下関ブロック 定期理学療法研修会

心と身体の運動連鎖アプローチ

 9月17-18日の両日にて山口県理学療法士会 特別研修部主催の研修会に呼ばれて話をしてきました。
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小倉から二駅戻った下関にある看護リハビリテーション学院にて開催です。

テーマは心と身体の運動連鎖アプローチとなかなか難しいテーマです。心と身体の運動連鎖?、普通は運動連鎖というと骨関節筋肉の問題になります。しかし昨今の障害は心と身体が合わさって機能障害という場合が少なくありません。一昔前なら、ココロと身体は別物として扱えたと思います。理学療法でも心の問題は別問題として考えていました。しかし現在、何らかの精神的な安定のための服薬していたり、背景に精神疾患があったなどのケースは多々あります。うつ病が三大疾患を上回る勢いの情勢において、心の問題がない人だけを対象にするというわけにはいかなくなっているのです。

では運動連鎖と心とは何なのか?ここはセロトニントレーナーでもある自分が運動とセロトニン通じて心にも何らかの影響を及ぼすことができることを伝えようと考えました。単なる運動をすると気分転換になるといっただけでも効果はあるのですが、その原理原則を知っておくとさらに違います。

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立派な看板を立ててくれていました。下関ブロック主催ということで山口県は各地区のブロックに分かれて研修会開催などをしています。参加は地区に関係なく可能とのことでした。他の県士会とは違うシステムですね。

参加は40名あまりで、学校の運動療法室でした。実技を希望されていることもあり、できるだけ体験できるようなものにしました。まず着目したのは呼吸です。
 呼吸は理学療法の中でもまだまだ補助的な扱いしか受けていないと言えます。運動器としての関節の動き、そして筋肉の使い方といった観点で勉強しているからです。力を入れた時に息を吐くと行った、リスク管理のための呼吸の使い方が常です。つまり理学療法ではあくまで運動が主であり呼吸は従になるのです。この発想を逆転させ呼吸を主として運動を従とするだけで全く違った趣向の運動になります。
 運動を単なる筋力トレーニングとして捉えるだけでなく、芸術の領域つまり美として捉えるなら、運動連鎖の究極は心技体が揃った中での運動ということになります。つまり呼吸に載せて動きをいれ、そしてそこに情動がリードすることで心身に心地よいハーモニーとなって奏でるのです。情緒的な文章になってしまいましたが、例えば踊りやお祭りなどの高揚感ってありますよね。もちろん御神輿でも担ぎすぎては負担がかかってしまいます。踊りすぎても足腰が痛くなります。しかし、よくアドレナリンが出ている時は痛みを感じないというっように、何らかの脳内の神経伝達物質が出ている時は心の問題がでてこないのです。祭りの時にでているのはアドレナリンではなくセロトニンですけどね。セロトニン神経が活性化している時は、まさに元気な時です。元気になるのです。お祭りは。だからと言ってお祭りを推奨してきたわけではなく、その原理を運動に応用すればリハビリでの運動療法も心身に効用をもたらすことができるということなのです。

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研修会風景、。皆さんとても熱心でした。下関と言えば長州ですからね。歴史の地が脈々と流れている地です。最近は下関よりも小倉が活気があるようで、そちらに人が流れていくようです。

セロトニン活性3ポイント
 セロトニン活性の3point。リズム性のある運動、特に呼吸は常にしている運動と言えます。一日中、一生を通じてできるエクササイズですので、太古より呼吸のコントロールのためのノウハウが沢山あるのです。また心理的な変化と呼吸の状態が相応することが体験がら分かっており、そのために修行においては呼吸が必ずポイントになるのです。そして日光浴です。朝日とともに起きて日没とともに寝る。この当たり前の自然の摂理のなかで人のホルモンは働くようになっています。夜でも寝ない街は人間にとってある意味必要不可欠なものですが、生活習慣そのものが昼夜逆転するような夜でも刺激が沢山入ってくる環境そのものは、心身に対する生活習慣病としての精神疾患につながるのです。
 そして体性感覚への刺激としてスキンシップです。赤ちゃんがスキンシップがないと情緒不安定にあんることは周知のとおりですが、第二の脳として皮膚を考えるとその刺激こそが情報に直結するのでしょう。安心感や安堵感そして達成感の場面では人は自然に抱擁します。この習慣というか慣習でもないですね、自然な行為そのものが人間の根本的なつながりを求めることが根源的な欲求であることがわかります。
 さてまずは呼吸ですね。呼吸にともなって横隔膜が上下します。そして骨盤に波及させれば骨盤は開閉しそして肩甲骨の開閉、四肢の拡がりへと繋がってきます。つまり人は呼吸にともなった躍動感につながるのです。楽天のマー君と日ハムの祐君の違いは、躍動感であることは一目瞭然で、その躍動感は紐解くと呼吸になるのです。例えば投げると同時に吐くではなく、呼吸とともに投げるというほうが正解なのです。

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スタッフの皆さん有難うございました。
フグ料理のおコースを懇親会でも組みこんでいただき、本当に微に入り際に入り持て成していただきました。
もてなし・・日本人の心ですね。
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コメント:2

呼吸

竹林大愚
楽天のマー君と日ハムの祐君の違いは、躍動感であることは一目瞭然で、その躍動感は紐解くと呼吸になるのです。

なるほど、よくわかります。
テニスや卓球で打つ瞬間、声を出す人もいますし、砲丸投げでも手から離れる瞬間、声を出す人もいます。あれは気合だけではないのですね。

Re: 呼吸

山本尚司
> 楽天のマー君と日ハムの祐君の違いは、躍動感であることは一目瞭然で、その躍動感は紐解くと呼吸になるのです。
>
> なるほど、よくわかります。
> テニスや卓球で打つ瞬間、声を出す人もいますし、砲丸投げでも手から離れる瞬間、声を出す人もいます。あれは気合だけではないのですね。

コメント有難うございます。返信が遅くなりすみません。かけ声や叫び声そして試合前の所作などは全て解剖学的に生理学的に運動学的に意味があるのです。当たり前すぎる、その所作に叡智が眠っているんですね。

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