軸と
コアーマッスル 軸とは不思議なものです。左右対称の真ん中が正中ラインであることは物理的にも構造的にも合致するところです。
脇元先生の講義を二日間通して聴ける機会はなかなかありません。それだけにスパイナルのダイナミクスの重要度、カーブが単なる構造上の観点だけではないヒトの心身に与える、心身を反映した脊柱の機能に、ただただ神様が造った叡智に脱帽です。昨今の流れはコア~=体幹ですが、体幹は軸か?と言われると軸も含まれる。とは言えます。しかしながら、体幹を鍛えると軸はできるか?と言われると安定はしますし楽にはなりますが、それが軸か?と言われるとイコ~ルではない気がします。
昨日の日本対バーレンは久々にワクワクする面白い試合でした。欲を言えばきりがありませんが、良かったと思います。ポジティブに考えればW杯が始まってから上向きになるチームがあるぐらいですから日本もそれに期待しましょう。しかし東アジアは国内組だけだったとはいえ、ほとんどぶっつけ本番のチームが活躍するのですから監督の手腕には確かに
がつきます。連動してというサッカーが点をとるためではなく目的になってしまっていることが問題なのかもしれません。頭からプレッシングをしてサッカーは90分は持たないですし、メリハリが無くなってしまいます。ダラダラと一辺倒で間が無くなってしまうのです。岡田さんが本田は良くなったと絶賛していましたが、個人のレベルアップの結果であり戦術ではないのが残念です。逆にいえば選手が自主的に高めていくしかないチームコンセプトもありかもしれません。裏に出すパスサッカーさ確かに驚異ですが逆にいえば世界では当たり前ですぐに反応されてしまいます。しかしながら足元にいくと当たり前すぎてディフェンスの反応がコンマ何秒か遅れます。裏より安心感があるからです。またむやみにファールもできません。足元で受けるメリットは見方も分かりやすいということです。連動しながら足元にボールをおさめトラップしなおかつゴールする。さらに相手がいることです。どんどん確立が減ってきます。
裏に裏にという動きがあるから足元も生きていくのでしょうから本田選手には期待したいですね。
さて軸とコアーマッスルというテーマでしたが、軸ができてくるとそこに正中感覚が生まれます。正中感覚とは本当の意味では意識できている人は少ないのです。試しに正中の感覚がはっきりと自覚できるかどうかを内感してみますと意外に普段は気にしていないことがわかります。またその意識が持続しないはずです。ところが本当に軸が物理的な柱に近い形でできてくると常時気にしなくてもあることが実感できます。これがコアーということになります。つまり軸ですね。軸というと一本の線のようなイメージですが、コアーは体幹を想起させますので筋群のユニットになります。
海外から来た選手の眼が違っていたのがわかったと思いますが、長谷部選手、松井選手、本多選手、森本選手しかりです。見ているようで見ていない。内情は慌てていたり焦っていたりしているはずなのに周りからはそれが見えない。本田選手は残り5分で得点なしの状況をヤベーと焦っていたようです。それが動作はプレーにでていませんでした。ましてや表情にも・・・つまり心身相関していないのです。心身相関がない身体というのはココロが揺れない不動心ということではありません。不動心というのは何事が起きても泰然自若として我関せずではなくて、本当はココロは揺れるのです。そういった意味では不動心という表現は正しいないように思います。不動のココロなどありません。達観できる能力こそが不動心なのです。周りからの指摘などを拒否したり無視したりすることは不動心とはまた違います。受け入れながらもブレナイ、揺さぶられながらもその場にいられる。それが物理的なコアーがかなり影響を及ぼすのです。
物理的に揺れない、揺れない正しくないですね、物理的に戻れる軸がある、はっきりとではなくぼんやりとですが身体感覚に軸があるとココロが揺れても受け止め流すことができます。無視して流すのではありません。ココロが揺れると身体も揺れる場面がテレビドラマでも見られますが、まさにその通りなのです。心技体・・ココロと技と身体が成熟する、一致するというのは連動しているのです。ココロがハートがこもったプレー・・確かに土壇場ではこれば一番大事でしょう。無心の境地になり自分ではない力が沸きでる。こんなシチュエーションは自国開催だからこそできるのです。日韓のワールドカップが活躍できてドイツでは散々だったのは、そんな特殊な背景があったからこそなのでしょう。これがオリンピックには魔物がいるといわれる所以です。つまりココロが揺れて身体軸に留まれなければ、実力を出せない・・その究極の力を求められるのがオリンピックなのです。
サッカーでもアウェーにおいてはホームのチームに分が悪くなります。特殊な心理状態にあるホームのチームには心理的には遅れをとります。そこでも安定して力をだし結果的に予選リーグから決勝トーナメントへ力を上手く高めれるチームは本当の意味での心技体・・・達観できる能力が不可欠なのです。気持ちをこめて・・と日本サッカーを表するときに盛んにいいますが、そんな特殊な状況を90分ましてや毎試合できるわけがありません。そんな火事場の馬鹿力のような場面は一生のうちでも何度あるか?という確率です。燃えるよう気持ちで身体を覆い挑んでいく・・それは火の玉小僧のようなもので後半途中で入ってきてかき回すという意味においては効果的です。しかしながらよく考えてみると途中から入って意気込んでつっかかっていって活躍した場面を見たことがありません。二度三度トライしてイナサレそして溶け込んで消えてしまいます。冷静に・・・といっても軸をもちながらさらに揺れるこころや燃えるココロを傍にすぐ近くに置いておいてプレーするのです。それが玉田と大久保と海外組の選手の違いです。気持ちのままに身体が力んでいると周りがみないか、ただボールを追う蹴るしかできません。これもプレーのパフォーマンスの心身相関なのです。冷静すぎてたるんで活動量がおちてはいけません。燃える気持ちも何もかもを受けとめながら軸を感じる・・ことで周りが見えて戦況に応じたプレーができるのです。
眼の違い、眼差しの違いを海外組と国内組に感じたのですが、これは脳内では何が起きているのでしょう。よく達人や熟練者は見る出なく見ている、つまり周辺視を使っていることになります。凝視するのは中心視になります。空間的な情報処理に関わる周辺視が優位になるということは、状況が見えることになります。呼吸は深く吐けます。視線も展望台のように高く見渡せるということですので、姿勢はよくなり息が吐けます。中心視では籠りますので息が浅く止まります。集中して尚且つ集中視を使うことで体幹が賦活されます。物理的な姿勢と脳内の表象は同期するのです。つまり筋肉が限り無く収縮する感情にまかせた動き。しかし命がかかった危機的状況の最終兵器として備わった機能は時として判断やコントロールという観点からは対極にあります。筋肉が過剰に収縮した状況はFT繊維ですので7病しかもちません。パニックとはまさにこんな状況で、ノルアドレナリンが優位になるのでしょう。パニックではサッカーはできません。必要な抜けがあって初めて円滑なパフォーマンスは遂行されます。気持ちは熱く(集中)、身体はリラックスだからこそ周りの場を崩すことができるのです。周りの雰囲気、場にヒトは呑まれます。もしくは同調します。日本人が大得意な心理状態です。またにノルアドレナリン系のシュートがありますが、何故かキレがないというか1・2・3と単調なリズムなので、力が入ってます、けれどオ~!といえるファインゴールではない、玉田のゴールになります。あっそう入ったね~みたいな感じですね。真っ直ぐしか打てないのです。パチンコのように打つしかできないのでパスやポストや危険な動き、一対一で勝負できないのです。キ~パーを一対一で抜くことはできません。心身相関プレーといえばSBの長友も内田もイマイチですね~海外で心身ともに軸をつくる、つまり自立すること、日本人としてのアイデンティティを持つことが必要なのです。岡田さんはこのノルアドレナリンサッカーにて単調なリズムをチーム全体に浸透させました。体力のもつ限り走り回る90分できればといいますが、無理でしょう。結果走っている距離はヨーロッパの代表チームのほうが多いのです。もっと走らないとと評論はいいますが、無駄に筋肉を使い続けている日本選手には無理な話です。いろんな感情と戦うことができるのが心身相関がないココロなのです。中心視は感情レベルでは独りよがりになるのかもしれません。軸ができなければ達観はできないし周辺視を有効に使えません。この軸は必然性や集中力と比例します。集中するとセロトニン神経により抗重力筋が促通されます。集中すると適度な筋緊張により筋膜はピッと張って身体を中心化させます。集中力のある選手は軸ができるのです。集中しているときは姿勢がピッと伸びるのはそのためです。軸があるからある感情に流されても戻れるのです。軸がないとこうだと思い付きがコア~になってしまい本来自分にあるべき位置から外れてしまい、また外れていることに気が付かないのです。だからたまにヒトの眼か大切になるのです。自分の立ち位置を多くの人達に支えてもらう。そして軸を太く大きくしていくのです。戦況を見つめて、判断や選択をしながらコントロールしながら動く、これがある意味理想の心身の相関がない、コア~なのです。 話は変わりますがバシュートで銀メダルをとった一人は相澤病院の職員なんですね~