。短時間で直ぐに効果が出るといったうたい文句は、既にそれは臨床ではなくマジックです。マジック小屋はそれはそれで客があつまるのでいいのですが、リハビリではありません。リハビリという理念のもとに立てば、反応と変化の刹那さを求めるだけではだめなのです。
 さて、話を戻しますと治療に変化をつけなければいけない理由は大きく分けると二つあります。
①部分的な変化が全体に波及するまでに、順応時間が必要となる。その時に波及をブロックするような要素があるとその部分に対して施術なりアプローチをする必要がある。
②もう一つには認識の問題があります。脳はどうしても一番気になるところで占められます。治癒の過程において必ず新たな部位や症状が健在化してきます。これは脳の認知の問題なのです。

機能障害は多くのバイアスがかかっており、その一つ一つのバイアスは全てメカニズムが違います。よって治療方法や選択も変えてしかるべきなのです。
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コメント:1

No title

やす
IRA研究会本部会長 
のことですか?

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